晶文社 20060215
旅は恋ににている。異性との出会いへの期待はもちろんだが、不安だけど歩をすすめざるをえない落ち着かない感覚は、未知の世界への恋ではないのかと感じてきた。
だが、歳をかさねて30歳代もへて、「恋」への旅でいいのかな、それだけではなにか物足りないのではないか、このままでは旅への気力がわかなくなってしまうのではないか、と思えてきた。
今をときめくおじいさん哲学者と詩人が旅をどうとらえてるのか知りたくて本を買った。名作の紀行文のシリーズの末尾に添えられた対談をまとめたものだ。
どの紀行文も、徹底して「下」からの視点でえがかれている。エスタブリッシュメントであなく「どん底」から社会を見ている。
日本の新聞も、最初は「下」からの視点が強かったが、昭和になって大学出の記者を採用するようになって、エスタブリッシュメントの視点ばかりになってきたという。
なるほど、と思う。「下」の視点のルポはめったに大きく載らない。一方で首相のしょうもないひとことが一面トップにおどる。マスコミ労働者1人1人の「ニュース」感覚じたいが「上」からの思考に毒されているのだろう。オーウェルのようなどん底からの生き生きしたルポをかける記者は今の日本にはいなくなってしまったのかもしれない。
虫の目の旅人は、アフガンでは「ムッラー」のありかたに注目する。ムッラーは口移しで知識をつたえる教養人であり教育者だった。それが戦争によって「命令する人」になってしまった。(〓読み書きを知らないが故に、口でつたえる人が安易に「権力」になってしまう、という面も)
ソ連の強制収容所に収容された詩人の文章も圧巻だ。孤独な詩人が、ほかの囚人とともに収容されることで、詩を朗読し、みなと共有する喜びを知り、孤独から脱する。収容所の官吏がひどいことをすれば「憲法ではどうなっているの」「法律にしたがうべきか、それとも指令にしたがうべきか」と反論する。ソ連といえどもスターリン時代とは異なり、法を完全に無視するわけにはいかなくなっていた。法は一定の武器になっていたことが底辺の描写からつたわってくる。
ハイネの記念碑がドイツにはひとつもないこと、ハンブルクには強制収容所があったが、記念館をたてることをハンブルグ市は35年間拒みつづけていること……も、はじめて知る事実だった。
最後は、東京ディズニーランドを実際におとずれて、話題にしている。いったいなにをどう語るのだろう? と思ったら、さすが鶴見さんと長田さん。
ディズニーランドが飲食物持ち込み禁止であることをとりあげ、「行楽=手作り弁当」という日本の伝統文化がほとんど死んでしまったから、ディズニーランドが受け入れられたと説明する。昭和初期に食事をしながら歌舞伎を観劇する様子に西洋人が感心した、というエピソードも紹介し、欧州では20世紀に入って、食いながらの観劇は御法度になったという事実をしめす。でも今や日本でも「飲食禁止」の映画館がでてきている。
さらに、ディズニーランドは新しい聖地だとも指摘する。鎌倉の銭洗弁天も伊勢参も、民衆にとっては楽しみだった。そういう意味でディズニーランドは、日本では難しくなった一家団欒の場であり、新しい「講」なのだという。
詩人や哲学者というのは、身近な場所をも新鮮な感性をたもちながら歩けるプロフェッショナルな「旅人」なんだな、と思わせられた。
----------抜粋・メモ--------------
□シルクロード・キャラバン
パック旅行では、添乗員や案内人は「その他大勢」になってしまう。井伏鱒二は、駅前旅館の人たちでも添乗員でも、それぞれのパーソナリティを書き込んでいるし、戦中のシンガポール滞在記でもそう。
▽ソロー「森の生活」ソローが森にすんだのはわずか1年半。それがソローの思想全体の根幹をつくった。
□坩堝の街・坩堝の時 シカゴ
▽ワイルドサイドからみるか、エスタブリッシュメントに添ってみるか。アメリカの民主主義や自由主義にしても、ソヴェト・ロシアの社会主義にしても、エスタブリッシュメントの側からみる、というのが、日本の新聞の通信員の方法になってしまっている。明治のはじめや、・・・吉川英治とかは「オン・ザ・メイク」がわかっていいた人たち。昭和のはじめころ、大学出を資格にして新聞記者をとりはじめた。そうするとエスタブリッシュメントにぴったりくっついてしまう。
イギリスではオーウェルがどん底(ワイルド・サイド)からみる立場をとる。
▽シカゴは名刺をもたない人間が相会う場。
ハスクリーが「すばらしい新世界再訪」に書いたアメリカに、今の日本は似ている。かどのとれた人間がもとめられて、・・・大学なんかでも経営学・ビジネス専攻に人気がどっと集まって、リベラル・アーツへの関心ががたがたになっていった。
・・・日本の大学の教養課程が、リベラル・アーツだったはず。・・・旧制高校の3年間は、主として外国語の習得だけやっておけばいいわけで、岩波文庫を1日1冊読むとか、そういうことを競争する。じつはあれがリベラル・アーツに一番近かった。占領軍はそれがわからずに、古い学歴社会の象徴としてつぶしてしまった。
□豊かな貧しさ・貧しい豊かさ アフガン
▽「古代の目で現代を見る」ことができないと、アフガニスタンは見えない、たとえば世界を戦略的にしか見れない見方では何も見えない(構造主義的なものの見方)
西側の枠にはまったままアフガニスタンの記事を分析すると、退屈ということになる。逆にアフガニスタンの人々の内部から見れば別のものがあるのではないか。それがレッシングが出かけていく理由。「西側の人はわれわれが分裂しているという。自分たちの目でしか見ていないのだ。・・・マスードやハカニやその他の人物をつれてきては、国民的指導者になれるのではないかと推測する。それはアフガンのやり方っではない。われわれには地域の指導者がいて、互いに尊敬しあい、協力しあうんだ。。だがそこから国民的指導者が生まれてくることはない」
ムッラーは、書物を口移しで教える教育者・教養人だった。戦争はムッラーのあり方を、いわば戦争を支えて、命令する人にする。「ムッラーがこんなにも権力をもち影響力をもつようんいなったのはこの戦争の悲劇です」
「われわれは戦士なんだ。戦うことしか知らないんだ」
□方法としてのアレクサンドリア
「アレクサンドリア」(晶文社) 旅行記ではなくガイドブックとして書かれた。
□小さな国の大きな文化 ニカラグア
コルタサルは、演繹の方法をとらない。はじめは何をいっているのかわからないが、これが見えて、あれが見えて、そのうちに、しだいに巻き込まれていく。彼に借りた「両眼」の持ち主になれば「あ、こういうことか」とわかる。
日本人のなかには国境がほぼ必然的なもの。権力批判の運動が殉教か屈服かの二つの選択で考えられるのはそのため。大衆だけでなく知識人の大多数にとっても、海を越えるのは不可能という前提がある。中南米にも国境はあるけど、亡命しても、中南米という大きな世界で生きつづけることができる。
□虫の目で見たヨーロッパ
マリア崇拝は、「桃太郎の母」(石田英一郎)によると南太平洋にはじまって、東南アジア、インド亜大陸、ペルシアを経由して、ユダヤ教のなかに潜入して、キリスト教のなかで突如浮上した。カトリックは、マリア崇拝によって再構成されたもの。それが、カトリックがラテンアメリカで浸透力を発揮した理由です。グアダルーペの聖母にしても、カトリックにマリア崇拝がなければ、南米の住民がそういった幻をみることはなかった。
「幸福とはノルウェーでは抽象的観念ではない。木材と草と岩と海水から組み立てられていて、・・・最寄りの大都会から少なくとも2時間は離れてフィヨルドの岸辺にあるものだ」
□原型への旅 ソ連の強制収容所
ラトゥシンスカヤは捕まる前はすごく孤独です。逮捕されて、護送列車に乗せられて、ギューギュー詰めのなかで大声で詩を読んではじめて孤独でなくなる。「詩人」というのは「人々の口」なんだということを彼女は発見する。
自由を守る武器としての法律 収容所内の病院の「箱形房」への拘禁について、検事代理に向かって「憲法ではどうなってるの」と叫ぶ。法の監視人としての検事代理の答えは「憲法は関係ない」・・・「法律に従って行動すればいいのですか、それとも指令に従うのえすか」とくいさがる。
□世界をあるがままに見る スリランカ
★「ナマコの眼」 台所の実験からはじまる旅
アイスランド みんなが能力に応じて働かなければならず、男女差別なんてあり得ない。しかも識字率は世界でトップ。長い冬の間、本を読むしか娯楽がないから。実質的に社会主義がおこなわれている珍しい国。
「アボリジニ色、黒への逃避は絶望への逃避である。歴史の挑戦からの逃亡である」自分たちは黒だ、保護を要求する権利があるんだという運動になった「黒」。保護を支持する白人の群があって、会議はいつもスローガンにおいこまれ、ただ一つのスローガンに収斂する。・・・囲い込まれたアボリジニたちは狩りや採集生活を送るわけでもないし、ただ保護された者として生きていくしかない。「保護されうべきもの」という抽象的範疇になってしまうのだから、それは敗北である。
「国家を単位として歴史を記述できるのは、ごく限られた時代と土地にすぎない」
□負の遺産を継ぐために ドイツ
▽権力を奪取しなければ「有効」なことができないと思っている。
20年代の東大新人会のマルクス主義運動は30年代にひっくりかえって、生産力理論として軍国主義に奉仕した。
60年代の学生運動の、有効性をもとめた問いのその後。91年になると当時学生だった彼らは、会社ではかなり上の立場にいる・・・有効性を尺度にするとどうなるかという問題なんですよ。
▽「拷問された記憶は終わりまで消えない」といって自殺するユダヤ人もいる。拷問された記憶は消えない。拷問した人間は、拷問をくわえたことの記憶をもたない。
▽ハイネの記念碑はドイツにひとつもない。根強い反対がある。・・・ハンブルクには、強制収容所があったが、記念館をたてることをハンブルグ市は35年間拒みつづけている。
□イスラエル
▽ヨルダン川西岸で殺されたイスラエル人の葬儀。政治家が「われわれを憎む者たちのパレスチナ国家を必ずや阻止するものであります」とぶつ。・・・「無内容で紋切り型の挨拶」こそ、人々に苦痛や悲しみをもたらす「政治家の無能」をよく表している、とグロスマンは思う。
□メキシコ
▽テポストランという小さな村 どこの家でも窓枠に人形を置いて、外に向けて飾る。村を歩いていていつも人形たちに挨拶されている感じ。
▽アメリカは、ピューリタニズムの影響で食物は衛生的にというのが基本。衛生的だけど、特別にうまいものはないし、まずいものもない。家庭でのスープといえばキャンベルの缶詰。大衆食堂でも。缶をあけてあたためるだけ。アメリカ人は煮込み料理なんてのは時間のむだといってやらなくなっている。メキシコでは、ゆっくり煮込み料理をつくる。
□アメリカ
▽大英博物館 明日もくるというと、本を返さなくてもよくて、小さなテーブルの上にとっておいてくれる。
▽町に図書館をつくるというのが名誉であるという考え方がアメリカにはある。
▽バードという町で唯一の新聞を1人でだしている80歳のおばあさん。3代で100年以上毎週発行。孤立した島のような町だから、記憶が垂直に働く。だからこの町の人たちは「100年前の今日」のことを読みたがる。100年前のニュースをおもしろいと思う、その心情が、小さな町の新聞を成立させている。
死は1回しかないから、死がコミュニティの中心になる。「NYにまる1年いたんだが、たった1回の葬式にさえ出席しなかった。・・・毎日ずいぶんたくさんの人間が死んでゆくが、一度だって葬式にでてくれと頼まれはしなかった。死んだ人間のうちのたった1人さえ、わしは知らなかったからさ」よく知っていた人の死をみんなで送る、死がコミュニティの中心にある。コミュニティというのはひとの死に場所。ひとはふさわしい死を死ぬべきだという考え方がある。
▽運転手はサンタにもなるし、法廷吏もやる。いろいろな役目をする。・・・しかしNYで暮らせばサラリーマンはいったい1日いくつの役割を生きられるか・・・
TVを見た高校生「(TVをみると)なんとなく、だれもかれも取るに足らない人間のように感じてしまうんだ」
▽都市のサラリーマン社会では、大人になっても自分のほしいものがわからないでしょう。定年になっても、自分の欲しいものを得られなかったということになる。
□ディズニーランド
▽飲食物持ち込み禁止。行楽には弁当がつきもの、という日本人の行楽の楽しみ方を変えた。何千年とつちかわれてきた日本の手作り文化はすでに死んでいた。手作りの弁当なんてものは死んでいたんだ。だからディズニーランドは受け入れられた。
昭和のはじめ、歌舞伎を見た外国人が「芝居を見ながら弁当を食っていいのか、すばらしい」と感心した。欧州では20世紀に入って、食いながらの観劇は御法度に。劇場はシーンと息詰める場に。★映画館飲食禁止も?
▽ディズニーランドは新しい聖地。日本で難しくなった一家団欒、大家族があそこにある。鎌倉の銭洗い弁天とか、・・・も小さくて素朴なディズニーランド。宗教は専門家にとっては修行でも、人々にとっては楽しみでもある。ディズニーランドは、新しい「講」。昔のお伊勢参りみたいなもの。
▽ディズニーランドはフェイクのかたまり。その快感と宗教性。
「日本書紀」にでてくる皇子たちも悪党だらけ。そういう人間が皇統連綿としている。こんなものを怖れる必要はない。まっすぐによめばきわめて漫画的世界。まっすぐに読めなかったから、大東亜戦争なんて変なことになっちゃった。あれはディズニーランドに持ち込める書物なんです★。