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嬉しうて、そして…<城山三郎>未

■嬉しうて、そして……<城山三郎>文春文庫 201008
 城山三郎の最晩年の随筆や「私の履歴書」などをおさめる。
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 ▽23 学生の言い分に耳を傾ける教師が居なかったわけではないが、ほとんどの教師たちは教え子についてではなく、軍部の息のかかった筋にばかり気をつかい、教え子に対しては、むやみにいばり散らし、どなったり暴力をふるったり……教師自体が動きがとれなくなっていた。軍部という一種の暴力団体の言うことにとりあえずは従っておこう。

(暴力で押さえつけられると、暴力で下に当たる)
 ▽72 
 ▽92 金解禁。浜口は、官吏は1割減俸、総理は2割。浜口首相は、総理機密費を削り、総理の警備費も削った。そのために東京駅でほとんどガードのない状態で撃たれる。
 ▽109 私をボケと罵った自民党議員へ 個人情報保護法案 ……取材するときには相手の許可を得て、書いたものは相手の検閲を受けなければならず……治安維持法をつくった人、法案に賛成した議員たちがいったいどういう人間だったのかが、いま、わからなくなっている。その無責任さが今回の法案に対する議員たちの態度にもつながっている……だから歴史に議員たちの名前を刻むべきだと言っているのです。
 ▽112 今回の人権擁護法案では、公職にある者もプライバシーを尊重されるべきだ、となっています。
 ▽128 西光二等空佐「アメリカの訓練では事故の際、すぐ脱出ボタンを押して飛び出ろと教えられるけど、自分は部下に、絶対安易に飛び出てはいかん、とにかくまず海へ向かえ……最後の最後まで人家のない所まで行って飛び降りろと教えてます」。昭和38年、F104Jでエンジン故障。エンジンがとまった状態のまま千歳基地まで降下してきて、最後に基地の滑走路のはずれに墜落して亡くなった。脱出ボタンを押せば助かるのに。
 平成11年、自衛隊の練習機が入間川河川敷に墜落。2人のパイロットは、2回にわたって「緊急脱出」と叫んでいたが、脱出ボタンを押そうとはしなかった。1回目は真下が人口密集地だったから。途中で脱出する機会があったものを、自分の命を犠牲にして国民の命を守る。……日本の自衛隊は、人を救う使命を持つ組織というユニークさにおいて、おそらく世界でも例をみない存在です。
 ▽134 イラク……本来自衛隊は人を救うための組織なのだから、人を殺す可能性のあるところへ出してはいけない。最後の特攻隊長・中津留大尉。
 ▽167 突然の会社倒産によって就職活動をしなければならないとしたら、それはチャンスでもあるわけです。自分のセールスポイントはどこにあるかということをまずプラスの項目に書き入れる一方、自分を採用してくれない理由にどういうものがあるかと考えていく。そうするとひとりでにプラスとマイナスのチャートができあがる。
 そういう経験でもなければ、日本人は人生を「流して」生きるというか、プラスとマイナスについてきちんと考えないで過ごしてしまう。倒産に巻き込まれた人は、否応なしに人生を深く生きなくてはならない。
 ▽171 くびにならない程度に働いて給料さえもらえばいい、という「ぶら下がり社員」。会社で自分を殺して生きることが、果たして幸せなんだろうか。会社でもエンジン全開で、俳句という趣味の世界でもエンジン全開で生きている。そういう人生が素晴らしいと思う。人の2倍生きうる。
 ▽184 大賀さんが社長だった時代、……「私の提案を聞いてほしいと、今朝から5回も来ている」。普通の会社なら1回断られたら社長のもとには来られないはずなのに、ソニーには5回も提案しに来られる雰囲気がある。
 ▽198 若い経営者は「市場原理」や「資本の論理」を好んで口にする。昭和の日本の復興は「人間の論理」があったからこそ成し遂げられたことを忘れてはならない。
 ▽220 「これから先、いつも自分を少々無理な状態に置くようにしなさい」「少々」と「いつも」が大事。
 ▽240 漫然と生きていたのではその人に転機はないだろう。自分が何をしたいかわかっていれば、何歳になっても転機はあるだろう。人生に何を求めるのか。我慢強い問いかけの先に転機は訪れる。そのときは飛び込み、つかみ、育てなさい。
 ▽251 オーストリアは局外中立、永世中立というロマンを生きた国。それはドイツ軍とロシア軍によって踏みにじられた。……ロマンを求めてやまず生き続ければ、必ずそのロマンは達せられる。それはウィーン市民にしみついている精神のようだった。
 ナポレオンの大成の秘密は、「死を覚悟して、いつも軍の先頭に立つ」ロマンのためには何事も惜しまぬという姿勢である。だが皇帝になるころからそのロマンが怪しくなる。オーストリア皇帝の娘を后に迎え、妻を離縁する。ワーテルローの戦いでは身の安全ばかり考えて、後方で指揮し続けて敗北する。
 ▽2007年3月死去

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