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嘘つきアーニャの真っ赤な真実<米原万里>

嘘つきアーニャの真っ赤な真実<米原万里> 角川文庫 20100302

 1960年ごろのチェコのソビエト学校に通っていたときに出会った3人の女の子とのエピソードと、30余年をへて再会する話を描く。

 ギリシャ人のリッツァは共産主義者の父とともに亡命してきていた。本人はギリシャを見たことはないが、「青い空と海の国」を見てきたように語る。勉強嫌いでスポーツが大好き。でもレーニン礼賛の映画を見て「レーニンってずいぶんいい暮らしをしてたのね」と言う。実はレーニンは、地主として小作人からの小作料で生きていた。そのことを映像だけで見抜いてしまう感性を持っていた。
 夏休みや日祝日には宿題がない、大学の授業料も無料……といったソ連の学校の意外な自由さと鷹揚さ。それに比べて帰国後に通った日本では1学級45人もいて、授業では先生がしゃべりっぱなしで、退屈であるという現実など、細かな描写も意外性があっておもしろい。
 30年後、再会したリッツァはドイツ人と結婚して医者になっていた。在チェコのギリシャ人コミュニティはプラハの春をめぐるソ連の侵入で真っ二つに割れていた。リッツァの父は、ソ連侵入に異議を申し立ててチェコを去ることになったのだった。

 ルーマニア人のアーニャはチャウシェスク体制の要人が父親だ。先生を「同志」と呼ぶほど教条的で、労働者階級の政府を心底信じ、故国ルーマニアを徹底して愛していた。だが、住まいは使用人がいる豪邸だった。
 チャウシェスク体制が倒れたあと再会する。兄は特権階級であることをいやがり、父母と離反していたのに、本人は引け目は感じず、チャウシェスク時代に特権をつかって国外に脱出していた。さらに彼女の少女時代の極端な愛国心には、純粋なルーマニア人ではないという出自を巡る劣等感があったのだった……。
 ルーマニアの自主独立路線は、かつて日本の共産党は強く支持していた。ところが実際に現地を取材していれば、国粋主義的・排外主義的な締め付けやチャウシェスク個人崇拝が進んでいることが見えてもおかしくない状況だった。なぜ当時の赤旗などの記者たちはそれが見えなかったのか。いや見ようとしなかったのか。でも、オーウェル的な強靱な知性と見る目を求めるのは酷なのかもしれない。自分の思考の枠組みを壊すことは想像以上に難しいものだから。

 ユーゴスラビア人のヤスミンカは、父がパルチザンの闘士だった。彼女自身も優秀で芸術の才能にすぐれていた。ユーゴは当時、ソビエトと距離を置いていたため、学校でも孤独感をかんじていた。それが、ソビエト共産党と距離を置いた日本共産党員の父をもつ筆者と共感するきっかけとなった。そういった国際情勢のなかで翻弄され、ヤスミンカはその後、学校を辞めざるを得なくなる。
 30年後、ユーゴは泥沼の内戦状態にある。
 東欧の人間が「東欧」と言われるのを嫌って「中欧」と称するのは、「東」への蔑視があるという指摘はなるほどと思った(脱亜入欧に似ている)。サイードのオリエンタリズムにつながる部分だ。ユーゴの戦争のきっかけとなったスロベニアとクロアチアの独立宣言は「脱東入西」の思いのあらわれであり、経済先進地のカトリック圏と、後進地域の正教圏の争いでもあった。そんな泥沼の戦争のなかで2人は再会できるのか……?

 へたな探偵小説を読むよりよっぽどスリリングで、3人の女の子を通して現代史の悲劇を浮き彫りにしている。すごいエッセーだ。
 学生時代に旅行で会った人にもう一度会ってみようか、訪ねてみようか……。そうしたらなにかが見えてくるのかもしれないなあ、などと考えさせられた。


 異国、異文化、異邦人に接したとき、人は自己を自己たらしめ、自分に連なる祖先、文化を育てた自然条件、その他諸々のものに突然親近感を抱く。これは、一種の自己保全本能、自己肯定本能のようなものではないだろうか。

 

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