平凡社ライブラリー 20091129
絞首刑のあと、死体の近くで酒を飲み笑いころげる。ロバの死骸が路傍で犬に食われるのを見て腹をたてるのに、薪を背負って運ぶ老婆の存在は意識しない。白人である筆者を尊敬する黒人兵を見て「あといつまでこの人たちを欺いていられるのだろう」と考える。
暴れ象を射殺したときは、貴重な財産である象を撃つ必要など感じないのに、「土民たち」の期待が高まり、支配者としての威信を保つため射殺する。後から苦力が象に殺されていたことを知って「これで象の射殺を正当化できる」とホッとする……。
植民地で憲兵をつとめるオーウェルは植民地支配を不当だと思っている。でも彼の描くのは、死=厳粛、被支配者への共感、人種差別=悪……という「良心」の型におさまらない光景ばかりだ。非倫理的で不条理な光景や思考を正面から表現することで、植民地では、支配者(白人)もまた「支配者」の役割を演じる滑稽な操り人形でしかないことが浮き彫りにされる。
自らの主義や良心や立場によって、現実を見る目が曇ることをオーウェルは徹底的に戒める。だからファシストだけでなく、「味方」であるはずの左翼をも批判する。
スペイン内戦を前にして左翼雑誌は当初、「戦争は地獄」と平和主義を説いたが、後に「戦争は栄光」とロマンチックな戦争を描きだした。主義や方針の転換によって「現実」の描き方は容易に転換した。
オーウェルは、悪臭と汚物とシラミにまみれた戦争の現実から説き起こし、「『正義』のためだろうとシラミはシラミだ」「反ファシスト派のほうが大筋では正しいが、いずれにせよ、党派的歴史であって細かい点は信用できない」と書く。
書かれたものだけが「記憶」となる。だからこそ、政治的な抽象的な言葉ではなく、現場の不条理な現実を具体的に記録しようとしつづけた。
地べたの現実を見つづける彼の立場から第二次大戦を見ると、ヒトラーに降伏するか戦うか二者択一の状況のなかで、「絶対的平和主義」などは茶番である。むしろ「進歩的になりすぎた左翼の腑抜けどもよりはましだ」と軍国主義者を評価する。軍国主義者は、忠誠を尽くす対象が社会主義に転換する可能性があるが、「革命のとき、ひるんで逃げ出すのは愛国心を感じなかった人間」だからだ。
では、反ソ連の立場を明確にした社会主義者であるオーウェルにとっての「希望」はどこにあったのか?
彼は「国際的プロレタリアート」という左翼のスローガンは「絵空事」と断じる。「大半の労働者は他国の虐殺よりサッカーのほうが関心がある」からだ。だが一方で、労働者だけが最後までファシズムとたたかいつづけるだろう、と期待を寄せる。
植物は盲目で愚かだが、常に光の方に向かって伸びることだけは知っている。同様に労働者はひとえに人間らしい生活のためにたたかいつづける--と。
彼は労働者の「物質主義」を「人間の運命や存在理由に悩むのは、苦役と搾取をなくした後である」と擁護する一方で、長いスパンで見たときは、「死後の生命に対する信仰=キリスト教」が消滅した後の穴を埋める「天国と地獄とは別の善悪の体系」をつくらなければ人間が文明を救うことはできないだろうとも書いている。
格差や物質的貧困と同時に、「幸せ」の姿が見えなくなっている現代を予見しているようだ。でもどんな混迷状態にあっても、「人間らしい生活」を求める動きは人が生きている限り継続するだろう。そこにこそ希望がある、とオーウェルが今生きていたならば主張することだろう。
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▽象を撃つ植民地ビルマの武装警察官だったとき、暴れ象を撃ちにいく。貴重な財産である象を撃つ必要などないと思うのに、「土民たち」の期待が高まり、支配者としての威信を保つため射殺する。苦力が1人、象に殺されていたことを知って「これで正当化できる」とホッとする。支配者とて「自由」ではない。支配者は「支配者」の役割を演じるしかない。構造のなかの操り人形でしかない。植民地支配の滑稽な側面を浮き彫りにする。
▽マラケシュモロッコでは、ロバが酷使され、倒れると路傍に打ち捨てられ、犬に食われるのを見て腹をたてる。なのに、薪を背負って運ぶ老婆には気づかず「薪だけが通り過ぎている」と感じる。白人である筆者を黒人兵は尊敬のまなざしを向ける。「あといつまでこの人たちをあざむいていられるのだろう。どれだけたつと銃口をこちらに向けるのか」と思ってしまう。いずれも「不条理」という現実を詳細に描写する。正義や良心というものでとらえきれない現実を描く。
▽右で左であれ、わが祖国筆者は軍国主義者ではなく、平和主義に近い。右翼ではなく社会主義に希望を見る。だが彼の舌鋒は「味方」にも向く。「戦争でたくましくなる」という青年将校を嗤う。が、軍事知識を少しもつようになると「進歩的な人」から疑いの目で見られるようになる。絶対的平和主義に対しては「ヒトラーに降伏するか戦うのが2つに一つしかない」と説く。パブリックスクールにおける軍国主義教育を批判しつつ、その育ち故に「国歌」に愛着を覚える。進歩的になりすぎた左翼知識人よりはマシという。なぜか。スペインの国際旅団で勇ましく戦死した若き共産主義者たちはパブリックスクール的だった。軍国主義者は、忠誠を尽くす対象が社会主義に転換する可能性がある。だから「左翼の腑抜けども」と呼び、「革命のとき、ひるんで逃げ出すのは愛国心を感じなかった人間なのだ」と言う。
▽スペイン戦争回顧悪臭と汚物とシラミにまみれた戦争の現実から説き起こし、「正義のため」だろうとシラミはシラミだ、とつづる。左翼雑誌は当初は「戦争は地獄」といって平和主義を説き、後に「戦争は栄光」と180度態度をかえて、ロマンチックな戦争を描きだした。いずれも「現実」を知らないと批判する。もちろん彼は右翼よりも左翼を支持している。だが、フランコ側だけでなく政府側も嘘をついてきた、と言う。反ファシスト派のほうが大筋では正しいが、いずれにせよ、「党派的歴史」であって細かい点は信用できないという。書かれたものだけが「記憶」となる。換言すれば勝者の歴史だけが歴史となる。古代の「奴隷制」はその典型だ。支配者側の記録は数多いが、はるかに多数だった奴隷の中で名前が記録されているのはスパルタクスら数えるほどだ。いかに「歴史」が事実と異なるかをスペインでの体験から見通している。左翼のスローガンである「国際的プロレタリアート」などは絵空事だと断じる。「他国の虐殺よりサッカーのほうが関心をそそっているのだから」と。だが一方で、労働者だけが最後までファシズムとたたかいつづけるだろう、と期待を寄せる。労働者を植物になぞらえる。植物は盲目で愚かだが、常に光の方に向かって伸びることだけは知っており、しかも、何度失敗しても懲りずに伸びていく。同様に労働者はひとえに人間らしい生活のためにたたかう。これは今も言えるのではないか。「人間らしい生活」をもとめつづける動きは社会主義国家がなくなったとしてもかわりはない。そこに希望がある。だから、「労働者は物質主義的だ」と批判する知識人にはこう反論する。十分な食べ物、失業の不安からの解放、動物的労働からの解放、1日に1度の入浴……その程度の生活は20年間必死で努力すれば全世界で実現できるはずだ。戦争よりもはるかに容易なはずだ。それらは本質的な解決ではないが、それらが解決しないかぎり、人類の問題など取り組めない。だから、労働者が物質主義的であることは正しいのであり、魂よりも腹が先であることは正しい……。これは今につながるだろう。今は「経済成長」という市場主義原理主義がある。「そんなことより職をくれ、住宅をくれ」という労働者の運動は正しいのだ。(スペイン戦争の初期の数カ月、不思議なほどの高揚感があったという。ニカラグアの内戦初期)スペイン戦争は技術的に低レベルな戦争だった。だから武器を持っている側が勝つ戦争だった。ナチスやファシストはフランコに武器を与え、イギリスやソ連は武器を援助しなかったから政府は負けたと分析する。きわめて現実的な話だった。1936年にイギリスが武器を援助していれば勝てたとみる。
▽「動物農場」ウクライナ版への序文パブリックスクールを卒業後、ビルマの武装警察で5年つとめた。1928年から1年間パリで文筆病をめざしながら極貧の生活を送る。スペインでは味方であるはずの共産党がトロツキスト狩りをして、そこから命からがら逃げ出した。そのなかで、全体主義のプロパガンダが進歩的な人々の主張を容易に左右することを学んだ。大切なのは少数意見を口に出してもけっして生命を脅かされない国であること--という。(福沢諭吉の現実主義にも似ている)1939年まではナチスの本性を見極められなかったが、ソビエト体制についても同じ幻想を抱いている、と左翼知識人を批判する。社会主義運動を蘇生させるにはソビエト神話を打破するしかない。そんな思いで書いたのが「動物農場」だという。
▽貧しき者の最期貧しい人が放り込まれるパリの病院。物扱いされる患者の一人となり、その体験を自分自身をも突き放し、詳細に描く。不条理が浮き彫りになる。病院に対する恐怖はたぶんいまでも貧しい人の間には残っているし、一般の人々の場合でも最近やっとなくなったものである。19世紀の悪臭のむんむんした、苦痛に満ちた病院。その記憶が呼び覚まされた。(今の日本でも行旅病人の病院は同じ、いや悪化? 悪質な老人ホームも)
▽あの楽しかりし日々パブリックスクールに入る前の5年間、8歳から13歳までをすごした。ブルジョアの息子たちの学校。階級があるのが当たり前。金持ちの息子は優遇され、奨学金をもらって入学した筆者は「勉強しないと〓になるぞ」と脅される。カネがない家の子は誕生日のケーキも出してもらえない。食事が足りず、入浴も洗濯もろくにしてもらえない……それがジェントルマンを育てるためのいわば訓練ととられた。たぶん20歳のときならば、私はいまではとても不可能なほどの正確さで私の学校時代の生活を書くことができたであろう。しかし、ある期間をおいたあとの方がかえって鮮明になるという記憶もある。……(竹の刀を折ったときの後悔と涙、ナトリへの石投げ、米国であいさつなきこと……後悔鮮明)「性」 5,6歳のときの「お医者ごっこ」。その後は、性的な行為が快いことも忘れていた。ペニスがひとりでに立つことに気がつく……子供は30歳以後の人生というものの姿を思い描くことがほとんどできない。25歳の人間は40歳だし、40歳の人間は65歳……と思い込む。(1999年に地球が滅亡する、という話)(子どもの微妙な気持を覚えていてつづっている、そんな感覚忘れてしまったなあ。ウルトラマン処刑場面「大人になればわかる」と言われてえらく恥ずかしい気持)
▽「私の好きなように」より死後の生命に対する信仰が消滅したあとに大きな穴が残される。その穴を埋める、天国と地獄とは別の善悪の体系をつくらなければ人間が文明を救うことはできないだろう。人間は、物質的な意味で満たされるだけで幸福になるわけではない。逆に、人間の運命や存在理由に悩むのは、苦役と搾取をなくした後である。キリスト教衰退によって失ったものがいかに大きいか認識しないならば、未来について価値ある想像図を持つことはできない。(「幸福論」の出番 まさに現代の悩みを先取りしている)全体主義下でも内面は自由でありうると信じる人への批判。人の思想は完全にはその人自身のものではない。励ましや読者だけでなく、他の人からの不断の刺激を必要としている。話すことなしに考えることは不可能。デフォーが本当に無人島に住んでいたならば「ロビンソン・クルーソー」を書くことはできなかったろう。言論の自由を取り去れば、創造能力は干上がってしまう。(創造性は表現、関係性から生まれる、という指摘も新しい)ソビエト文学 文学の迫害者「われわれの社会主義体制は、人類の文明と文化の歴史において最善のものを具現しているのであるから、もっとも進歩した文学を創造することが可能であり、かような文学は、過去の最高傑作をはるかに凌駕することだろう」という戯画。それを社会主義華やかなりしときに「左」の側から批判する目をもっていた。ビルマの少数民族問題も予言し、カレンの友人が「イギリス人に200年間ビルマに留まっていてほしい。私たちはビルマ人に支配されたくないから」と言った。……実のところ少数民族の問題あ、ナショナリズムが実力を保っているかぎり、解決不可能。自治権の要求を確実に満足させようとしたら、ビルマ全体としての主権は侵害せざるをえない。ひとつの集団に対する同情が別の集団に対する冷淡さを伴うことは必然の成り行き。
▽「愛国心」(パトリオティズム)を頭から否定するのではなく、その有用性を認識するべきという主張。愛国心とナショナリズムを区別する
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