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コミュニティを問いなおす--つながり・都市・日本社会の未来 <広井良典>

 ちくま新書  1091017

  (1)人類史的な次元 (2)ポスト資本主義の次元 (3)日本社会固有の次元 という3つの次元から「コミュニティ」を論じる。
 ものごとを細かな要素に切り分けて個別に分析する「近代科学」は地動説をはじめとして「常識破壊的」だったが、さまざまなな関係性を含めた「全体」を見る現代科学への流れは「常識的な科学」という。近代科学は経済成長を前提とする資本主義と対応し、現代科学は「定常社会」であるポスト資本主義と対応する。
 「個」をバラバラに考える近代科学=資本主義の社会では、コミュニティよりも「個」が重視されるのに対して、「全体」や「関係性」に力点を置く現代科学=定常社会では、「コミュニティ」が重視されるようになる。
 農村型コミュニティ=空間コミュニティ(地域コミュニティ)
 都市型コミュニティ=時間コミュニティ(テーマコミュニティ)
 という2つの類型を示し、日本では前者が有力で、欧米では後者が有力だという。前者は同心円を広げてつながり、「ソト」に向かって閉じている。後者は独立した個人としてつながり「ソト」に開いた性格をもつ。
 前者は、情緒的かつ非言語的な一体感が人々を結びつける。後者では言語的・規範的な普遍的ルールがつながりを媒介し、この原理に賛同しさえすれば誰でも受け入れる。
 日本の高度経済成長で農村から都市に移動した人々は「カイシャ」と「核家族」という「都市の中の農村(ムラ社会)」を形成したから、欧米的な都市型コミュニティができず、欧米の都市に比べて個々人の社会的孤立が際だつことになってしまった。日本の都市の街並みの統一性のなさにもそれが表れているという。
 農村型・都市型の双方の要素が重要なのは言うまでもないが、日本ではとりわけ都市型のコミュニティづくりが不可欠である。「ケア」という視点で見た場合、地域(空間)を舞台としながら、ミッション型(テーマ型)コミュニティと自治体・町内会等の地域コミュニティとの融合が課題となる。こうした問題設定のありかたを「福祉地理学」と呼んでいる。「居住福祉」や「福祉社会」の問題設定と共通するものがある。

 「外部」との接点としての性格をもつ場所がコミュニティの中心になったという指摘もおもしろい。神社や寺は、彼岸・異世界との接点であり、学校は新しい知識という「外の世界」との接点。商店街は「他の共同体」との接点。福祉・医療施設は、病などの非日常性という意味での「外部」との接点である。
 異質なもの=「他者」との接点では「創造性」が生まれる。そういう創造的な場こそがコミュニティの中心としてふさわしかったのかもしれない。人類学的に言うならば「交換の場」と言えるだろう。そういう意味ではローカル線の「駅」の果たす役割は想像以上に大きい。「道の駅」を新たなコミュニティの中心と位置づけてもおもしろいかもしれない〓。
 「駅」を失った輪島、道の「駅」ができた山村などを調べて比較したらナニカが見えてくるかもしれない。(〓地域に「駅」をつくろう 鎮守の森を「駅」に)

=============覚え書き・抜粋==============

 ▽11 コミュニティ分類
1)生産のコミュニティ と 生活のコミュニティ (農村社会では両者が一致 会社は生産コミュ)
2)農村型コミュニティ と 都市型コミュニティ
3)空間コミュニティ(地域コミュ) と 時間コミュニティ(テーマコミュ)
 ▽14 「パイの拡大が個人の利益の増加にそのまま結びつく」という予定調和的な状況や前提--自己を中心とする同心円を拡大していけば、それが国全体と重なるという関係構造--はもはや存在しなくなる。
 ▽16 農村型(同心円を広げてつながる) 都市型(独立した個人としてつながる) 戦後、農村から都市へ人口大移動。農村から都市に移った人々はカイシャと核家族という「都市の中の農村(ムラ社会)」を作っていった。
 日本社会は、自分の属するコミュニティないし集団の「ソト」の人との交流が少ない、という点において先進諸国の中で際だっている。「集団が内側に向かって閉じる」
 ▽25 コミュニティとは本来的に外部に対して「開いた」性格のものでは。長期間その場所にとどまる人々が継続性を提供する一方で、新参者はクリエイティブな融合を生み出す多様性と相互作用を提供する……コミュニティは「創造性」というテーマとも結びつく(〓お遍路)
 ▽37 日本社会 稲作の遺伝子 比較的恵まれた自然環境で、小規模のきめ細かな集団管理や共同作業、同調的行動が求められる集団で形成されるような人間の関係性のあり方。「身内」のなかでの凝集度が高く、同時に、外部との交渉が比較的少ない。
 ▽41 日本の都市は、個々の建物が「孤立」して存在している。現代日本社会で、人と人との「社会的孤立」がもっとも高いという点とそのまま連動しているようだ。
 ▽61 農村型では、人と人とを結びつけるのは、「共同体的な一体感」で、情緒的かつ非言語的な性格。
 都市型は、つながりの原理は言語的・規範的であり、「個人をベースとする公共意識」。普遍的なルールないし原理・原則がつながりを支えており、理念に賛同すれば、誰に対しても「開かれて」いる。
 ▽65 農村型と都市型は、相互に補完的。「関係の二重性」人間のコミュニティは、重層社会における中間集団として把握できる。両者が人間にとって本質的な重要性をもつ。
 ▽69 黒川紀章 中心がある都市の時代は終わった。新しい都市は小地域の集合体。巨大な病院ではなく、多くの質の高い町の委員を、巨大な公民館ではなく、小さな劇場サロンを……。……統一的な「中心」ではなくても、人々が気軽に訪れコミュニケーションが生まれるような拠点的な場所は重要ではないか〓〓居住福祉資源の発想
 ▽76 日本のコミュニティの単位の変化
 1871 戸籍法制定 1区あたり千戸の戸籍からなる地域として神社1つを郷社指定。 →失敗
 1878 新戸籍法制定(郡区町村編成法)
 1889 市制・町村制……自然村を大字・小字に格下げ 義務教育を行う学区と、国民道徳の基盤としての神社の氏子区を統一的に関連させようとはかった。
 1906 神社合祀 南方熊楠が反対した。統合が、自然・コミュニティ・スピリチュアリティ(八百万の神々)が一体となった地域社会を解体してしまうから。
 地域コミュの原型 神社・鎮守の存在が核のひとつをなしているが、明治以降合併されてきた。神社中心のコミュの統合とパラレルに進行したのが行政上の自治体成立。〓〓
 ▽84 ケア 地域の空間を舞台としながら、ミッション型(テーマ型)コミュと、自治体・町内会等を含む地域コミュとの融合ということが大きな課題となる。福祉地理学。
 ▽87  伝統社会
 神社や寺 =経済・教育・宗教 都市化・産業化の時代:
 経済・教育の領域が宗教との一体性から独立。商店街や学校が中心として浮上
 ポスト産業化時代 宗教・経済・教育に加え「福祉」や「環境」が関心分野に浮上する。福祉施設・農園などがコミュの中心として意味をもつようになる。さらに、神社・寺もケアや環境学習の舞台として再発見される〓(鎮守の森)
 ▽92 「外部」との接点としての性格をもつ場所がコミュの中心としての役割を果たしてきた。神社・寺は、彼岸・異世界との接点。学校は新しい知識という「外の世界」との接点。商店街は「他の共同体」という「外の世界」との接点。福祉・医療施設は、病などの非日常性という意味での「外部」との接点。
(〓他者論からも考えられる? 他者との接点=創造性の原動力)
 ▽117 「都市計画と福祉国家」欧州では両者の政策がパラレルに展開してきた。が、日本では両者が全くの異領域として展開してきた。
 ▽155 時代につれて課税対象が変化。税はその時代の重要な「富の源泉」にかけられる。産業化以前は、土地などのストックが主要な課税対象。産業化時代以降、「労働(とその結果としての所得)」に移り、消費社会に至ると消費税という形が広がった。明治初期、地租が税収の8割。今後重要になるのは、土地や自然資源及び資産などの「ストック」への課税とそれを通じた「富の再分配」である。社会保障あるいは福祉国家の今後の方向として、「事後から事前へ」「フローからストックへ」 〓居住福祉
 ▽180 高島平団地での大東文化大学の団地再生プロジェクト 部屋のいくつかを大学が借り上げて学生や留学生が居住。ボランティア活動などをおこなう試み。
 ▽190 松江市〓 若年者街中住宅家賃助成事業補助金 中心市街地に居住する若年層の住宅費を補助。高齢化や人口減少の著しい中心市街地の活性化を目指す〓
 ▽200 2007OECD報告書 社会保障の今後の財源に関する記述の中で、土地課税が現在のOECD諸国においてなお「十分に活用されていない」とし、また、土地課税は脱税が困難であり累進的な設計ができ、「もっとも公平でありかつ効率的な課税の装置」と指摘している。 ▽212 ケアとしての科学 近代科学=人間を含む生物を基本的に「個体」を中心に把握するという考え方。(要素還元型)
 ▽217 現代科学は「古人の知恵」あるいは「常識」に回帰する傾向があると指摘できる。地動説をはじめ「近代科学」は「常識破壊的」だった。
 ▽221 近代科学=
 人間の自然からの独立・分離 個人のコミュニティからの独立・分離(それによって各個人の主観的な認識から独立した、「客観的な実在」なるものが観念されるようになる)
 人間を離れて存在し、かつ、個々人の認識からも独立している客観的対象を探究する営みとして、西欧近代科学が成立する。
 近代科学のコンセプトは 物質→エネルギー→情報→生命 という形で展開。力学→熱力学や電磁気学→遺伝(生命=情報)→
 脳情報とその伝達に科学的探究が向かうということは、「個人」という存在をコミュニティから切り離すことで成立した近代科学の基本的パラダイムを、根本から変更する。さらに、「生命」を単に「情報」概念によって説明するのではなく「生命そのもの」を探究の対象とする方向に向かうとしたら……
(1)個体を完結してとらえるのではなく、他者とのコミュニケーションや関係性において理解する
(2)人間と自然を分離してとらえるのではなく、その一体性や相互作用に注目する という二重の意味で、科学は「ケア」としての性格をもつようになる。
 ▽237 (1)価値判断や善悪の基準や原理がよく見えない(2)他者(他集団)との距離が限りなく遠く「非対称」的である、という日本社会の課題。
 戦後の日本社会では、「経済成長」が国を挙げての目標となった。それは「農村から都市への人口移動」という過程と一体であり、そのとき「単位」となったのは、「カイシャ」と「核家族」という「都市の中のムラ社会」であった。
 「経済成長」が圧倒的な価値となり、機能したから、「価値原理」といったテーマは無用とされた。(1)独我論という問題(個人や集団の孤立) (2)普遍的な価値原理の不在 (3)経済成長という目標への一元化
 ▽256 儒教 複数の民族や共同体が、武力による解決ではなく「言語」や規範を通じて共存するためのいわば「作法」として生成した思想。
 ベラーが「歴史宗教」と呼んだものは、いずれも異なるコミュニティ(民族や文化)を「つなぐ」原理」として生成した。〓それらの思想のいずれも「普遍的」な志向をもつことと重なっている。これらの普遍性を内包した思想は、一定の「グローバル」な伝播を果たした。だが他方、その範囲は「リージョナル」な範囲にとどまり、「普遍的思想のリージョナルな住み分け」とも言える構造が帰結した。……「普遍性」を志向する思想どうしが共存するということはもっとも困難。
 ▽270 日本は「普遍的価値原理の空白状況」 仏教・儒教の普遍的思想とローカルな自然信仰を混合させた。が、明治以降、西欧の思考への「文明の乗り換え」をおこなった。しかし、その基盤である価値原理(キリスト教)は受容せず「価値原理の空白」という深刻な事態に。ナショナリズムによって置換・統合しようとしたが、敗戦によってそれも否定される。戦後の事実上「信仰」となったのは、「経済成長」という目標であった。
 人間の歴史のなかで3度目の「定常化」の時代。それは紀元前5世紀前後に普遍的な原理を志向する思想が地球上で同時多発的に生成した時代と同型の時代状況。新たな根本的な思想の生成が待たれている時代ではないか。
 ▽275 ローカルな多様性や固有の価値がキーになる。 歴史より地理を、(ヘーゲル的な)時間よりも空間を重要な基礎概念とする思想になるはず。
 ▽278  コミュニティをめぐる課題群は
1)人類史的な次元
2)ポスト資本主義の次元
3)日本社会固有の次元
 で認識され、実践されないといけない。

 

 鎮守の森の再評価 熊野神社

祭りの統一 天神からからころまで

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