■文藝春秋20240519
著者は剣道・居合・長刀を実践するニュージーランド人の武道家。
新渡戸稲造の「武士道」とは異なり、みずから武道をやっているからこそわかる身体感覚についての記述がおもしろい。
たとえば「残心」。「一本が決まっても、気を抜かず、相手のどんな反撃にもただちに対応できるような身構えと気構え」ということだから、試合に勝ってガッツポーズするのはダメ。競技スポーツになり、柔道から残心が失われた、となげく。
江戸時代の「武道初心集」は、武士が健康に長生きするため死を意識することを強調する。「葉隠」はもっとはげしくて、ふたつの選択肢があった場合、武士は死ぬ確率の高いほうを選ぶべきだとする。
いずれにせよ「死」を意識することをもとめる。
生きることに執着し死を怖がれば、体や心がこわばる。死をおそれなければより合理的な動きができる。剣道では「捨て身」にならなければ完全な一本を打てない。捨て身とは死を覚悟することだ。
武道家だから身体感覚からそう断言できる。
「死」を意識することは人生そのものを充実させるにも不可欠だ。くだらない欲もねたみも消え、最後の瞬間に満足して死ぬことを考えることができる。日々の暮らしもその基準から考えられる。
「常に死を問うことで、武士道はその生を問うている」という。
日本の武道人口は減りつづけ、フランスの柔道連盟への登録人口は57万人だが、日本は17万人弱とフランスの3分の1以下になった。さらに競技スポーツ化して精神性が軽んじられている。海外で人間形成や精神修養といった本質が継承されながら、日本ではそれが衰退している。
死を意識することで、一瞬一瞬(今・ここ)を大切にし、生に畏敬を抱く精神は、「日本独自の文化」として大切にするよりも、世界に通用する哲学であることこそが見直されるべきだという。
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▽ 残心「一本が決まっても、気を抜かず、相手のどんな反撃にもただちに対応できるような身構えと気構え」
競技スポーツになり、柔道から残心が失われた。
▽60 武道をとおして私に生じた最も大きな変化は、何ごとも人のせいにしなくなったということだった。
▽115 「武道初心集」において、死を意識することが大事なのは、あくまで武士が健康に長生きするため。死の覚悟を強調しつつ、それはあくまで「無駄な死」「迷惑な死」を避けるためだった。
「葉隠」は、ふたつの選択肢があった場合、武士は死ぬ確率の高いほうを選んだほうがいい、とする。
▽128 生きることに執着があれば、死ぬことが怖くなる。そうすれば心に抑制がかかる。体や心が十全に機能しなくなる。生死にこだわらないと、心が恐怖から解放され、より合理的な動きができる。それは武士たちの訓練の大きな目標の一つだった。
▽143 剣道では「捨て身」にならなければ完全な一本を打てない。捨て身とは死を覚悟することだ。
人生最後の瞬間は人生のピークだともいえる。常に死を問うことで、武士道はその生を問うている。
▽164 「兵法家伝書」の活人剣の考えを平和活動に生かすNPO「平和のための武道」。紛争地の子どもを集めて寝食を共にさせ、武道を教える合宿をする。ユダヤ人空手家が2004年に設立。
▽178 日本の武道人口は減り続け、フランスの柔道連盟への登録人口は57.6万人だが、日本は17万人弱とフランスの3分の1以下。
▽185 伊丹市のなぎなた連盟事務所へ。天道流薙刀という古武道と現代なぎなた、居合道の稽古に励んだ。
1995年京大文学部日本史科の研究生として武道研究。
▽196 武道のもつ精神性は、武道がグローバルな展開を見せるひとつの原動力だ。武道に精神的な充足感をもとめる傾向は、欧米社会の場合、キリスト教離れや教会離れと表裏の関係にある。
……武道の哲学的支柱の武士道には、一瞬一瞬を大切にし、生に畏敬を抱く思想が脈打っている。武道をやることは自分の人生のフレームワークを与えてくれる。
▽200 武道を日本独自の文化として重視するよりも、むしろ武道が世界に通用する潜在力を有している点こそが見直されるべきだと思う。
▽203 海外で人間形成や精神修養といった本質が継承されながら、日本ではそれが衰退している。
▽214 世界の人々は武道の神髄たる精神性をこそ強く求めた。
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