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まちで生きる、まちが変わる つくば自立生活センターほにゃらの挑戦<柴田大輔>

■夕書房 20240221

 たんなる「障害者福祉の本」ではない。自立生活に挑む障害者と、地域住民と、地域社会のダイナミックで感動的な成長物語だ。
 かつて重度障害者は「就学免除」という名目で学校に通う権利を奪われていた。養護学校に行けるようになっても、卒業後は自宅や施設で隔離されてきた。「普通学級」に通っても、ほかの生徒に遠慮して小さくなっていることが多かった。
 1980年代から、一人暮らしに挑む障害者がちらほらとあらわれる。最初は家族に反対され、行政の制度もないからボランティアを募るしかなかった。
 そんな当事者が「自立生活センター」を組織して行政に制度改善を働きかけるようになった。一人ひとりに対するピアサポートなど、それまでボランティアでやってきたことを業務として取り組みはじめる。
 「つくば自立生活センターほにゃら」はそんな自立生活センターのひとつとして2001年に結成された。

 学習の権利を奪われていた重度障害者は、時計の読み方も簡単な計算もできない。計算ができないから無駄づかいをしてしまう。自分が具体的にどんな介助をしてほしいのか、介助者に伝えることも最初は困難だ。
 でもひとり暮らしをはじめて、どんな料理を食べたいか、どうやって服を着替えたいか、自分がなにをしたいのかを介助者に伝える経験を積みかさねることで、生活能力を高め、自信をつけ、人間として成長していく。
 そして彼らがまちにでることで、周囲の住民の「気づき」をうながし、商店や食堂がスロープをもうけ、行政も制度をつくる。地域そのものがだれもが住みやすいまちに成長していく。
 そうした成長の背景には、人権をめぐる国際的枠組みの「成長」もあった。
 隔離よりは普通学級での「統合教育」はましだとされたが、この段階では、障害者の側が努力して健常者に溶け込まなければならなかった。
 2014年に批准された国連の「障害者権利条約」では、「障害」は個人の側にあるのではなく、社会の側の欠如がつくりだしているとし、障害者が排除されない「インクルーシブ社会」を実現しなければならないと定めた。
 「ほにゃら」は、そんな世界の障害者の人権運動の先頭を走ってきた。
「障害のある自分たちにとって仕事とは、世の中でいわれる『働いてお金を稼ぐこと』ではなく……生きることそのものが仕事だ。自分たちの生きる姿をさらすことで、世間にインパクトを与え、社会を変えていく」
 そんな言葉に「ほにゃら」の意志と意義が集約されている。
 筆者は、中南米の人権問題にかかわるフォトジャーナリストだが、日本では定職についたことがなく、根無し草のような生活を送っていた。それが「ほにゃら」のメンバーの介助に入り、ともにすごすなかで、ともに生きる仲間と、自分のすむべき場を見出していく。
 障害者と地域住民と地域社会の「成長物語」であるだけでなく、筆者自身の学びと成長のストーリーになっていて、親近感をおぼえた。
▽2 つくばは2023年、人口増加率1位。
 同時代にまったく異なる価値観で、世界基準の「発展」が進んでいた。だれもが暮らしたいまちで自分らしく生活できるインクルーシブなまちづくり。その道を拓いてきたのが「つくば自立生活センターほにゃら」
▽15
▽19 これまで一度も就職したことのない僕には、いつもこの社会に身の置き場のない所在なさがある。
 コロナで仕事がなくなる。
 介助ヘルパーに。
▽23 「長男、一人っ子。そんなあなたの後始末を、これまで誰がしてきたのかよくわかったでしょ」と妻のきびしいひとこと。
 ……「まずは自分が「自立」しなければ」〓
▽26 自立することで「出会い」が生まれる。
 ……ほにゃらを……これが世界最先端の暮らしだということに気づくのは、もっと先のことだ。
▽34 「障害のある人がまちで暮らすことが一番、世の中を変えることになる」
▽36 まちのなかにベンチが一つ増えただけで、人の動きが変わり、新しい出会いが生まれる。(トイレも)
▽42 24時間の介助。ボランティアが足りない。
「困っている障害者を助けたい」と言って入ってきた人が、事情があったにせよ、突然辞めていなくなったり。そういうとき、「僕は思うわけですよ。「なんで、そんなに簡単に見捨ててくれるわけ?」って。だって、介助をやめると言われたら、僕は死んじゃうわけですから。
▽51 「自立生活センター」当事者が主体になり、組織化して行政交渉にのぞむ。一人ひとりに対するピアサポートなど、それまでボランティアでやってきたことも、業務として取り組める。2001年「つくば自立生活センターほにゃら」を設立。
▽67 障害者施設 教室のような部屋に20人くらいゴロゴロしている。仕切りもなく、プライバシーもない。夜は別の大部屋のベッドで寝る。こんなところで20年も暮らしている。
▽77 障害のある自分たちにとって仕事とは、世の中でいわれる「働いてオカネを稼ぐこと」ではなくて、「生きることそのものが仕事」だ。自分たちの生きる姿をさらすことで、世間にインパクトを与え、社会を変えていく」(作業所との発想のちがい)
▽101 自立生活では、やりたいことはその都度、自分の言葉で介助者に伝えなければならない。「自分」を表現しながら、暮らしを築いていく。
▽120 「障害のある人にとって、もっとも重い障害となるのは、教育を受けていないことだ」学校に行かないから、時計の読み方や簡単な計算もできない。金の計算が苦手あから、ほしいものを買いすぎてしまい、トラブルになることも。
……社会からの隔絶が、経験を積みかさねる機会、教育の機会を奪い……、
▽169 国は、どんな障害があっても、障害のない人と同じように地域で生活することを法律で保障している。〓
国連障害者権利条約第19条には、自立生活、地域生活のことが書いてあります。私たちの生活は、国連で認められているんです。
▽187 2006年千葉県で「障害者差別解消条例」。2013年に「障害者差別解消法」、14年、国連の「障害者権利条約」批准。
 条約全体を貫いているのが「障害の社会モデル」「障害」は人の側にあるおんではなく、社会がつくりだしている、という考え方。
▽199 2018年、つくば市で「合理的配慮」の助成制度。点字メニュー作成やスロープ、手すりの設置、トイレの改修工事などに対して交付。ほにゃらの請願書がきっかけに。
▽212 誰かがやってくれたことに、人は関心をもつことができません。……民主主義にとって最も重要なのは、参加することです。……当事者意識をもって参加する人を増やすことが重要です」
▽235 大事なのは「自分で行動を決めること」。自分で決めた行動を自力で行うのが難しいなら、ヘルパーに伝えてかわりにやってもらう。それは障害者にとって、自分でやったことと同じだ。それが「自立生活」
……介助者には、どんな些細なことでも、まずは本人の意志を確認することが求められる。介助者が先回りをして何かをすることは、やってはいけないこととして教育される。
▽259 一番大切なのは、介助派遣ではなくて、ピアカウンセリング。……15分話したら15分聞く。聞いた話は絶対に人には話さない、絶対に相手を否定せず、アドバイスをしない。「ピアカウンセリングの根底には、人には自らの課題を自分で解決する力がある、という考えがあります……自分で課題に向き合い解決できれば、傷ついた人も自分を認めることができる。自信がつき、他人とも対等な関係をつくっていける。この変化こそが社会を変えていく。」
 一人ひとりの内面が変わることで、社会は変わっていく

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