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流浪 金子光晴エッセイ・コレクション

 大庭萱朗編 ちくま文庫 20060620

放浪の詩人の文章を一度読んでみたかった。
子どもの思い出から、30歳代の7年間にわたる旅行の後までを記したエッセーをあつめている。
とりわけ妻の森三千代とともに歩いた7年間の旅行の描写は興味深い。

旅の途中でも妻はほかの男とくっついたり別れたりして、その様子を金子に細々と語る。
金子は金子でそれを淡々ときく。三角関係になった相手の男と話し合うこともある。
その自由で寛大な感性は、現代の私たちでも追いつけない。
7年間も海外をほっつきまわった大正末期は、
「どこかたがの弛んだ、ゆとりのある世間であった……大正っ子はお国のためなどよりも、じぶんたちのことしか考えられなかった」という。
また当時の上海は
「風来坊にとっての天国であって、……ながれてきたアナキストたち、浮浪人……魯迅も、あの頃は、アナキストとして、創造社のコラムニスト文人どもからすかんをくらって、ぼくなどとおなじ立場でくさっていた」
そんな「自由」がぼんやりと社会を覆っていた時代が戦前にもあったのだ。
なのになぜその後、自由はいとも簡単に圧殺されていってしまったのか。
「自由」ってそんな弱いものなのだろうか。
「関東大震災が歴史をかえた」という人は多い。
「江都以来の習性になったあなたまかせで安堵していた国民が、必ずしもゆるぎのない地盤のうえにいるのではなかったということを、おぼろげながらも気が付きはじめたようにみえた」
と金子も書いている。
そして金子の海外生活の間にも日本の空気はガラガラと変わっていく。
「日本の旧式な、露骨な侵略主義は、ヨーロッパのどこでも、好意をもたれてはいない」
とヨーロッパで記した。
「西欧が侮っているあいて(原住民)にはおなじ態度をとることで、西欧諸強国に並ぶことと考えていたので、支那人に対しても、ほぼ同様な、あいてを下目にみる態度にかわりはなかった」
と、現代にまでつづく日本人のアジア人蔑視も旅行中に感じとっていた。

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