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詩のこころを読む<茨木のり子>

■岩波ジュニア新書20221227
 「自分の感受性ぐらい 自分で守れ ばかものよ」で有名な茨木のり子は昔から好きだったが、彼女が好きな詩ってどんな詩なんだろう? そう思って手にとった。

 「生命」をめぐる詩にまずひきつけられる。
「空の世界からきて、空の世界にかえっていく。だれかに手を引かれて」
「天と地の精気が、ある日あるとき凝縮して、自分というものが結晶化される」……。
「生まれるってな、つらいし 死ぬってな、みすばらしいよーー んだから摑まえろよ ちっとばかし愛するってのを その間にな」
 こうやって生命を俯瞰する詩をよむと、どのように生まれて死んだとしても嘆くにおよばず、「今ここ」を生きればいいじゃないかと思える。
 生命とは、自分のなかに欠如を抱き、それを他者から満たしてもらうことであるとうたい、弱くて何かが足りないからこそ人はつながっていける、という内容の詩があった。「敬虔な祈りの声のよう」と茨木は評価する。
 「子どものとき、季節は目の前に ひとつしか展開しなかった。今は見える 去年の菊……十年前の菊。遠くから まぼろしの花たちがあらわれ 今年の花を 連れ去ろうとしているのが見える……そうして別れる 私もまた何かの手にひかれて」
 石垣りんのこの詩は老いの豊かさと哀しみと命の不思議があふれている。
 「死の時には私が仰向かんことを!……せめてその時、私も、すべてを感ずる者であらんことを!」という中原中也に対しては、「人間の意識層を100とすると、人はたいてい10%くらいの表面意識で暮らしていて、あとの90%は未開発のまま死ぬという説があり、私もそうじゃないかと思っているのですが、そのことのこわさ、もったいなさを、中原中也はカンでつかみとって人々へ投げかけている」としるす。

 茨木がかかげる「よい詩」の定義は明確で辛辣だ。
・照れくさかったり、むずがゆくなるのはダメな詩。
・感情の奥底から発したものでなければ他人の心に達することはできない。「死んでいる詩」 は、感情の耕しかたがたりない。
・言葉が離陸の瞬間を持っていないものは、詩とはいえない。じりじりと滑走路をすべっただけでおしまい、という詩がなんと多いことか。
・浄化作用(カタルシス)を与えてくれるかくれないかが芸術か否かの分かれ目。
・詩歌は喜怒哀楽の表出だが、日本の詩歌は「哀」において多くの傑作を生み、「喜」や「楽」にも見るべきものがあるが、「怒」が非常に弱い。金子光晴は例外的に「怒」を表現した。

 「遠くのできごとに人はやさしい 近くのできごとに人はだまりこむ 遠くのできごとに人はうつくしく怒る 近くのできごとに人は新聞紙と同じ声をあげる」という詩は「怒」の典型例だ。
 この詩を目にして、西成で少年たちが野宿者を襲撃した事件を思いだした。襲撃した高校生を知る先生を取材すると、彼はため息をつきながら言った。
「この子たち自身が貧しくてつらい家庭なんです。芦屋のお金持ちの高校生は『ホームレスの人たちがかわいそう』って素直に同情するんでしょうねぇ……」 
 茨木の「自分の感性ぐらい……」もまた「怒」をみごとに昇華している。彼女こそ典型的な「怒」の詩人でもある。
 茨木はこの本で、多くの作品をとりあげることで、彼女自身の喜怒哀楽を縦横に表現している。この本じたいが長大な一篇の詩なのだ。

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▽谷川俊太郎
 なすべきことはすべて 私の細胞が記憶していた

▽15 天と地の精気がある日あるとき、凝縮して、自分というものが結晶化されるのだと思えば、たとえどのような生まれ方をしたとしても、くよくよするに及ばず、100歳まで生きたとしても、大きな目からみれば、単にきらきら光って消える朝露のごときものかもしれません。
▽20 ぼくもいつの日か 両親とおなじく去るだろう
……生誕を、すばらしい輝きとしててばなしで讃えることはせず、その背後にぴったりはりついている死を見逃せないのが詩人の表現なのかもしれません。
▽48 照れくさかったり、むずがゆくなるのはダメな詩で、とくに恋唄のばあい、それがはっきり出ます。
▽76
生まれるってな、つらいし 死ぬってな、みすばらしいよーー んだから摑まえろよ ちっとばかし愛するってのを その間にな
▽78 詩は……感情の奥底から発したものでなければ他人の心に達することはできません。……「死んでいる詩」 無惨な屍をさらすのは、感情の耕しかたがたりず、生きた花を咲かせられなかったためでしょう。
▽107 古くからの由緒ある地名が、本町通り、みどり町、中央通りなどという町名に変えられてしまった。1962年に「住居表示に関する法律」ができたため。
……1978年に「地名を守る会」ができ、全国規模で反対し見張る……山形県の米沢市のように、この改悪をくつがえし、すべて旧町名を復活させたところもあります〓〓
▽120 大学卒でも、新入駅員はまず、駅舎・・・便所掃除をやらされたのだそうです。
▽122 言葉が離陸の瞬間を持っていないものは、詩とはいえません。じりじりと滑走路をすべっただけでおしまい、という詩でない詩が、この世にはなんと多いのでしょう(〓明確な目)
便所を美しくする娘は
美しい子どもをうむ といった母を思いだします
ぼくは男です 美しい妻に会えるかもしれません
▽132 遠くのできごとに人はやさしい  近くのできごとに人はだまりこむ
遠くのできごとに人はうつくしく怒る 近くのできごとに人は新聞紙と同じ声をあげる
……いかに自分のまわりは見えないか
▽135 金子光晴が1945年5月につくった長編詩「寂しさの歌」……寂しい精神のうぶすなたちが、戦争をもってきたんだ
……
▽151 詩歌は、喜怒哀楽の表出にすぎないと思うのですが、日本の詩歌はこれまで「哀」において多くの傑作を生んできました。「喜」や「楽」にも見るべき者があります。ただ「怒」の部門が非常に弱く、……日本の詩歌のアキレス腱ではあるまいかというのが私の考えです。(自分の感性ぐらい……)「寂しさの歌」は、全体を支えているのは憤怒に近い怒りの感情……金子光晴の詩業全部にも当てはまることで……
▽163 谷川俊太郎「愛」詩に必要な想像力の伸びが、抜群
▽165 詩を書く人たちも、峠にさしかかるころに、すぐれた作品を残す場合が多いのは、眺望がよくきくからでしょう。
▽171 少女時代「あなたが側にくると、さあさあと血の流れる音まで聞こえてくるようだ」と老いた人に言われ,なにを寝ぼけたことをと聞き流してしまったのですが、いまや、若い人と話しをしていると、新品のポンプでたえず汲みあげられる新しい血の流れ、……の音が聞こえるようになりました。
誰かの意地悪みたいな食いちがい。新旧の交替はこんなふうにさりげなく果たされてゆくのでしょう。
▽174 吉野弘の「生命は」 この世は常に「関係だらけ」という詩。「カンケイない」というセリフとは真っ向から対立する。「カンケイない」という流行語……都合の悪いことは一刀両断この流行語で切ってすて……おそろしく貧しい精神を感じて、さむざむとしました……
 生命は その中に欠如を抱き それを他者から満たしてもらうのだ
 この認識はつつましく、正確であり、敬虔な祈りの声のようにも聞こえます。そして……実に豊かな精神の在りようを示しています。
▽180 石垣りん 定年まで銀行に勤めた
(手術前の痛みで)ねむれない夜の苦しみも このさき生きてゆくそれにくらべたら どうして大きいと言えよう ああ疲れた ほんとうに疲れた……いたい、いたい、とたわむれている にぎやかな夜は まるで私ひとりの祝祭日だ。
▽187 浄化作用(カタルシス)を与えてくれるか、くれないか、そこが芸術か否かの分かれ目なのです。
▽194 河上肇 京大教授の席をおわれ、……5年近くの獄中生活、敗戦の翌年死亡。
たとひ力は乏しくも 出し切ったと思ふこころの安けさよ。……羨む人は世になくも われはひとりわれを羨む
颯爽とした自己愛。いやらしさがみじんも感じられません。
▽204 石垣りん「幻の花」
子どものとき、季節は目の前に ひとつしか展開しなかった。
今は見える 去年の菊。 ……十年前の菊。
遠くから まぼろしの花たちがあらわれ 今年の花を 連れ去ろうとしているのが見える ああこの菊も!
そうして別れる 私もまた何かの手にひかれて
▽208 永瀬清子「悲しめる友よ」
あとへ残って悲しむ女性は、女性の本当の仕事をしているのだ。
 女房に先だたれた男ほど哀れで、こころもとなく見えるものはありません。年をとればとるほどそうで、何かをごっそりもってゆかれたみたいにへたります。
 女が生き残った場合はなんとかさまになっているのはどうしてだろう、……
 この詩を読んでから、ひどくはっきりしました
▽217 中原中也「羊の歌」
死の時には私が仰向かんことを!……せめてその時、私も、すべてを感ずる者であらんことを!
 人間の意識層を100とすると、人はたいてい10%くらいの表面意識で暮らしていて、あとの90%は未開発のまま死ぬという説があり、私もそうじゃないかと思っているのですが、そのことのこわさ、もったいなさを、中原中也はかんでつかみとって人々へ投げかけている・・・

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