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人類哲学序説<梅原猛>

■岩波新書20210307

 牧畜と小麦農業文明の生み出したヨーロッパの世界観では、森は文明の敵であり、森を破壊することで文明がはじまるとされた。昔のギリシャの建物は木造だったが、パルテノン神殿が建てられたときにはすでに森はほとんど消えていた。
 ユダヤ教やキリスト教では神が自らに似せて人間をつくったとされる。似せたのは「理性」であり、理性のある人間は、動植物を自由に扱うことができると考えた。
 森を破壊するギリシャとキリスト教から西洋哲学が育まれ、デカルトの思想が生まれた。「我思う故に我あり」と、生きている人間の精神(理性)を肉体から離れさせた。科学の発展によって自然は人間に征服されるだろうとデカルトは予見した。
 デカルトに批判的だったニーチェは、人間にとって重要なのは理性でなく「権力への意志」だと説いた。イエスが復活して神の国が訪れるという信仰が幻想となり、人生は意味がないというニヒリズムが生まれた。神なんかいない、過去も未来も同じ世界が永遠につづくととらえたのが永劫回帰の思想だった。
 ハイデガーの実存哲学は、ヨーロッパには珍しく、死を人間存在の中心に置いた。日常的に堕落している人間が、死を覚悟することで自己に目覚めると考えた。梅原は、ニーチェもハイデガーも人間中心主義を免れていないと指摘する。
 現代文明が限界にぶち当たる今、生きとし生けるものの命の世界を尊重する「人類哲学」がよみがえる必要がある。
 縄文時代、サケ・マスが遡上した場所に、豊かな狩猟採集・漁労採集文化が生まれたから、すぐれた縄文土器は東日本に限られた。縄文文化を受け継ぐアイヌの思想はあらゆるものに霊が宿り、神がいたるところにいると考える。こうした天台本覚思想の「草木国土悉皆成仏」は、日本だけでなく、世界の原初的文化の狩猟採集・漁労採集文化の共通の思想だった。
 「草木国土悉皆成仏」は、縄文以来の森の文明が生んだ。一方、密教の中心は太陽の仏である大日如来で、観音菩薩は水の仏だ。太陽と水の崇拝は、稲作農業が日本に入ってきた弥生時代以降と考えられる。日本文化は縄文と弥生のハブリッドだから、田植えがはじまると山の神が山から下りてきて田の神となり、刈り入れが終わると山の神はまた山に帰るという信仰が育まれた。
 浄土教は、死ねば極楽浄土へ往生し、また極楽浄土から帰ってくると考える。これも、祖先が子孫になって生まれかわるという縄文以来の伝統思想の仏教への影響だという。
「草木国土悉皆成仏」を文学によって表現したのが宮沢賢治、絵画に表現したのが伊藤若冲だという指摘にも納得させられた。

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▽4 人間はどう生きるべきかという問題を自分の言葉で語るのが哲学。自分の思想を自分の言葉で語るべき。日本にはそういう哲学者がまれ。過去には西田幾多郎や田辺元、和辻哲郎らがいたが。
▽12 天台本覚思想に日本文化の本質を解く鍵があると思うようになった。…天台密教は天台宗の思想と真言宗の思想が合体したもの。この天台密教の完成者が良源(元三大師)天台本覚思想が、鎌倉仏教の思想の共通の前提。浄土、禅、法華の前提に。
「草木国土悉皆成仏」という言葉で表現される天台本覚思想こそ、日本仏教の根本思想。日本文化の原理。
▽21 古層の縄文文化。サケ・マスが遡上した地域には、豊かな狩猟採集・漁労採集文化があったと思う。すぐれた縄文土器が出土するのはほぼ東日本に限られる。遡上したらだれでもすぐつかまえることができる。
…縄文土器がすばらしい芸術だと発見したのは岡本太郎。
▽26 日本語は、土着の縄文人が使っている言葉に、渡来民の言葉のアクセントや語彙、とくに助詞が混入してつくられてきたもの。アイヌの言葉には助詞があまりありません。
「カムイ」が「カミ」になる。アイヌ語の方が古い形がそのまま残っている。…動詞というものはそうは変わらない。変わりにくい特徴を持つ動詞に、類似語が多い。
倭人の文化は、縄文文化が根底にありながら、弥生=稲作民との混合文化だった。
アイヌの人は戦後になっても貝塚を使っていた。貝塚はごみ捨て場ではない。あれは貝の墓であり、再生を願った場所だった。
▽31 死後の世界はこの世とあべこべ。この世の夜はあの世の朝。死者には左前の着物、お茶を水で埋めるのは普通だが、水をお茶でうめるのは「死人の真似をする」と叱られた。
▽33 アイヌの思想はまさに「草木国土悉皆成仏」。山や川も生きている……
狩猟採集民の文化とは、原初文化と言われているのはアニミズム。あらゆる者に霊が宿り、神がいたるところにいる。
…「草木国土悉皆成仏」は、日本だけでなく、世界の原初的文化の狩猟採集・漁労採集文化の共通の思想ではないか。そのような原初的文化の思想から、西洋文化の思想をどう見るかということを問わなければなりません。
▽41 デカルト以後の哲学は、それに反対する哲学者であっても、デカルトが提供した問題の内側で動いているに過ぎない。
▽44 デカルトは軍人としてさまざまな国におもむき、国がちがえば、習慣も考え方も当然と思うこともちがうのだ、ということに気づく。習慣も知識も信用できないならば、真理を探究するにはどうすればよいか。
4カ条の規則
1 まったく疑いないということ以外は、真実と認めない=直観
2 問題をできうるかぎり細かく分割して詳細に分析する=分析
3 簡単なものから、順に、だんだん難しいものにいたる=総合
4 見落としていないかと注意して、その理論を完全にするよう再検査する=枚挙
 中世以降、学問の方法について論じた書物はなく、デカルトの「方法序説」がはじめてだった。

▽55  感覚、推論、理性も疑ったうえで「疑えないものとはなにか」。「疑っている自分が存在する」という一点に絞られる。コギト・エルゴ・スム。我思う故に我あり。
▽57 人間は「神の似姿」=スコラ哲学ではそれは「理性」であると考える。…人間のみが理性を持つ、という考え方。西洋近代文明は、ギリシャ哲学とキリスト教を二つの源流としてもっていると信じられてきた。
▽66 デカルトは、生きている人間の精神を肉体から離れさせた。この発想はギリシャ哲学的でも、キリスト教的でもない。それらを超越した思想を唱えた。
…近代に入り、肉体を離れた幽霊が実体とされてしまった。そのような理性・精神によって近代哲学は導かれていった。
…自然は、科学の発展によって必ずや人間に征服されるであろうとデカルトは言った。
▽73 生きとし生けるものの命の世界を尊重する思想がよみがえらないと、人類の末永い存続は不可能。その意味で、デカルト哲学は今後の哲学の柱とはなり得ない。
▽デカルトに批判的だったニーチェとハイデッガー
▽80 血でもって書け、というニーチェの言葉派、私の信念でもあるのです。
…「ツァラトゥストラかく語りき」は、ゾロアスターの教祖にかこつけて、ニーチェ自身の哲学を語ったもの。
 人間にとって重要なのは理性でなく意志「権力への意志」だという。
▽87 キリスト教が、パウロによって、奴隷にとっての復讐の宗教とされてしまった。「神の国」は現実の国を逆転して奴隷の王国をつくろうとするもの。…地上ではかなえられない価値の大逆転を、神の国でおこなったもの。
…弱者救済の思想は、キリスト教のルサンチマンの精神を受け継いでいるとニーチェは言う。だから、批判の矛先は、民主主義や社会主義にまで及ぶ。ニーチェは、プラトンの哲学は、ルサンチマンの宗教であるキリスト教を用意するものであり、デカルトなどの近代哲学の理性の哲学もキリスト教の呪縛から抜け出ていないと批判する。…神が死に超人が生まれる
▽89 イエスは必ず復活し、その時この世の国は神の国になるという信仰が、キリスト教の根本の思想。…2000年、バチカンにも神の国が来ると思ってこもる人はいない。
 進歩の思想すらも畜群の自己支配の幻想だという。すべてが幻想となると、悲観主義に。それが極まったところが、人生はまったく意味がないとみるニヒリズム虚無主義。…その消極的ニヒリズムを積極的ニヒリズムに変えるのが永劫回帰の思想。…遠い過去も未来もこの世界は何も変わらない。同じ世界が永遠につづく、という思想。…永劫回帰の思想は、超人として生きる人にとって必要欠くべからざる信仰。
▽94 デカルト、カント、ヘーゲルといった理性が中心の哲学に対して、ショーペンハウエルが理性より意志が重要だと主張。植物も動物も人間も意志で動いていると。
…意志を捨てたときはじめて幸福になれる。彼は仏教を、意志を捨ててはじめて悟りを開く宗教とみた。
 ニーチェはショーペンハウエルの「意志」の否定に不満だった。
…ニーチェの思想はヒトラーに受け継がれた。
 ニーチェの「権力の意志」の哲学は、デカルトの理性の哲学より人間中心主義が強い。人間中心主義を免れていない。
▽99 ハイデッガー 死の哲学 ナチスの思想を賛美。
 実存哲学は、第一次大戦後の社会で、人生の不安や絶望を見つめることから生まれる。死という概念が重要になる。…ヨーロッパ哲学には珍しい、死を人間存在の中心に置くハイデッガー哲学。
▽105 人間存在の本質は死への存在。死を先駆的に自覚した人間観を実在と名づける。日常的に堕落している人間が、死を覚悟することによって全面的な自己になる。それがエキジステンツ。…死を前にして自己に目覚めるのは運命なのだとハイデッガーは言う。
▽114 人間を不安の相や死の相で見る実存哲学は、消極的人間中心主義。一時流行したサルトルの哲学歯、選択することを実存と考えた。…サルトルにはハイデッガーのような文明批判がありません。
▽117 詩をつくるのは人間だけ、言葉を持つのは人間だけ、「存在」は言葉によってしかあらわれない、という思想と、天地自然すべてが音楽を持ち歌をもつという「草木国土悉皆成仏」の思想とは相反する。
▽119 ギリシャの自然破壊はすさまじい。南ヨーロッパ文明は、自然破壊によって滅んだと言えるでしょう。自然がまだ残っていた北ヨーロッパの国画その後をうけて栄えた。
…「草木国土悉皆成仏」の思想は、豊かな森から生まれた。そういう森が、鳥もカエルも歌を詠むという思想を生んだ。自然の声もまた歌であるというような哲学でないと、これからの人類哲学とはとうてい言えないのではないか
▽134 ソフィストの雄弁術は、議論に勝つことのみを教えるもので真理を教えるものではないとソクラテスは批判する。ソクラテスは「問答」をする。
▽150 密教の中心の仏様は大日如来。太陽の仏。観音菩薩は水の仏。十一面観音は左手に水瓶をもつ。稲作農業では太陽と水が一番必要。小麦農業ではさほど水は必要としない。稲作農業だから十一面観音信仰があまねく浸透したのでしょう。
…イザナギ・イザナミは、セックス=生産の神。縄文時代に信仰されていた神ではないか。アマテラスは弥生の神、稲作農業の神と考えます。
▽152 中国には、黄河文明より古い長江文明があった。稲作文明。その農耕文明が5000年ぐらい前から都市国家をつくっていた。4200年前ごろに、牧畜と小麦農業の黄河文明に滅ぼされた。稲作農業民が四散し、その一部が日本にも渡って稲作を伝えたのではないか。
▽158 地熱、火力、水力、風力などの自然エネルギー開発がもっとも必要。「地水火風」に空を加えれば空海の思想。五輪塔は地水火風空の自然をあらわしたもの。
▽164 「草木国土悉皆成仏」は、狩猟採集、漁労採集文明の縄文時代以来の森の文明が生んだ思想と思うが、太陽と水の神仏の崇拝は、稲作農業が日本に入ってきた弥生時代以降の信仰であろうと考えています。太陽と水の信仰は、稲作とともにやってきたと考えられるからです。
▽165 柳田国男は、田植えがはじまると山の神が山から下りてきて田の神となり、刈り入れが終わると山の神はまた山に帰ると言う。
▽171「草木国土悉皆成仏」を文学によって表現したのが宮沢賢治、絵画に表現したのが伊藤若冲。「いちょうの実」という童話。
▽191 バリでは死ねば火葬されて生まれかわるとされている。そのお葬式は、この世への生まれ変わりの喜びを表現するもので、悲しみは一切ない。儀式に参加できるのは孫の世代まで。ひ孫の世代は、生まれ変わりの世代として考えられるから。
▽194 浄土教の本質は、死ねば阿弥陀仏のおかげで極楽浄土へ往生し、また極楽浄土から帰ってくると言うしそう。極楽浄土からこの世に還るという思想は現代人には信じられない。そこで、科学と矛盾しない悪人正機説が浄土真宗の近代的思想として好まれたのでは
…縄文以来の思想では、祖先が子孫になって生まれてくる。浄土教思想では、法の原理によって、念仏の信者は念仏の信者として生まれかわる。ともに生まれ変わりの思想。これも、縄文以来の伝統思想の仏教への影響と考えて差し支えない。
 生命流転の考え方、循環の思想こそが森の思想。
▽197 ヨーロッパの思想は、牧畜と小麦農業文明の生み出した世界観。森は文明の敵であり、森を破壊することによって文明がはじまるという思想。
▽199 ギリシャで、森がまったくないことに驚きました。パルテノン神殿が建てられたときには、すでに森はなかったという話もある。昔のギリシャの建物はすべて木造でした。それらの円柱には、木に特有の中央部分のふくらみ(エンタシス)があった。石でつくられるようになってもエンタシスは残された。それを真似たのが法隆寺の柱。…パルテノンがつくられたとき、ギリシャには大きな木を産する森は残っていなかったのでしょう。
…森を破壊する文明のなかでデカルトの思想が生まれ、産業革命が起きた。エネルギー源は最初は木材。大量の森が破壊された。…「森を破壊する思想」はギリシャにまでさかのぼる。このような文明の原理と、森を大切に守る本来の東アジアの文明の原理はまったくちがう。
▽202 龍樹 世俗の哲学を「有」とし、欲望を否定する仏教哲学を「無」として、有無の哲学を否定し、「空」の立場に立つ仏教を主張する。…空の立場に立ち、悩める人間を救う仏教者を菩薩とし、その菩薩の仏教を「大乗仏教」とした。大乗仏教は欲望を否定するわけではない。「煩悩即菩薩」。煩悩の多い人ほど菩薩になれる。瀬戸内寂聴さん。

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