■集英社新書20210105
「世田谷事件」で妹一家4人を殺された入江杏さんはグリーフケアを学び、「悲しみ」について思いをはせる会「ミシュカの森」を主催する。その会での柳田邦男や若松英輔らの講演や、彼らとの対談をまとめた本。
悲しみから目をそむけようとする社会は、実は生きることを大切にしていない社会なのではないか。悲しみを忌避するのではなく、悲しみを受け止め、悲しみと共にどう生きればよいのか……。
▽柳田邦男
息子を自死でなくしたとき、絵本の豊かさに気づき、「星の王子さま」を悲しみの文学だと実感する。「どこにぼくの星があるのか、きみに見せるわけにはいかないんだ。だけど、そのほうがいいよ。きみは、ぼくの星を、星のうちの、どれかひとつだと思ってながめるからね。すると、きみは、どの星も、ながめるのがすきになるよ。星がみんな、きみの友だちになるわけさ」。この言葉によって、喪失感にとらわれていた状態から気持ちが外に向かって開かれたという。
かつては脳死について「しかたない」と考えていたが、脳死の息子の肉体は「親父は作家としてなにを見ているのか」としきりに問いかけてきた。かけがえのない時間、かけがえのない肉体だった。これを死体と見ることなどできない、と気づいたという。
僕も意識がなかったら死んだのと同じと思っていたけど、そうじゃなかった。必死になって生きてくれるだけで、つらい気持ちに向き合うちょっとした勇気を与えられた。「いのち」は、脳だけに宿っているだけではないのだ。
大事な人は死んでも「精神性のいのち」は消えず、残された人に、生き直す力を与えてくれる。悲しい経験をしたことで、他者の悲しみを理解できるようになり、人とのつながりを広められるようになる。亡くなった人の「精神性のいのち」が、生きる人びとをつないでくれる……という。
その通りだ。妻にうながされて本を書くことで、大事な出会いがもたらされた。そうした出会いは料理を仕込まれなければ深まることはなかった。彼女の精神性のいのちが支えてくれている、ような気がしてきた。
▽若松英輔
死者の仕事とは生者を守ることであり「死者の唯一の願いは生者の幸せ」「生きている人間はどこまでも幸せになっていい」「自分の幸せを恐れるな」と説き、「死者というのは幸せな存在」と断言する。そうあってほしい。僕はあの世で妻が幸せであることだけを願った。でも「幸せ」と確信するナニカには出会えていない。
死者が自分より自分に近い存在になると、回顧の対象ではなく協働する者になる。そのときはじめてその人のなかで「死者」という言葉の意味が新生し、力の泉を発見する。心のなかで「死者」という言葉の意味が変貌することが、死者を発見し、自分を発見することになる。
悲しみを知るからこそ、誰かを幸せにすることができるし、自分自身が幸せを得ることもできる。「悲しむ人は幸いである」
彼自身も「死別して、彼らとより近くなったという感じがします。僕はより幸せになった」と感じているという。
悲しみこそ光なのではないか。悲しみを感じたということは、朽ちることのない光を宿しているということ。……この光の証人になり、それを伝えることが「人生の仕事」だという。
▽東畑開人
ケアは「依存を引き受けること」「面倒くさいことを肩代わりしてあげること」。被災地では、話を聞くことではなく、水を運ぶことがケアになることもあると指摘する。セラピーは正反対で、自立をうながすものだ。
トラウマがあったとき、一番頼りになるのは近しい人たちによるありふれたケアだ。トラウマの初期に専門家がやれることは、まわりの人に「こういうふうに接しましょうよ」と教えること。専門家のセラピーは、落ち着いて周りが安心してきたころ、自分のなかに何か終わらないものがあるというときに意味がある。
自分の傷付きを、ほろっとしてもらえるように書くことが自分の傷付きを癒やしていく。東畑自身、転職に失敗したときに沖縄のいろいろなヒーラーを取材し「野の医者は笑う」という本にまとめた。それによって癒やされていった。「他者がのみ込める物語として書くことには癒やしがある」という。
「他者がのみこめるようにふんわり」と書くことは、僕自身をふんわり包むことにつながったのかもしれないと思った。書きながらクスッと笑ったり、泣いたり。そのなかで凍り付いた心がとけていくような気がしたのを思い出した。
□平野啓一郎
死刑制度はしかたないと思っていたが、「人を殺してはいけない」という絶対的な禁止に例外を設けてはいけない。人の命は「場合によっては殺していい」という例外条項をつけていいものではない、と思うようになったという。ほかの犯罪、たとえば、強姦をした犯人を誰かに強姦させて身をもって思い知らせるということはない。加害者を同じ目にあわせたいと思う人がいたとしても、国家としてはやってはならない。にもかかわらず殺人に関しては、犯人も同じ目に遭わせないと今も信じられている。
被害者のケアを充実させない限り、加害者の人権について国民の感情的な理解がついていかないのではないか。事情があれば人を殺してもよい、という発想を否定することが、未来の被害者を生まないことにつながる。
アマルティア・センは、個人をひとつのアイデンティティに縛り付けてしまうことが社会的な分断のはじまりだと分析した。
1人の人間は複数の属性の集合体であり、何処かにチャンネルが開かれている。「分人」という考え方で、場面ごとに自分を分けて相対化すれば、会社の時の自分はつらいけど、家族といるときの自分はストレスがないと思える。
つらい状況にある当事者にどう接するべきかわからないと立ち止まるのではなく、その人につらい「分人」だけを生きさせないために、新たな分人をつくることに関与することができる、と説く。
□島薗進
小林一茶は50歳をすぎて初めて結婚したが、子どもが次々に亡くなった。個人的な悲嘆を俳句にうたいあげ、子どもと死別した経験を歌う俳人たちの作品をいっしょにまとめた。悲嘆を分かち合う場を求めていた。先駆的なグリーフケアの文学作品だった。
大切な人の死によって喪われたものを尊びながら過ごす「喪」の期間にこそ、心は愛の対象に向けられていたエネルギーを組み立て直す「仕事」をしている。悲嘆は単につらいだけの事柄ではない。
日本ではグリーフケアが集いのかたちを採ることが多い。
1980年代からは、災害、事故、事件の被害者や、ある種の死別などで同じ痛みをもつと感じる人々の集いが大きな意義をもった。
かつて「家族の死に遭ったときの苦しみや悲しみを共有する」方法が地域社会に存在していた。
今は社会が個人化され、「ともに分かち合う」ことが難しいが、悲嘆を「ともに分かち合う」新たな形が求められている。グリーフケアの集いは、人々がつながり合う新たな場を求める現代社会の運動の一翼でもある。たんに悲しみを癒やすだけではない。悲しみをとおして人と人がつながる場をはぐくむ運動になっているという。
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□柳田邦男
▽19 不条理な喪失によってつらく悲しい思いに打ちひしがれている人が、生き直す力を取り戻すには、身近な人々はもとより社会が亡き人を悼むまなざしを向けるのを忘れないことや、さまざまな喪失体験者が孤立しないでゆるやかにつながり合うことが大切。
▽24 「よだかの星」は疎外と孤独の問題を見事に描いた絵本だ。実体験として喪失感、死別感をもったとき、絵本の物語の深みはまったくちがうものになります。全身を揺さぶられるような喪失感が迫ってくる。……人生でさまざまな喪失感や悲しみやつらさを経験するほどに、数え切れないほど新しい気づきを絵本からもらいました。
「星の王子さま」 本当の悲しみって言葉にはできないよなあ。これは悲しみの文学だ。「どこにぼくの星があるのか、きみに見せるわけにはいかないんだ。だけど、そのほうがいいよ。きみは、ぼくの星を、星のうちの、どれかひとつだと思ってながめるからね。すると、きみは、どの星も、ながめるのがすきになるよ。星がみんな、きみの友だちになるわけさ」…いのちを絶った息子の親としての無念さやつらさや喪失感にとらわれていたところから抜け出すような感覚がはたらいて、気持ちが外に向かって開かれ、世の中のすべての子どもたちに対する愛おしさ、分け隔てなくかわいらしく思う気持ちがあふれてきたんですね。…すべての星が輝くようにすべての子どもたちが輝いてほしいと切に願う気持ちが湧いてきたのです。
…自分のなかに何か切羽詰まった者があり、その実体験と重なる者があって、実感的に迫ってくる者があると、体が揺さぶられるような感じで、全身でわかるものがある。
▽28 息子が亡くなるまでの11日間、息子と無言の対話をつづけていました。(しゃべれないけれど)
自分自身が余りにも科学的、あるいは知識レベルで物事を考えてきたことにはっと気づかされました。
脳死の問題もそう。しかたないだろうという気持ちをもっていた。ところが肉親の脳死の実際はまったくちがっていた。…私に対して、そこにいる肉体が語りかけ、輝いている。「親父は作家としてなにを見ているのか」としきりに問いかけてくる。
かけがえのない時間、かけがえのない肉体がここにある。これを死体と見ることができるのか、という根源的なことに気づきました。(意識がなくなったあとでも…そうなのだ)
▽40 「意味のある偶然」とは、なんの科学性も論理性もないけれど、その人が生きるうえでは、決定的に重要な不思議な体験。何かを必死に求める。生きようとする。模索する。そうした姿勢があると、偶然、向こうから何かがやってくるという不思議な現象が起こるのです。
…自分が必死になってもう一度生き直さなきゃならないと切実に思う気持ちになってくると、感覚が研ぎ澄まされ、何か不思議なことに出会うと、敏感に反応するのかも。自己否定的になるのではなく、何とか生きよう、なんとかしよう、そう思う気持ちを捨てないでいると、「意味のある偶然」に遭遇することがあるのではないかと思うのです。
▽43 精神性のいのちは、肉体が消滅しても消えないで、人生を共有した人の心のなかで生きつづける。それ故に亡くなったあとも、遺された人に、生き直す力を与えてくれたり、心豊かに生きる生き方を気づかせてくれたりする。悲しみやつらい経験をしたことで、他者の悲しみやつらさを理解できるようになり、人とのつながりを広めることができるようになる。(書くことの意味)
…亡くなった人も、精神性のいのちが生きつづけることで、これからを生きる人びとをつないでいく、とても大事な役割をはたしてくれるにちがいない。
□若松英輔
▽ディケンズの「クリスマス・キャロル」
▽62 死者の仕事とは、生者を守ることにほかならない。
▽68 もし誰かを本当に幸せにすることができたら、その人生とその人物の存在は意味深く、この上もなく尊いものになります。
▽73 死者の唯一の願いというのは生者の幸せ。原民喜の「夏の花」は、死者の願いは生者が幸せになることだという、いわば死者の祈りと言うべきものを見事に描ききった作品です。一方で、原さんは「自分のために生きるな、死んだ者の嘆きのために生きよ」と言っています。嘆きは「悲しみ」と言いかえてもいい。
生きている人間はどこまでも幸せになっていい。それだけが死者の望みだと思うんです。
だからまず、自分の幸せを恐れない。そして、死者を恐れない。生きていて申し訳ないなんて思う必要はなくて、どこまでも、どこまでも、幸せになっていいんです。
▽死者が自分より自分に近い存在になると…死者は思い出す対象ではなく、協働する者になる。そうなったときに初めてその人のなかで「死者」という言葉の意味が新生する。死者が回顧の対象でなくなったとき、私たちは尽きることのない力の泉を発見します。人々のなかで「死者」という言葉の意味が変貌することが、死者を発見し、自分を発見すること。(料理、ちゃんと愛すること)
□星野智幸
▽103 京都・直指庵というお寺。自由に綴ってよいノート。5000冊。
□東畑開人
▽124 「ケアとセラピー」
ケアは「傷つけないこと」「相手のニーズを満たすこと」「依存を引き受けること」「面倒くさいことを肩代わりしてあげる」。被災地では、話を聞くことではなく、水を運ぶことがケアになることも。
セラピーは正反対。ケアが依存を引き受けることだとすると、セラピーは自立をうながす。
基本はまずケア。ケアが足りているならセラピーに移る。
▽144 自分の傷付きを、ほろっとしてもらえるように書いていくということが自分自身の傷付きを癒やしていく。…転職に失敗して無職になってしまう。そのときに研究費をもらったので、それを使って沖縄のいろいろなヒーラーのところに取材に行って、本にまとめたのが「野の医者は笑う」。仕事をなくすという深い傷つきを本に書くなかで、だんだん癒やされていった。他者がのみ込める物語として書くことには癒やしがあります。
▽148 入江さんの言葉がいろんな方に届くのは、その居心地の悪さをずっと語っておられるから。物語からはみ出る自分がいるということを物語化していっておられる。
▽154 トラウマがあったとき、一番頼りになるのは、ありふれたケア。まず、自分の近しい人たちがわかってくれている。専門家が心のなかを触るのは、もっとずっと後の話なんです。落ち着いて周りが安心したぐらいの時、でも、自分のなかにはやっぱり何か終わらないものがあるというときに、専門家のセラピーを受ける意味があるんです。……トラウマの初期に専門家がやれることは、まわりの人に「こういうふうに接しましょうよ」と教えること。それが一番役に立つ活動です。
□平野啓一郎
▽177 日本では犯罪被害者に対するケアがあまりにも弱い。被害者が社会からケアされていない状況では、「死刑制度は反対」とか「加害者にも人権がある」という超えに、社会は非常に強く反発します。
…被害者のケアを怠っているのは、国だけではありません。「準当事者」である僕たちですよ。
被害者のケアの充実を第一に図っていかない限り、加害者の人権をどうするのかということに国民の感情的な理解がついていかないのではないか。
▽185 小学校の人権教育 「自分がいやなことは相手にしてもいけません」という心情教育。他者に対する共感の大事さを説くばかりで、人権という、権利の問題として教育されてこなかった。
…人権というのは権利の問題で、共感というのでは非常に弱い。
▽195 アマルティア・センは、個人をひとつのアイデンティティに縛り付けてしまうことが社会的な分断、対立のはじまりだと分析。…実際には、人間は非常に複雑な要素(アイデンティティ)の集合体である。そこに対話の糸口があり、そこを通じてコミュニケーションをはかりつづけることによって、ひとつの対立点で社会が分断されそうなときにも、別のところで人間同士のつながりが可能になる。
…1人の人間は複数の属性の集合体であり、何処かにチャンネルが開かれている。センは「属性」という言葉を使うが、僕は「分人」という言葉を用いて議論しています。
…「分人」という考え方を用いて、対人関係や場所ごとに自分を分けて相対化してみれば、会社の時の自分はすごくつらくていやだけど、家で家族といるときの自分はストレスがなく生きていて…と思えます。
…つらい状況にある当事者に対して、どう接していいかわからないと立ち止まるのではなく、その人につらい分人だけを生きさせないために、新たな分人をつくることができるような関与をすることが大事。
▽206「遺族としての自分だけではないのになあ」という思いがありました。
□島薗進
▽218 小林一茶 50歳をすぎて初めて結婚したが、子どもたちは次々に亡くなっていった。個人的な悲嘆を俳句にうたいあげた。
露の世は露の世ながらさりながら
子どもと死別した経験を歌う俳人たちの作品を響き合わせている。悲嘆を分かち合う場を求めていた。先駆的なグリーフケアの文学作品。
▽221 大切な人の死によって喪われたものを尊びつつ日々を過ごす「喪」、その喪の期間にこそ心は愛の対象に向けられていたエネルギーを組み立て直す重要な「仕事」をしている。悲嘆は単につらいだけの事柄ではない。
▽225 日本ではグリーフケアが集いのかたちを採ることが多かったことは、早い時期にグリーフケアを掲げる場となった「ちいさな風の会」についても言える。…子どもを喪った親の会。
…1980年代からのグリーフケアの展開においては、災害、事故、事件の被害者や、ある種の死別などで同じ痛みをもつと感じる人々の集いが大きな意義をもった。日航ジャンボ機事故では…遺族の集い「8.12連絡会」はグリーフケアの力強い磁場となっている。阪神/淡路大震災、福知山線の事故、東日本大震災などは、グリーフケアが広まっていくうえで大きなきっかけとなってきている。
▽233 妹でなく、私が先に逝ってしまった方がよかった…と生き残ったものの罪責感にも苛まれ、私はしばらくなにもできませんでした。グリーフケアを通して、さまざまな悲しみを知り、学ぶことで、ようやく、幼いころから持ちつづけていた根源的な問い「自分だけが幸せになるんじゃなくて、どうすれば世の中がもっとよくなるんだろう」へ立ち戻ることができたように思います。
「被害者遺族らしく生きろ」という外圧が、その人本来の生き方を壊してしまうことも。私は、悲しみの体験を経て、本来の問いに立ち戻れたことにより、私らしい人生をとりもどすことができました。
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