ミャンマーからバングラデシュに流出したロヒンギャ難民について、「民族紛争」や「宗教迫害」と報じられたが、筆者はそうした見方こそが問題を深刻化させてきたと批判する。
ミャンマー政府は1982年以来、ロヒンギャをバングラデシュからの不法移民と位置づけた。(ロヒンギャ難民はバングラデシュからも不法移民とみなされている。)
1962年から2011年までつづいた軍事独裁政権は、「仏教徒としてのミャンマー人」という形の同化政策を進め、イスラムに対する差別意識を刺激してきた。軍事政権による情報統制下で差別が内面化した結果が「ロヒンギャ問題」であり、2016年の民政移管後も僧侶集団によるイスラム排斥運動が展開されナショナリズムがあおられてきた。イスラム教徒、とりわけロヒンギャへの差別は、民主化運動で軍政とたたかってきた人々にさえも浸透しているという。
ロヒンギャの人々は「民族としてのロヒンギャ」ではなく「ムスリムとしてのロヒンギャ」と自らを位置づけている。なのに国際社会は「民族」と呼ぶことで、軍政に人権保障の圧力をかけようとした。そうした国際社会に後押しされたロヒンギャの一部が民族性を主張するようになり、同じ地域に住む仏教徒のラカイン人との対立が生まれた。
「先住民族」は土地や資源の権利をもつ。日本でも、アイヌを「先住民族」と認めたのはつい最近のことだ。国連は、日本政府に沖縄の人々を先住民族に認めるように毎年勧告しているが日本政府は無視している。それほど「民族」という定義の意味は重いのだ。だからミャンマー政府は「民族」を振りまわす国際機関への不信感を深めた。
日本でロヒンギャ問題が理解されない一因は日本側にもあるという。「インパール作戦」「泰緬鉄道」は報道されるが、現地人の犠牲への言及は皆無に近い。日本軍が仏教徒を、英国軍がムスリムを自軍に引き入れて戦わせたことや、ムスリムの村で日本軍が虐殺事件を起こしたことも報じられない。日本がムスリム差別の一端を担っていたことが自覚されていない。
民主化運動でノーベル平和賞をとったアウンサンスーチー氏はロヒンギャ問題で欧米メディアから非難されている。筆者はスーチー氏について「もともと人権活動家ではなくて政治家だ」と言う。スーチー氏は現実的な改善を勝ち取るために軍とも妥協してきた。ムスリムへの差別が根深い現状にあって、彼女が正義の拳をあげたところで事態が好転するわけがない。
軍政以来の差別の構造を正面から見すえ、少しずつ解きほぐすしかない。そのきっかけをつくれるのは、圧倒的な人気と政治的手腕を持つスーチー氏しかないと筆者は見ている。
国際政治や民族・宗教・差別の問題を現実から学べる教科書のような本に仕上がっている。
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