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だいたい四国八十八ヶ所<宮田珠己>

■集英社文庫20200821

 途中でカヌーの川下りやシュノーケリングをしたり、しまなみ海道を自転車で走ったり……かなり軽いおアウトドア系遍路本だと思って手に取った。
 読経はするけど線香やロウソクは省略する、というのは私と同じ。杖も白衣も身につけないのも同じ。五来重なんかも読んでいて押さえるところは押さえている。
 旅行作家独特の観察眼がおもしろい。
 たとえば遍路宿は、情報交換の場である海外の安宿に似ている。ちがいは、みな1泊だけで出ていくことと年齢層が高いこと。適度に誰かと打ちとけあいたい中高年にぴったりという。「年配の人が多くて、知らない人に出会ってもさほど険がない。今まで仲良く話していた人を、状況に応じて後腐れなく見すてることもできる。逆に、私を見すててさっさと先に行ってしまっても、なんら精神にダメージがなく、平穏である」。海外の安宿に似ているとは思ったが、ちがいには目を向けていなかった。
 自販機すらもない室戸岬の道を「チベットに似ている」とは私も思った。。「自然が人間を凌駕している風景が共通している」という。
へぇ。こんな書き方もできるのかぁと思いながら読み進めた。

▽43 1番から10番の切幡寺までは、四国を東西に貫く中央構造線に沿って歩くが、ここから南に折れ曲がり、吉野川を越えて南側の山脈にとりつく。
▽69 鶴林寺・太龍寺のに連続登山。
▽76 初めて海が見えたのは、由岐の町を過ぎた直後。
▽78 お接待というのは、究極は埋葬のことなんです……「日和佐うみがめ博物館カレッタ」
▽82 鯖大師 サバというのはウソで、本来は生飯(さば)であったと五来重は…
▽86 室戸岬無補給道路 甲浦をすぎると…チベットの景色を思い出す…ここもチベットも、自然が人間を凌駕している風景が共通している。
…東洋大師の住職「ここは悪い気がたまっていたんだよ。それを私が浄化したんだ。…掃除したり、木を切ったりしてね。
…東洋大師以降、店も自販機もトイレもない…が、佐喜浜の集落を過ぎたところに宿が2軒だけある。
▽101 マメ 黄色い液体は老廃物等ではなく、傷を早く治す「治し汁」だということが近年判明した。
▽112「足が疲れてくると、土踏まずがぺったんこになってきます。指先が外側へ押し出される形になって、小指が靴に押しつけられ、マメができる。これを防ぐには、土踏まずがへしゃげないようにする必要がある。…中敷きで補強すればいいんです」
▽115 マキノ植物園。遍路道を歩くと無料で入ってしまう。
▽121 含蓄のある話は嫌いだ。一対一で含蓄に晒されることほど、尻のむずむずするものはない。
▽123 浦ノ内湾の巡航船
▽132 舗装道路が9割。…遍路がいいのは、多くの人と互いに深入りしない程度に出会える点である。…年配の人が多く、知らない人に出会ってもさほど険がない。…今まで仲良く離していた人を、状況に応じて後腐れなく見すてることもできるようになった。逆に、私を見すててさっさと先に行ってしまっても、なんら精神にダメージがなく、平穏である。
▽140 民宿内田屋 海が眺められ、食事もうまくて料金も安い
▽158 五十崎から内子への近道。谷あいの畑に沿って歩く田舎道。
…辺路転がしは、どこもキツくなかった。低山ハイクかそれ以下のレベル。
▽167 岩屋寺の背後の山には、逼割禅定という行場があって……シルクロードの敦煌などで見られる石窟寺院を思い出した。
▽178 八坂寺の閻魔堂…石手寺は得体の知れない寺。衛門三郎伝説。宝物館に「石」を展示。…本堂背後のマントラ洞窟。羅漢堂のソファ。
▽奥道後のジャングル温泉、今治の城のようなマンション
▽225 高知の人はお遍路に関心がない。お接待もあまりしてくれない…高知が好きではないとのことであった…「忘れられた日本人」を読んだとき、かつて四国遍路には土佐を除いた三国巡りというのがあったと書いてあり…土佐は気性が荒く危険datoのことで、女性などは一国省いたというのだった(営林局長の本では、愛媛を一番悪く書いている)
…お接待を受けたとき、…納め札を受け取らない人が多かった…(たしかにパンを投げてよこすような)
▽251 村上水軍博物館 船折瀬戸などの激しい潮流を体験する潮流体験船
▽256 瀬戸内はハイウェイだった。沿岸の集落は、一等地にできたドライブイン…人や物や情報の一大集積地だったはずである。…四国の瀬戸内側というのは、一等地だったと言ってよく…今でこそ遍路なんていって、辺境の地というイメージをかぶせてロマンを演出しているけれど、弘法大師のころは、人口密度の高い華やかな土地だったわけである(遍路道じたいがまちや集落の中心部をたどっていた)
▽262 仙遊寺のおつとめ 神秘的な炎の揺らめくなか、空気を丸めて転がすような読経の声が、やがて声とも音とも区別のつかぬ、世界を包む波と化していく。…空間がのったりとうねりだし、そのとき時空が歪んでいくような、錯覚というかトリップ感というか逝っちゃうというか…
▽266 四国を歩いて気づくのは、年をとっている人ほど、日数にこだわることだ。…自分が人並み以上に歩けるかどうか、へのこだわりなのだ。
…私はだいたい3時ぐらいでその日の行程を終了する。…早く宿についてさっさと洗濯したいからである。
▽269 横峰寺をおりて…温泉を併設したボロ宿…食事もまずく…
▽274「29日目言うてましたでしょ。そんなに早くまわった人は、必ずまた来ます。終わって後悔するんです。もっとゆっくり楽しんだらよかったって…」
▽284 二度と歩きたくないと思った道…、徳島、松山、高松の市街地。…なかでも一番きつかったのは松山で、歩道も細く危険が多かった。19番立江寺を過ぎてしばらく先の県道22号…高知県の須崎は工業地帯のなかを歩くのがつらい。
▽290 香川県…札所と札所の、文字どおり「間」がなくて、札所以外の記憶がすべて抜け落ちていきそうなもったいなさがある。…風景も…田畑の向こうの山の、そのまた向こうも人間の手になる土地で、自然がもつみずみずしさや荒々しさは均質化され…まるで、京都かどこかの観光地にやって来て寺巡りをしているような、心地よさと物足りなさだ。
▽293 弥谷寺は、…境内を何層かにわけ、本堂はいくつも階段を登り終えた上の方に置いたうえで、途中磨崖仏だの、護摩堂だの、十王堂だのを地形に合わせていびつに配し、全体にゴチャゴチャさせることで参拝者を煙に巻いているところが秀逸である。…魅力的なのは大師堂…畳敷きの部屋から奥へ回り込んだら、そこには「獅子の岩窟」なる本物の洞窟があるという、複雑怪奇な構造に。
▽303 冷めた目で見れば、遍路道の9割以上はアスファルト道路で、時にはトラックがバンバン走る国道に過ぎなかったりするにもかかわらず、それは美化され、心の中で光り輝いている。…この幻想を受け入れるか否か…私自身、弘法大師や四国への感謝の気持ちを大げさに表明する人の言葉に鼻白む一方で、四国を歩くことを楽しみ、であった人に感謝することも少なくなかった。
 凡庸な日本の一地方か、奇跡の土地か。
▽310 香川県に入って四国遍路は、荒々しさを秘めた修行の相から、人を包みこむ旅行の相へと変化してきた。
▽312 車谷長吉「四国八十八ヶ所感情巡礼」 予定調和を嫌う人だから、いやみとしか思えないほど、他の歩き遍路への呪詛が書かれていた。先を急ぐ奴はみなバカだ。…と。
 …私も信仰心などまったくないが、スピードにこだわらないよう、気をつけながら歩いてきたつもりだ。速さ、日数などにこだわることで、何かが決定的に損なわれてしまう。
▽326 八栗寺 聖天堂前では狛犬かと思ったら大根〓だったからびっくりして…二股大根が夫婦和合の象徴だからだそうだ…雲辺寺でも、茄子の石造があって「おたのみなす」とか人を食ったような名前がついており…
▽女体山に登る

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