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さらば、政治よ 旅の仲間へ<渡辺京二>

■晶文社 20191216
 安倍政権の進める有事法制などの動きを進歩的な人は「いつか来た道」と評することが多い。それに対して「日本が戦前のナショナリズムに回帰しているわけがない」「左翼は思考停止している」と批判する。安保闘争などで運動に参加したが、なにも心配したことは起こらなかった。それほどひどいことにはならないと実感してきたという。(もちろん政権を評価しているわけではない)
 だから「国家をより人間的なものにする努力は必要だが、それよりも、政府や自治体に頼らぬ、いわば民間の共生の工夫をこらしたい」と言う。
 そこに必要なのは、つねに淀もうとし、自足しようとし、眠りもこもうとする精神の覚醒であり、与えられるのではなく、みずから何かを作って分かち合う関係を積みかさねていいくことだという。
 筆者は生活で大切なものとして、①自分が暮らしている街なり村なりの景観が美しく親和的であること②人々の情愛ある出会いを可能にする開かれたフリーの場が備わっている生活③人は生きているあいだできる限りよいものを作らなくてはならない、の3点をあげ、「人としての生き甲斐は、人との関わりのなかにしかないんです。女、家族の次には仲間です。ともに仕事をした、一緒に遊んだ、近くに暮らした人たちに、ちゃんと取るべき態度をとれたら、死ぬときに満足感を持てるのではないか」と説く。

 江戸時代の描写やポランニーをめぐる論文なども興味深かった。 

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▽33 荒野を一人旅する決意があれば、まわりに自ずと泉はわくだろう。国のお世話にならずとも、自分で生きてみせるという意地さえあれば、この世はともに旅するものたちで成り立っていたことに気づくだろう。
 国家をより人間的なものにする努力は必要だが、それよりも、政府や自治体に頼らぬ、いわば民間の共生の工夫をこらしたい。
 …過去を消去し、それと断絶させようとする動向に意識的な抵抗を組織する必要がある。それは、過去の文化遺産を次の世代に確実に伝達することである。
  国家を心配する前に、生活世界の急速な現代化、すなわち刹那化・非連続化こそ心配してもらいたい。私たちの生の実質は生活世界のありかたにこそ関わっているからだ。
▽42 物書きは地方に住め。地方としにはまだ人工化されぬコスモスを感受できる余地がある。
▽69 江戸時代の侍 大阪の冬夏の陣が終わってようやく平和に。でも実体はまだ武装勢力が各地域を占拠する兵営国家だった。…江戸初期は、百姓と武士権力との争いもすさまじかった。戦国時代の末期、百姓はみな武装していた。江戸初期の一揆は殿様の首を取ったり、徹底的に皆殺しにされたり…
 中期になると、一揆は春闘のようなもの。ゲーム化した交渉。
 侍同士も元禄時代ぐらいまでは、抜いた、斬ったをしていた。18世紀、吉宗以降、刀を抜いての刀傷というのはなくなる。だから侍が町人から侮辱されても「どうだ、抜いてみろ、抜けまいが」と言われるような状況でした。
▽81 あいつらはよく働くけど、必ず途中で煙草休みとかなんとか言って、好きなときに休む。祭りがあったらそれを優先してまた休む。
 つまり近代的労働規律が確立していない。労働の主導権を働く人間が握っている。
 何か珍しいことがあるとわーっと大群衆が集まる。要するに日本人は自分の時間を好きなように使えていたんだ、というのです。
▽82「通り」もコモンズだった。…自動車が通るようになって排除してしまった。…日本の母親は、朝になったら全部子供を追い出す。子供は外で遊ぶもんだ。だから町中を子供たちが占領している。
▽84 家臣団は、一種の公務員、行政職。でも膨大な人数がいて、役職にあてられないやつは不満。だから侍から明治維新が起きる。
 …日常生活からいったら、庶民が革命を起こすようなことなんてなにもなかった。
▽88 近代国家というのは、国のために国民が命を捨てると言うことで成り立っている。
▽91 江戸時代が倒壊せざるを得なかったのは、近代国民国家同士が競争しあう厳しい生存競争のなかに出て行くためには、徳川体制ではだめだというのが原因だった。江戸時代はいい社会だったのに、だめな理由を簡単に言えば「国際社会に通用しない体制」だったから。
▽93 儒教の「石門心学」。庶民に道徳的に心を説いて、勤勉に働けば貧乏を克服できますよ、と。庶民に浸透していった。だから「勤勉」という徳目が庶民に徹底した。(プロ倫)それに加えて高い識字率があった。
▽97 戦国時代は、非常に信仰的な時代。ところが江戸時代にはいると、教派的なものは影響力を失う。世俗化。アニミズム的な信仰が強い。
▽101 日本人は好いた、惚れたしか知らない、いわゆる性愛の世界。夫婦間の本当の愛情なんかない、というわけです。
▽103 30代の終わりに原稿料をもらって書くように。女房が13年前に死んだのですけど…。河合塾には25年間行きました。それも50過ぎてからですよ。
▽124 僕は、やはり男であればどんな女と過ごせたかが基本だと思います。連れ合いと最後まで仲良くできた、というのは、最後までセックスしたということですよ。そういう相手が、探せば必ずいるはず。それを見つけないで簡単に結婚するから、後でもめたりするんですよ。
…人としての生き甲斐は、人との関わりのなかにしかないんです。女、家族の次には仲間です。ともに仕事をした、一緒に遊んだ、近くに暮らした人たちに、ちゃんと取るべき態度をとれたら、死ぬときに満足感を持てるのではないか。
▽137 シャフニスキーは、ソビエト文明の本質的な性格を「学者国家」ととらえる。唯一無二の科学的真理を把握したと信じるひとにぎりの知識人革命家が創造した国家なのである。
 新しい人間とは、マルクス・レーニン主義という最終真理にしたがっていき、いっさいの個人的生の意義の抹殺につとめる。一種の教会国家の創造でもあった。
 単一イデオロギーによって絶対的に支配され、それから逸脱することが即抹殺であるような文明はソビエトにおいてはじめて出現した。
▽148 宇根豊「農本主義が未来を耕す」 白井隆一郎「「苦界浄土」論」
▽168 「イスラーム国の衝撃」「イスラム法では、カリフの存在の必要性は明確に規定されている」「征服地の異教徒を奴隷化することは、イスラム法上、明確に規定された行為である」。イスラム教を邪教視しているわけではない。ただそれが宗教改革、ひいては政教分離を経ていない世界宗教であることを正視したいのだ。キリスト教は宗教改革と政教分離を経ることによって近代に適応した。それ以前のキリスト教は…スペイン人征服者はインディオ集落を攻撃する前に、異端宣告書を読みあげた。
□ポランニーをどう読むか
▽193 「自己調整的市場」は歴史の進歩によって必然的に生まれたのではない。従来絶対に健全だと認められなかった利益動機に基礎を置いており、共同社会を滅ぼすシステムだ。人間と土地を商品化した。資本制以前の社会は、多かれ少なかれ人間の共同社会であり、経済が社会のなかに埋め込まれていたのに対して、資本制は、埋め込まれていた経済が自立して社会を従属させ、共同性を食い滅ぼしてしまった。人類史における共同社会の長い伝統からすると一時的な逸脱に過ぎないとする。
▽205 労働市場を創出するには、契約の自由を阻むような血縁・隣人・同業者仲間といった組織を解体することが必要だった。人間はそういう原子論的な怪物たることにたえられないから、社会防衛運動が発動する。ファシズムや社会主義もその一種。宮崎滔天や北一輝…といった日本的共同主義の右翼的思想系列も、社会防衛運動の日本的変種。
▽217(クラ貿易)互酬と再分配が近代史上経済以前の「経済」を総合した原理。
 管理された貿易(長崎の出島)、遣唐使から勘合貿易にいいたるまで、市場価格は成立しない。
▽221 局地的市場が拡大していって相互に結びつき、全国市場が生まれ、競争価格が実現するという「常識」は誤っている、と主張。自己調整的市場が発達することを王権は厳しくチェックしていた。全国市場は重商主義によって人為的に形成された。
 チェックを解除して自己調整的市場を実現したのは、18世紀末から19世紀にかけて権力を握ったブルジョワジーの自由貿易主義を求める政策要求。
▽226 ケインズ的総需要管理にも、ソ連社会主義にも、ナチス体制にも、自己調整的市場という反人間的システムからの離脱の思考をポランニーは読み取る。

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