■亜紀書房 20191107
この1年ちょっと、特定のテーマ以外の活字を読むことができていない。
世界から色がなくなり、たいていの本は無味乾燥の灰色に感じてしまう。でも、若松や神谷美恵子、内山節らの本は、なぜか彩りを感じる。死者の世界とつながっているからだろうか。
無理して読むのではなく、「読めない時間」がなにを伝えようとしているのか考えるべきだという。
遍路道で目の前にウグイスが現れた時、鮮烈な黄緑色に目を奪われた。そのときに色のない記憶世界に自分がいるんだと気づいた。色を失っているがゆえに、色のあるものがかけがえのないものに思える。
本を読めないというのは、色のない世界にいることであり、だからこそ、新しい読書の次元が開けるきっかけになる、ということだろうか。
言葉の扉のありかは、苦しみや悲しみを感じた者の目にこそ、はっきりと「観えて」くるという。
「悲しみの暗夜と呼ぶべき日々から、私を救い出してくれたのは、ある本で出会った『かなしみ』という言葉だったのです」「『悲しみ』という扉の奥に『愛しみ』『「美しみ』の部屋があり、これまで気がつかなかった愛と美に出会いました。逃れようと思っていたもののすぐそばに、心の底からもとめていたものがあったのです」
そんな展開になるものなのか。悲しみを超えた向こうに、愛や美の世界が広がっているのか。そうあって欲しいけど、実感としてはわからない。
「書くことからはじめる読書」を説いているのも興味深い。
実感としてよくわかる。記事を書くために調べる読書は、理解が一面的になりがちだけど、得られるものが大きい。
「調査しよう」と自ら能動的になることで、読書もまた次の次元に上がる。ではいま私が調査するべきテーマはなんなのか。
村おこしや地域福祉、民俗文化の継承に携わる人たちに取材してきた。それらの人の死生観に焦点を充てるべきなのかなあ。
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▽33 「読む」力を取り戻す前に「ひとり」でいることに快適さを感じる感覚を取り戻さなくてはなりません。
「読む」「書く」はひとりでなくてはうまくいかない営み。
▽35 書くことから始める読書。散文では思いを表現できない。(短歌を書いてみたらちょっと近づいたような気がした。それはなぜか)
▽39 本を読めなくなったとき、ほとんど無意識に、自分の大切な人に手紙を書いていました。
…書くという体験で重要なのは、自分という存在を感じ直してみること。「うまく」書こうとしたとき、自分の心をよく感じられないこともわかってきました。「うまく」書こうという気持ちが、心の深みへと通じる扉を見えなくしてしまう。
▽71 おすすめしたいのは、童話と詩のコーナー。このふたつはそのそこで深くつながっている。宮沢賢治、谷川俊太郎。
▽77 「私はほんとうに幸せでした。でも、それがそのときにはわからなかったのです」。この男性にとって、大切な人との生活の跡を訪ねることは、世界という書物を「読み直す」ことだったのです。…その男性も、自分にとって大切なものは、これからやってくる何かなのではなく、すでに自分のなかにあることに気がついたのだと思います。〓
▽89 ネットで本を買うのをやめる。書店に行くようになると、選ぶ本がまったく変わってきたのです。
▽101 書くとは、自分のなかにあって、容易に言葉にならない何かを再確認すること。このことが体感されると、…読むとは、言葉になったことだけを理解することではなく、言葉になり得ないものを感じてみようとすることであることがわかります。
▽124 言葉の扉のありかは、ある苦しみや悲しみを感じた者の目にこそ、はっきりと「観えて」くるようです。
出会うべき言葉は…私の場合、「かなしみ」という言葉でした。かなしむ、とは、愛する者を失ったときに経験する感情であるだけでなく、愛の再発見であり、また、「かなしみ」のときは、美しくすらあることを、「かなしみ」の文字の歴史が教えてくれたのです。
この言葉にであったことで、私は、文字通りの意味で救われたのだと思います。
▽147 愛するということは悲しみを育むことでもあるのです。
…悲しみの暗夜と呼ぶべき日々から、私を救い出してくれたのは、ある本のなかで出会った「かなしみ」という言葉だったのです。
底のない悲しみから、光のある場所へ導いてくれたのが、本で偶然出会った、もうひとつの「かなしみ」でした。
柳宗悦「南無阿弥陀物」
悲しむという行為そのものが、自分はたしかに何かを愛していたということの発見だというのです。…耐え難い悲しみを経験しながら人は、気がつくことのなかった情愛の泉を自らのうちに見出し、そこからわき出る水は、無尽の慈しみとなる、というのです。
「悲しみ」という扉の奥に「愛しみ」「美しみ」の部屋があり、私はそこでこれまで気がつかなかった「愛」と「美」に出会いました。逃れようと思っていたもののすぐそばに、心の底からもとめていたものがあったのです。〓
▽174 まず切実に感じていることを調べてみることです。切なる感情は、私たちを人生のほんとうの目的へと導いてくれます。
…「調べる」とき、私たちはとても活動的です。…自分のなかにあってかつては価値あるものだとは思えなかったさまざまなことが、新しい意味をたずさえてよみがえってくるのを経験します。
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