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黒い海の記憶 いま死者の語りを聞くこと<山形孝夫>

■岩波書店 20191214

 東日本大震災後の「花は咲く」、ちょっと前の「千の風になって」は個人的には好きになれない。筆者はこの2つを「死者がうたう歌」と位置づける。
 戦前の日本社会は、仏壇を通して、身近な「生きている死者」に祈っていた。いま、死者たちの空間である仏壇が家の中から消えた。自分以外の他者の死と向き合うことがなくなり、「生きている死者」とともに暮らすことなど想像もできなくなった。
 「死者の語り」は、平穏をおびやかす呪いの声とみなされて近代仏教がタブーにしてきた。祟る霊をいかに成仏させるかが仏教の使命となり、死者の口を封じることが成仏だという方向に行ってしまった。平家物語は、琵琶法師が死者の無念を語ったが、琵琶法師はやがて仏教界から追われた。近代の戦争では愛国者として顕彰されるだけで、死者の無念が語られることはなかった。

 筆者の母は、筆者が小学校年のときに自殺した。
 それから30年後、アフリカの砂漠で母の記憶が突然よみがえった。
「私の記憶に私の知らない未知の領分があり、その領分に母が今も生き続けていることの発見だった。死者は死んでいない、という事実の発見だった」と言う。
 東日本大震災の津波で、目の前で肉親を亡くした人々の話を通して、まずは赤ん坊のように激しく泣ける場をつくることが大事だと説く。
 精神と肉体が崩壊するような悲しみから生まれる、言葉にならない「祈り」や「存在への勇気」という魂の経験が人間の成熟には不可欠であり、悲しみを知ることが人生の究極の知(仏教の「慈悲」、キリスト教の「悲愛」)であるという。
 死者の悲しみと向き合い、「悲愛」とであう時、過去の悲しみは反転し、優しさが死者とともに近づいてくるという。サンテグジュペリの「星の王子様」は死者の世界を描いていると感じたが、「本当に美しいところは目に見えない」という有名な言葉が示す「ところ」とは「涙の国」なのだと筆者は主張する。
 筆者が末期がんの同僚に「死ってなんですか」と問われた時、こう答えた。
「死とはね、交換なんだよね。耐え難い苦しみや痛みを誰かに預けるのです。そして、あなたはやすらぎを受け取る。その時がいつか。それはあなたが決める。あなた自身で決める」と答えたという。
 すごい精神の深みだ。これならば苦しんで死を迎える患者をも包みこむことができる。どれだけの悲しみを経験をすればここまで言えるようになるんだろう。単に悲しみを経験するだけでは、彼のいう「やさしさ」には達せられないのだろう。

 「イエスを殺したのはユダヤ人だ」という福音書の記述は、ローマ帝国のもとで生き延びるためにつくられた作り話である可能性も高い。なのにそれが「神殺し」のユダヤ民族差別のもとになり、ホロコーストにもつながった。
 西欧諸国のホロコーストの贖罪としてイスラエル建国がなされ、本来犠牲を払うべき西欧諸国のかわりにでパレスチナの人々が犠牲になった。それが9.11につながった、という論考も興味深い。

 「マグダラのマリア」の福音書が忘れられた経緯についての論文も、聖書を批判的に検討していておもしろかった。

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▽死者の悲しみに寄り添い、死者を記憶しながら、死者とともに生きるとは、
▽11 30年もたって、アフリカの砂漠で母の記憶があふれる。
 …封印が解かれる。…・野の草にも、鳥の声にも、私の失った大切な人の存在を感じる。
▽12 徳之島の「哭きうた」 松山光秀という民俗学研究者で役場職員。
▽15 私たちの人生は、悲しみの門からはいることによってはじめて生き方としての他者への優しさに向かうのです。
▽18 津波で身近で母を亡くした女子高生。
 津波と原発事故をもってこれまでの宗教は、新しい生き方を求めて自ら苦しまなければならない。はじめに求められているのは、赤ん坊のように激しくしつこく泣くこと。「カディナティ」。宗教者は被災地に足を運んでそういう場をつくり、そこに存在するだけでよい。
▽26 甲斐大策さんは「現代人は孤独を失っている」。孤独には創造性に限りなく近いものがある。孤独なしには創造力は生まれない。
▽37 「自分がここに、今生きていたということ、存在していたということは、誰も否定できない。自分は病に苦しんで、もう長くはないかもしれないが、この世に生きてそして苦しんだということは、誰も否定できない」。これが人間存在の破壊し得ないことだと大江さんはひらめいた。人間における生命の尊厳とは、このようなことだったのか。過去はもはや存在しないが、かつて存在した過去は誰にも消し去ることはできない、ということ。
▽53 キリスト教にとって一番大切なことは、「悲しみの門から入る」ことである。新渡戸も「悲しみ」を知ることを通して、キリスト教に入っていった。悲しみを知ることが人生の究極の知であると。
▽55 欧米の「勝利するキリスト教」とは明らかに違った、もうひとつのキリスト教、「悲しみ」と向き合い「死者と向き合い」、「悲しむ者とともに悲しむ」キリスト教に出会うことになった。
▽58 「悲しみ」とは、すべての宗教の根元にある記憶の「痕跡」の体験ではないか。「悲しみの知」の究極としての「癒しの知」。仏教では「慈悲」、キリスト教では「悲愛(アガペー)」というのでしょうか。
■対談
▽78 本来、キリストの十字架は、すべての犠牲の終止符を意味していたのに、ローマ帝国による国教化によって意味の転倒が起こる。帝国のためならキリストの十字架のように、喜んで命を投げ出す。十字架のキリストが、ローマ帝国に対する忠誠の模範となった。陰謀と言ってよい、教会と国家の一体化の戦略。

▽97 死者との絆をつなぎとめるには、死者を思ってひたすら哭くことと、死者の無念と悲しみと悔いを、死者自身の語りによって聞くこと。平家物語の琵琶法師。東北のイタコ、沖縄のユタ。
▽99 「哭き」を通して死者と向き合う「語り」儀礼を、仏教は近代化の過程で追放した。琵琶法師の末路がその好例。死者の弔いは、泣くことのない、死者も語ることのない葬祭へ変えられてしまった。キリスト教も同様。
…祟る霊をいかに成仏させるかが、仏教の第一の使命となって、死者のたたりを無力化し、無害化するだけの葬式仏教へ方向転換していった。死者の口を封じることが、死者の成仏であると。
 排撃されたシャーマンの宗教は芸能の世界へ逃げ込んだ。音楽や絵画、能楽。
▽104「死者の書」「バルドゥ」と名付けた死の瞬間の明るい光の波。
 死者を記憶することを通して死者の悲しみと向き合い、悲しみを通して人生の究極の知であるような死者との和解と赦しという生の深層にたどり着くことができるのではないか。そのとき、過去の残酷な苦しみ・悲しみは反転し、優しさが未来から「千の風」のように近づいてくる。
 死者を記憶すること、それが悲しみを慰めに変え、私たちの生き方を優しさの未来へ変えていく。
▽124 「星の王子様」「本当に美しいところは目に見えない」
 記憶の森の目に見えない領分こそが、実は本当に美しい。それは涙の国なのだと思います。
 人は、死者を記憶することを通して、死者の悲しみと向き合い、人生の究極の知であるような「赦し」「悲愛」と向き合うことができる。その時、過去の悲しみは反転し、優しさが未来からのように死者といっしょに近づいてくる。「死者からの贈りもの」
■「マグダラのマリアによる福音書」の衝撃
■マグダラのマリアと山姥
▽149 恐ろしいはずの山姥が、昔話には魅力的な姿で登場する。…働き者で優しい妻が、じつは山姥だったという話もある。
 山奥に住む賢い女であり、かわいそうな女。山奥に住むのは男性社会から追い出されたから。
 山姥は性の快楽を知っており、男を待ち構えている。
 山姥を里に連れ戻し、男の秩序の服従させようと知恵を絞り、救済のメッセージを考えた。だが山姥はそれを拒む。仏教もキリスト教も男性本位の宗教であることを知っているからだ。山姥を手なづけ男性原理の奉仕者に仕立て変えるのが仏教の観音信仰であり、キリスト教の聖母マリア信仰であることを、彼女たちは知っていたからだ。
▽157 いま山姥が文学史の主題となるのは、男性タテマエの文化が大きくゆらぎ、父権的権威が問われているからだ。崩壊しつつあるのは、家父長的男性支配原理である。男性タテマエ文化のもとにひたすら父権的家制度を支え、補完してきた「母なるもの」が、いまそのナショナルな役割から解放され、女性が山姥のように、家父長制家族の解散を社会に向かって突きつけている、と。
 山姥戸は、そうした家父長制家族からの逃亡者であり、離脱者であり、挑戦者だった。
 山姥が山奥から里に下りてきた時代、それが21世紀のはじまりであると思っている。
■ホロコーストとイスラーモフォビア
 福音書ではイエスの処刑の責任は、行政の長であるローマ人のピラトではなく、ユダヤ人が子孫のつづくかぎり永久にこれを負うとされている。
 これはキリスト教がローマ帝国で生き残り、国教となる過程においてつくられた話である可能性が高い。これによってユダヤ教徒は、中世・近世を通していたるところで「神殺しの民」としてあおられつづけた。
 とりわけ福音主義かざすプロテスタント教会において、シオニズム運動として顕著に台頭した。
 イスラエルという人工的な国家の建設には、反ユダヤ主義に対する「罪の償い」という意味があった。本来は西欧諸国が自らの責任において支払うべき償いなのに、それをパレスチナ人に肩代わりさせた。イスラムの犠牲においてイスラエル国家をつくるという巧妙な同士討ちの構図。いま世界を覆うイスラーモフォビアは、ユダヤ人問題の裏返し。

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