■講談社 20191112
20代で弟を30代で前妻の夏目雅子を亡くしている。その彼が身近な人の死をどう受け止めたのか知りたくて手に取った。
「なぜ彼女がこんな目に、なぜ自分だけがこんな目にあうのか」と混乱し、1年間はすさんだ暮らしを送った。
でもそのうちに、自分と同じような立場の人が大勢いることが見えてくる。哀しみに襲われている人の声を聞き取れるなにかが自分の心のなかに生まれる。その「なにか」こそが、別離が与えてくれるものだという。さらに、何のためらいもなく誰かに手をさしのべられる感情が与えられる。
なんとなくわかる気がする。自分の欲など消え失せて、だれかのためにならなくては生きている意味がないと感じる。
近親者を亡くした人が一番つらいのが2年目くらい、と筆者は言う。亡くなった直後よりも時間がたつにつれて悲しみは深まる。「奥さんや旦那さんを亡くした人は、まず三回忌を無事に終えることを考えてほしい。それができたら、新しい人生を模索してみることです」と書く。そんなものなのだろうか。年々悲しみが深まっていつか心が崩れてしまうように思えるのだけど。忘れることで癒されるぐらいならば、心が崩壊するぐらいの方がよいと思うのだけど。
「苦しみ、哀しみを体験した人たちの身体の中には、別離した人々が、いつまでも生きていて、その人の生の力になっています。だからこそ懸命に生きねばならない」と言い、「さよならが与えてくれた力を信じている」と断言する。悲しみを忘れることなく保持しながら、それが生きる力に結びつくのならば、それほどうれしいことはないけれど。
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▽前妻が闘病中の200日あまりの日記。これは納骨の日、彼女からの手紙とともに破り捨てた。
▽人は、他人が自分と同じ哀しみを抱いていると思ったとき、はじめて自分が抱いた同じ哀しみを静かに打ち明ける。やさしい人たちなのだ。
計り知れない喜びをもらったのだから、さよならが、いつか力になると信じよう。
▽前妻の死に直面したとき、はげしく動揺しました。それからの1年は飲むだけ飲んで、博打を打つだけ打った。
考え続けた結果、「いつまでも俺が不運だ、不幸だと思っていたら、死んでいった人の人生まで否定することになってしまう。短くはあったが、輝いた人生だったと考えないといけない」と思い至ったのです。そうするしか生きるすべがなかった。これは「故人を忘れろ」ということとも違います。近しい人との別れというのは、忘れようとしても忘れられるようなものじゃありません。
私はいまでも、弟や前妻の命日のスケジュールは空けておくようにしています。
▽近親者を亡くした人が一番つらいのがその2年目くらいだそうです。だからその年に三回忌が設けられている。
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