■清水書院 201910
神谷美恵子本人が最後に書いた「遍歴」の方が心に迫る。でも本人が書いていない部分がいくつかあって興味深かった。
「生きがいについて」では、「ある日本女性の手記」として記している変革体験は、結核や恋愛によって絶望に沈んでいたときの自らの体験だった。その体験によって、人間を超えた存在によって、人は支えられているのだから、すべてを神にゆだねて生きればよいという境地に達した。
「100ページしか学術書が読めなかった」「一晩で英語の小説を読了した」という日記の記述からは、すさまじい読書家だったことが読み取れる。語学も哲学も医学も心理学も……なにもかもをこなせる人だった。
「貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。そうすればその人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ」という聖句を好み、それにつづく「正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる」は「嫌いだ」と書き添えていた。報いを期待して行動することを嫌った。
1975年に病床でつづった詩は夫への愛情があふれて感動的だった。
病める妻をいとおしみて
赤児のごとく いたわりたもう
私も今や赤児のごとくなって
何もかもあなたの手にすがる…
ひとり 残される あなたを思うと
1日でも せめてたしかな あたまで
生きながらえて これから少しの日々でも
あなたの 道づれと なるべく
努めたい 身をつつしみたい
私は もうたくさん生きて
たくさん この世のめぐみを 頂いて
そっと 去って行きたいとは思うけれど
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▽101 1943年8月4日の夜、「…生きる意義を喪って宙に漂う私の前に、…新たな生きる意義として立ち現れたのがらいへの奉仕ということであった」
▽102 光田は「救ライの父」と呼ばれる反面、強制的に患者を隔離収容したということで、戦後内外から批難を受けた。しかし…
▽106「貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。そうすればその人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。」という聖句を彼女は好んだ。それにつづく「正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる」については「このあとについている句は嫌いだ」と書き添えている。彼女は報いを期待して行動することには堪えられなかったのであろう。
▽118 多くの男性が彼女に恋愛感情を抱いた。。「恐ろしいのは知らず知らず人を誘惑してしまう私という人間の、構成である。男性に対するわなたる自分である」
▽126 宣郎は仏教的な環境の下に育ち、若い時、病気療養中に、神秘的な安らぎとよろこびの体験をし、人間を超えた存在により、自分が生かされていると感じていることを知ったのは、大きなよろこびであった。
「私たちの生活が単に相互の幸福ではなく、少しでもそれを超えたより高い目的に向かっているものでありたいと話し合っております」。
(宣郎に献身的に尽くす。研究以外のアルバイトもさせなかった。〓そのやさしさが似ている)
▽152 長男律は、大学紛争ニカ変わり、母の「思想的弱さ」を弾劾する手紙を送ったり…
次男の徹は、理学部出身だったが、卒業後音楽の道に入った。
▽163 生きがいの前提となるもものとして、人間としてこの世に生を受けたことに対する感謝の念をとりあげた。感謝の心、恩を知る心が生きがい感の基礎である。
…彼女の念頭には、自分の好きな道を歩むことを許されず、失意落胆のなかにありながらなお生きがいを見つけて生きている人々のあることを知って、その理由を明らかにすることしかなかった。
▽200 いかに彼女がバッハを愛し、支えられていたか…自分の葬儀の時に流す音楽として、バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」を演奏家、レコード盤まで指定した。…人の評価ではなく、神を賛美するために音楽をつくったバッハの祈りが、美恵子の魂に語りかけ…
▽ 活動性に富んだ人は、…ちょっとでも活動をやめると自己の生を空虚に感じてしまう、それでますます一瞬の隙もないように、活動へと自らを駆りたてることになる。これに反して、細やかな感受性をもった人は、静かな暮らしのささやかな事柄のなかに生存充実感を求め、感度の高い受信機のように、普通の人にはみのがされてしまうようなところからこれをつかまえてくる」(R)
▽210 人間を超えた永遠に変わらぬ存在、その存在が常に自分を守り、導いていると確信できることが、どんなに大きな安らぎを人に与えていることかと彼女は述べた。
人間を超える存在にすべてをゆだね
…苦しみも悩みも、健やかさも病もすべて神の御手のうちにあると考え、感謝をもって生きることが、真の宗教心である、と考えており…
▽定年退職はちょっと前まで55歳だったんだ。
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