■岩波書店20190428
教師で詩人の和合亮一は被災地の福島から詩をつづりつづける。悲しみの底から言葉をしぼりだすという共通点をもつ2人が東京新聞で連載した往復書簡だ。若松の本は何冊か読んできたが、彼の思想が詩人と交流することで、よりわかりやすくすっきりした言葉で表現されている。
若松は妻が亡くなる直前の極限状態にあるとき、飢えた者が食べ物を漁るように書き続けた。文字を生み出し続けなくては、自分の存在を維持できないことをどこかで感じていた、という。俺も確かに日記を書きつづけた。でもそれは自分の表現というより、彼女の様子や言葉を遺したい一心だった。若松のケースとはちがうのかもしれない。
愛する人が亡くなるとき、半身を奪われるほどの悲痛を感じる。でもその悲しみを身を宿すことで、どれだけ自分が愛されたか、どれだけ深く愛していたかを激しく知る。生きていた時よりも深く亡き者を想い、今も自分とつながっていることを知る。悲しみを生きることで、より豊かに他者を愛することができるようにもなるという。
思い出すのがつらくて記憶を封印しがちだが、愛する人を喪ったことを「個の問題」と考えると抜け出せなくなるという。若松も苦しんだ末に、読み、書くことに光を見だした。個の問題は他者に向かって開かれるなかで新しい姿にかわる。自分の苦しみと悲しみが、かけがえのないものであると思えたという。
若松は、死者は実在しており、死後にまた会えると確信している。それを感じるには、死者を感じているという素朴な経験に忠実であればよい。遺影に語りかけ、強い共感をもってその前にただずむことができるのは、遺品が死者と生者をつなぐ扉になるからだ。「遺品」のうち、もっとも強いものがコトバだ。「亡き妻が今も与えつづけてくれているのもコトバなのです。…書くとき、自分が生きている死者たちと共にあることを、ほとんど本能的に感じている」
「誰もが自分を救い出す言葉をわが身に宿して生きている」と彼は断言する。そんなコトバに出会える日があるのだろうか。
和合は、サイクリングが趣味だったが、震災後は乗らなくなり、3年間雨ざらしにしていた。ある日さびた自転車が切なくなって修理した。俺もそうだ。病気がわかって以来、ロードに乗らなくなり、さびついてしまった。この本を読んで切なくなり、チェーンに油を差した。
「般若心経」を唱えると目の前がふと明るくなる、というのもわかる気がする。明るくなるわけではないけど、涙はとりあえずおさまる。
=====================
▽4 震災が起こったとき、言葉を失ったと公言する文学者たちが多くいた。コトバを届けることだけが、遺された唯一の仕事であるはずの文学者が、言葉を語ることを放棄するという異常な事態がつづいた。
▽6 私たちの心を動かす言葉はいつも、私たち自身の日常に潜んでいる。…しかしどこを探しても心の闇を照らす言葉が見つからない。そう感じたなら書くときが到来したのである。…書けないと感じたら「書けない」と書いてみる。
…人生には、避けがたく訪れる暗闇の時がある。しかしだれもが底を照らし出す言葉をわが身に宿している。試練にあるとき、言葉は光になる。
▽7 何を書こう、どう書こうかと思い巡らせることはときに、コトバが宿るのを邪魔することがある。。コトバの宿りにもっとも求められるのは待つことだ。これが、自分の書く最後の文章だと思って書くことだ。…この世で読む最後のものになるかもしれないと思って書くことだ。
▽9 死が相手との間を別つとき、人は半身を奪われるほどの悲痛を経験しなくてはならない。痛みを感じてみなければ、どうしても見えてこない境域がある。悲しみをわが身に宿してみなければ、見通すことのできない場所がある。誰かを愛すとは、自らの胸に悲しみの種を宿すことかもしれない。
…悲しみの花が咲くとき人は、悲痛のなかにいるのは自分だけではないことを知り、また、喪った相手を自分の傍らにいたときよりも、いっそう強く、深く想い始める。
▽26 悲しみとは、痛みの経験であるとともに情愛の源泉であることを教えてくれて…人は悲しみを生きることによって、自分が思っているよりもずっと豊かに、また確かに、他者を愛することができる…
▽47 波打ち際で夏を感じること、浜辺でスイカやトウモロコシを食べること…自然を生きる<権利>が奪われています。幼いころにもらったこれらの時間を、福島の子どもたちにそのまま手渡したい。
▽52 サイクリングは趣味でした。震災後はまったく乗らなくなりました。3年のあいだ、雨ざらしにしているうちにいろいろな部分が錆びてしまいました。ある日、その様子を見て、我に返ったような気持ちになって切なくなりました。
(そうだ。自転車はあれほど好きで毎日のように乗っていたのに、さわりもしていない。〓)
…「野馬追を生きる 南相馬を生きる」 妻、息子、母、娘をなくした菅野長八さん。(そんな思いをした人が、祭りをつづけるために努力する。どんな気持ちなのか)
▽56 原民喜研究者の竹原陽子さん。書くことを原民喜に促したのは、妻をふくむ死者たち。
栗原貞子 「死者たちの無念は炭化し 黒く凍結したままなのに 生き残った者の記憶は腐臭を放ち あの日の真実を語ることはできない …一度目はあやまちでも 二度目は裏切りだ 死者たちへの誓いを忘れまい」
こうした優れた詩は、いつまでも読まれ続けなくてはならない、読むことは生者に託されたひとつの務めだと思うのです。
▽59 自殺した妻の無念を晴らすため旦那さんは裁判へ。東京電力側は女性の「個体側の脆弱性」の影響にもよるものというコメントを出しました。
▽65 震災の直後から、インタビューを続けてきました。…
▽70 私は、死んだ後、先に亡くなった人に会えると確信的に感じています。
▽81 妻の死は、私にとって言葉の宿りでした。…彼女の没後、私にとって書くことの意味はまったく変わりました。
吉満義彦という哲学者「…その者ひとたび見えざる世界にうつされて以来、私には見えざる世界の実在がいよいよ具体的に確証された如く感じる。」
…遺品は亡くなった人を懐かしむための何かではなく、死者と生者をつなぐ扉になる。しかし、扉を私たちが押すことがなければ、その奥の場所に進むことはできません。…「扉を押す」とは、死者を感じているという素朴な経験に忠実であることではないでしょうか。…直接的な事故の経験に誠実であること。
▽84 小学生のときなくした祖父の位牌の前で、「般若心経」を読む。唱え終わるといつも、目の前がふと明るくなる気がしました。(〓)
愛する人物の死と、言葉と向き合う。
▽86 残された物は、過ぎ去った者たちを単に記念する物ではなく、今も共に生きている者との通路になるということなのです。だからこそ遺影に語りかけ、そうした場に強い共感をもちながら佇むことができる。
「形見」のうち、もっとも強く残りつづける物は言葉ではないか。さらにいえば、言葉を超えたコトバこそ、人間がこの世に刻みうるもっとも高貴なものではないか。
…亡き妻が私に遺してくれた、そして、今も与えつづけてくれているのもコトバなのです。だから、私はこうして今も書いている。書くとき、私は、自分が生きている死者たちと共にあることを、ほとんど本能的に感じている。
▽93 悲しんでいるのは自分だけではない。むしろ、世に悲しみを経験したことのない者などいない、この素朴な事実に気がつくだけで、世界は一変する。
自分の悲しみに佇み、深見から響いてくる声にならない「声」に、心を傾けるとき人は、だれもが悲しみを胸に生きていることを、、そして帰って悲しみによって他者と結びつくことを知ることができる。
…悲しみは、人間の心にあって、容易に言葉になろうとしない思いを感受するために人生が与えてくれた契機でもあるように思われます。
▽94 悲嘆に暮れるとき人は、確かに自分が愛されたことを思い出し、そして、そのことを伝えようと死者に向かって、声になろうとしない嗚咽をもって呼びかける。このとき人は、悲しみの深みにいながら同時に、今、自分は確かに亡き者と、情愛と呼ぶべき何かによってつながっていることを知るのです。
▽98 だれもが悲痛を持ちながら生きている。それを言うことができない人は、経験自体を心の奥の深い場所に封印してしまう。…想いの箱を開ければ、去来するのは苦しみばかりだと思い込む。私もそうした日々を生きてきたことがあります。しかし、ほとんど出口がないと観じられたとき、一条の光を見いだしえたのは、読み、そして書くことによってでした。
…伴侶の死を経験するまで私は、読む、あるいは書くことは主に、理性と知性の営みだと感じていました…
…この世には理性と知性だけでは到達できない感情の領域がある。感情によって、人は語り得ないことをも言葉とは異なるコトバによって理解する。
▽100 人は誰も、いつから自分を救い出す言葉をわが身に宿して生きていることを語らなくなったのでしょう。
▽106 私たちは本当に自分に必要なコトバは、必ず、自分で「読み」、自分で「書く」ことになる。人は人生の試練を生き抜くに充分なコトバをわが身に宿して生まれてきます。
▽121 愛する人を喪うその問題を「個の問題」としてのみ考えていると、そこから出られなくなる。私もそういう時期があって、ずいぶん苦しみました。今回の震災では、…理屈抜きで、苦しんでいるのは自分だけではないということがわかった。個の問題は他者に向かって開かれていくなかで、新しい姿に生まれかわる。それと同時に、自分の苦しみと悲しみが、逆にかけがえのないものであることも分かりました。
…「震災を語りながらも、虐待や孤独死といった普遍的な社会問題で傷んだ心と結びつくことはできる。震災は、あらゆる問題を語りうる物語性を持つ。そこまで掘り起こしたいのです」
▽125 柳宗悦は、日用品のなかに民芸をさがした。私は同じことを言葉で試みたいのです。言葉の「民芸」を発見したい。文学を独占しようとしている文学者の手から文学を奪還する。
▽127 死別は、苦しくて悲しい。けれど、自分にとってその人がどれだけ大事な存在だったかを、これほど激しく知る経験もないのです。そんなことを語ってゆきたい。あなたがこんなに悲しいのは、あなたがその人のことを深く愛しているからです。あなたがこれだけ人を愛し得ることを、あなたはこういうことがなければ知ることはなかった、と。
コメント