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歌に私は泣くだらう 妻・河野裕子 闘病の十年<永田和宏>

■歌に私は泣くだらう 妻・河野裕子 闘病の十年<永田和宏>新潮社201812

有名な歌人夫婦。妻の河野裕子は乳がんになり、手術は成功したが、精神を病み、延々と罵りの言葉を浴びせられ、ついには筆者も爆発していすをテレビに投げつけ、息子の肩にすがって大声で泣いた……。そんな修羅場がようやく落ち着いた8年後、再発してしまった。そうした経緯を歌とともに綴っている。自分の経験を重ねてしまい、ページがなかなか進まなかった。
※ 何といふ顔してわれを見るものか私はここよ吊り橋ぢやない
乳がんとはじめて診察された日、筆者は平静を装っていたのに、動揺は妻に見通されていた。私の妻の肝臓転移がわかり、もう一緒に酒を飲めないのかと思った時、悟られまいと思ったが、「いまにも泣きそうな顔だったな」と言われた。一番つらいはずの本人に悟られるのはつらい。

※ なんにしてもあなたを置いて死ぬわけにはいかないと言う塵取りを持ちて
※ わが知らぬさびしさの日々を生きゆかむ君を思へどなぐさめがたし
自分が一番つらいのに「ごはんをつくってあげたい」「冬ズボンを買い忘れた。天国からポチッとできないかなあ」「(僕が)かわいそう」と日記に書いていた。自分がつらい時になぜそんな思いになれるのか。

※ あの時の壊れたわたしを抱きしめてあなたは泣いた泣くより無くて
「この一首は、私を支え続けてくれるお守りのような歌になった」という。ちゃんと泣くことによって心が通じ合っていた。それがお守りなのだろう。

家を建て替えた直後、手術から8年後の2008年、「もう大丈夫」と宣言してまもなく転移が見つかった。
再発後の裕子さんは、静かに安定していた。「死というものを考えに考えた末に、彼女が辿りついたある種の精神の高みなのであった」と書く。それも似ている。。3カ月前に一度余命宣告を受け、その後回復していろいろ準備したことが、最後の1カ月の落ち着きに結びついたのかもしれない。でもその時はもう彼女は日記を書けなかったから、本当のところはわからない。
何を見ても、どこへ行っても、なにもかも「最後」なのだという思いに襲われる。それを
※ 一日が過ぎれば一日減つてゆく君との時間 もうすぐ夏至だ
と表現する。
再発してから筆者の方が参ってしまい、「…裕子のひざに顔を埋めて泣いていると、彼女はかわいそうにかわいそうにと、いつまでも私の髪を撫でてくれた」と言う。
※死なないでとわが膝に来てきみは泣くきみがその頸子供のやうに
この記述はうらやましい。「私は死にましたあ」と妻が言ったとき、「一度死んだならもう死ねないよ」と軽口で返した。あのときは「死んだ」という思いを受け止めるべきだったのではなかったか。平静を装ったり、希望にすがりすぎて、ちゃんと悲しみを表現してなかったのではないか……と感じてしまった。
※ きみがゐてわれがまだゐる大切なこの世の時間に降る夏の雨
※ 歌は遺(のこり)り歌に私は泣くだらういつか来る日のいつかを怖る
これらを筆者は妻の生前に発表する。死を前にした思いをちゃんと二人で交歓し合っていた。
以前の病院では大部屋で他の人たちの会話を聞いているのが楽しいと言っていたが、今回は…というのも同じだった。筆者のように「以前とは病状が明らかにちがう段階にきていた」と認識しなければいけなかった。
ホスピスでは抗がん剤治療はいっさいできない、という説明に怒りを感じたことも、自宅に連れ帰ることが「回復へつながる道であるようにも思われた」のもいっしょだ。病院は、どんなに至れりつくせりの設備と看護態勢が整っていても所詮は生活の場ではない、という思いも。家に帰ることで治る道はあると私も半ば信じていた。もっと現実を受け止めるべきだったのかもしれない。
きのうまでしゃべったのに、言葉が出なくなる。ブドウをかみしめてくれなくなる……そのたびに絶望感が募る。でも亡くなると、その何倍もの空虚に襲われる。「相槌を打ってくれる存在のいない寂しさと残酷さは想像がつかなかった」と筆者も記す。
※ 相槌を打つ声のなきこの家に気難しくも老いてゆくのか

そんなにも寂しい日々を支えてくれる「お守り」は、
※ 長生きして欲しいと誰彼数へつつつひにはあなたひとりを数ふ
「あなただけは、長生きして欲しい」という裕子さんの歌だという。
「いい人をもらって長生きしなさいよ。後追いなんか考えず、記者として死ね」と私も言われた。なぜそんなことを言うのか、と思ったけど、筆者の妻もそうだったのかと思うとちょっとだけホッとする。
裕子さんは亡くなる前日まで歌をつくった。
※ 手をのべてあなたとあなたに触れたときに息が足りないこの世の息が
うちの場合は、亡くなる前の3日ほどはもう会話はできなかった。でも何日か前、
「ミツルの顔が見えなくなってきた。声が小さくしか聞こえなくなってきた。そんなんじゃ生きてる意味ないじゃん」と言っていた。

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