■知の体力<永田和宏>新潮新書 20181126
京都大学で長年生物学の研究をすると同時に歌人として有名。でもそれで読もうと思ったのではなく、歌人だった妻を亡くした経験について京都新聞で次のように語っていたからだ。
「よく時間が癒やしてくれるというが、それは自分にあきらめを強いること。僕は忘れたくないし、癒やされたくもない。時間の中に記憶が薄れていくのがむしろ怖い。<「科学者なのに、ゆで卵一つできないの」。河野さんは永田さんの日常をよく笑い話にした。しかし今、永田さんは自炊を欠かさない> どこかで自分を律していないと、崩れてしまうのが目に見えている。外食しないのもその一つ。今はその辺が自分の支えだ。死に急ごうとは思わない」
彼には妻の死を記した著書もある。でも直接その本を読むのはつらすぎる気がして、学者としての彼の支えをまず知りたくてひもといた。
大学に効率を求めるな。高校の授業のようなわかりやすさや「社会に役立つ」ことを求めるな。大学の授業は、わかっていること、ではなく、わかっていないことを教えるべき。失敗や無駄を大切にしろ。感情や美醜を表現したいとき形容詞を安易に使うな。どんなにすごいことを思いついたとしても、それを言葉で表現できなくては意味がない。自分の大きさは、表現できた程度のものでしかない……いちいち納得できる。内田樹にちょっと似ている。納得できすぎて、新味はあまり感じられなかったけど。森毅の講義に出ていたことや、京都独特の学生生活には懐かしさを感じて共感できた。
やっぱり、妻の死について記した「歌に私は泣くだろう」を読んでみよう。
「愛する人を失ったとき、それが痛切な痛みとして堪えるのは、愛の対象を失ったからだけではなく、その相手の前で輝いていた自分を失ったからなのである。私は2010年に、40年連れ添った妻を失った。彼女の前で自分がどんなに自然に無邪気に輝いていたかを、今ごろになって痛切に感じている」
確かにそうだ。夢が消え、ムラの取材に出る気も失せ、あれだけ好きだった中米にも興味がなくなった。何もかも色あせてしまった。たしかに彼女の前では無邪気に輝いていて、安心して次にやることを考えて、心配ばかりかけていた。
輝いていた自分を失った、という発想は僕には浮かばなかった。この言葉にであえただけで読む価値があったと思う。
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・ある知識を得ることは、そんな知識を持っていなかった「私」を新たに発見すること。読書をすることは、「こんなことも知らなかった自分」を発見すること。自分を客観的に眺めること。
・十分な知識を身につけてから研究を始めるのではなく、研究しながら、その都度必要になった知識を仕入れていく。それがもっとも大切な知識への接近の仕方ではないか。(取材をしつつ調べた方が知識が自分の文脈のなかに身についていく)
・授業料を払ったからと言って、対価を受け取るのが当然という態度からは、大切なものは教授されないのではないか。その「知」を与えてくれる存在に対する、敬意と尊敬…がない。
・孤独を知ることが自立ということであり…
・言葉は究極のデジタル 表現したとたんにアナログからデジタルに変換されてしまう。言葉で表すとは、対象を取りだして、当てはまる言葉に振り分ける、すなわち分節化する作業である。無限の多様性を、有限の言葉によって切り分ける作業。
・われわれは、漠然と深遠なことを考えているように勘違いしているが、実はほとんど何も考えていないことのほうが多い。
・(本屋のように)偶然のであいという形での「知」への遭遇はネット環境下ではまず起こりえない。
・今ならばまつすぐに言ふ夫ならば庇って欲しかった医学書閉ぢて
文献に癌細胞を読みつづけ私の癌には触れざり君は 河野裕子歌集
…これを読んだときはつらかった。…彼女が欲しかったのは、医学的な知識でも…励ましでもなかった。…彼女と一緒に悲しんでくれる存在だったのである。
・苦しい思いばかりがいっぱいに詰まってしまった心には、他からの言葉や示唆を受け入れる空間がない野である。とことん吐き出して、いったんからっぽになった上でなければ、人の言葉が浸透する余地がない。
…相手に気の効いた示唆を与えようとするから、自分のなかのできあいの言葉でしか語れず、相手には届かない言葉になってしまう。
・一緒にいると相手のいい面に気づく、そのいい面に気づく自分がうれしく感じられる。その人と話していると、どんどん自分が開いていく気がする。お互いそんな存在として相手を感じられる関係こそが、たぶん伴侶と呼ぶにふさわしい存在なのにちがいない。(チはそう感じてくれていた。それはよかった。俺はどうだったか前段はあったな。でも新しいことを使用とすると止められることも多かったから「自分が開く」がないこともあったな。)
・愛する人を失ったとき、それが痛切な痛みとして堪えるのは、愛の対象を失ったからだけではなく、その相手の前で輝いていた自分を失ったからなのである。私は2010年に、40年連れ添った妻を失った。彼女の前で自分がどんなに自然に無邪気に輝いていたかを、今ごろになって痛切に感じている。
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