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中陰の花 <玄侑宗久>

■中陰の花 <玄侑宗久>文春文庫 20181118
 「中陰」とは、「有」と「無」の中間、陰と陽のどちらでもあるようなあり方という。49日に中陰が終わると、あちら側に行って成仏するのだ。
 主人公の禅僧が、幼いころからお世話になった拝み屋のおばあさんが死の床にある。おばあさんは自らの死ぬ日を予言する。
 主人公の妻圭子は不思議な体験を繰り返し、おばあさんの不思議な力にもひかれている。
 一方、主人公は「プラクティカル」だ。釈尊も死後のことについての質問には答えなかったのだから、あの世があるかどうかわからん、と言う。成仏とは、ほどけること、で、体を構成するものがほどけて世界全体の一部になっていくこと。亡くなる直前に光に包まれるというのは、酸欠になることでそう感じられるのだ、という。
 極楽浄土は十万億土のかなたにあるというが、その距離を49日で行き着く場合、そのスピードは秒速30万キロ、光の速度だという説もあるらしい。光の速度を凌駕する量子テレポーテーションという現象も確認された。通常の理性では理解できない事態が科学の世界で起き、宗教と科学の境がわからなくなってきている。
 圭子は子どもを流産していたが、則道は供養をしていなかった。それを圭子は引きずっていた。うちの妻も以前流産した。その供養なんて考えもしなかった。たぶん彼女は命を感じていたのに私はまだ「命」と感じていなかった。その差は大きかったのかもしれない。圭子と妻はよく似ている。妄想して夢みがちであることも。
 「成仏」を実感できたら、救われることも多かろう。

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