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看取り先生の遺言 2000人以上を看取った、がん専門医の「往生伝」<奥野修司>

■看取り先生の遺言 2000人以上を看取った、がん専門医の「往生伝」<奥野修司>文春文庫 2018/11/03

 仙台を拠点に早くから在宅緩和ケアに取り組み、自らがんとなり、震災ではスタッフの看護師を失う。医者は回復は助けてくれるが、「死への道しるべ」が何もないことに気づき、「臨床宗教士」の育成に取り組んだ。
 そんな医師が亡くなる直前まで170回のインタビューを重ねてつくられた本。
 あちこち心に響いたが、がんについての記述は妻がいた時は読めなかったろう。肝臓の転移が3つまでなら可能性があるが、4つあったら可能性ゼロ、なんて記述を3月に聴いたらいっぺんに絶望してしまったろう。
 この本のすごみは「お迎え」を真正面からとらえ、亡くなる直前の「せん妄」が、実は大事な心のプロセスであり、現実であり、病的なものではないと説いていることだ。
 妻も、いろいろ妄想していた。それを否定せず受けとめられたのは、従来から妄想力抜群で明るい性格だったからではあるのだけど、以前に「痴呆老人」を取材して、妄想に見えても本人のなかで論理的に完結していることを実感した経験が生きたとも思う。
 でもあの妄想や言葉をもう一歩踏み込んでとらえていなかった。この本を先に読んでいたら、だれが迎えに来たのか、どんな景色が見えるのか、もっと聴いていたろうに。
 看取りを重ねるなかで、岡部医師自身も「お迎え」や「あの世」を信じるようになったという。少なくともそれらがあると考えたほうが死を怖れなくてすむ。
 そして、患者を救おうとして、自分という個人を犠牲にして津波に没した看護師の弔いを通して、個別の命がまずあるのではなく、個人は、もっと大きな巨大な生命体の一部に過ぎず、個が死んでも巨大な生命体にもどるだけ、と思うようになってきたという。その感覚は熊楠の考え方にもつながる。
 妻は今どこにいるのか。お迎えに来てくれるのか。来てくれると信じたい。
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▽21 がんになって思うのだが、長寿進行は患者さんを非常に苦しめる。長生きがいいなんてだれが決めたのだろう。日本人はいつからこれほどまで長寿信仰になったんだろう。(「長寿があたりまえだと思っていた…」と苦しんだ)
▽27 予後が1年にも満たない患者に減塩して意味があるのか。挙げ句の果てにエンシュア・リキッドとかを出してくる。
…病院には生活空間がない。病院とは、病気が治って帰るために、患者さんがひたすら耐える場所なのである。
▽36 患者さんは自分の勘を信じることだ。自分の体力に自信を持てない治療は、受けない方がいい。
▽51 人が亡くなる時にともなう「闇に降りていく感覚」。いざ死んでいくことを考えた時、どうやって降りていけばいいか、その道しるべがないことに、自分ががんになってはじめて気づいた。
 …緩和ケアも、痛みを取る治療や心のケアや、生きることばかりで、死にゆく人の道しるべがない。
▽89 抗がん剤 生存曲線はどれくらい延びるか。その証拠は。効かなかった時はどうなるか、予後が短くなるということか。…うちのような緩和ケア外来を訪ねて相談するのも良いだろう。
「がん情報サイトPDQ」日本語版から臨床試験検索をクリック。NCCNガイドライン。がん診療ガイドライン。…抗がん剤は基本的には75歳まで。
▽105 70年代から80年代にかけてCTが導入されたことで、外科治療がようやく空想から科学になった。
▽112 ホスピスのノウハウは結核療養所にあった。治せない患者さんをどうケアするかというケアプログラムが、結核療養所にはあったのである。せっかく日本型のホスピスがあったのに、それを潰し、継続性のないホスピスが西洋から持ちこまれた。
▽119 がんは脳卒中と違い、進行が早い。それもなくなる直前になるとほとんど手がかからなくなる。「即身仏のようにやればいいんだ。五穀を断ち、十穀を断ち、水を切っていけば楽に死んでいける」。彼はがん患者さんの点滴を静脈注射ではなく皮下注射にしたんです。…
▽128 穏やかに看取ろうと思えば、実は医療ニーズが小さく、看護介護ニーズがいっぱいある。
▽140 …年間50人は看取らないと、技術水準は保てない。…病院が終末期の緩和ケアを医療技術と認めていない。
▽143 70年代に国民皆保険が定着すると、病院への集中がはじまる。…60年代以前の医療技術なんて、江戸時代の医者に毛が生えたぐらい。…肺がんが外科治療で治るようになったのが70年代。あらゆる進歩がこの時期に集中した。病院にいけば治るという考え方が定着。集団検診運動。大病院信仰が生まれ、さらに、核家族化によって看取りの文化が壊れ、地域のインフラとして存在していた在宅システムが崩壊したことがさらに、大病院信仰を確固としたものにした。
▽160 本来短時間型の方がよいのに、長時間作用する麻薬で1日中痛みを抑えるのがいいんだという考え方が定着してしまった。…短時間作用型で痛みを取り除くのが本来のモルヒネの使い方。
▽175 「お迎え」現象は、幻覚をともなった「せん妄」として措置されている。岡部医師は、お迎えがせん妄によるものかどうかを論じるよりも、「お迎え」を体験した患者がほぼ例外なく穏やかな最期を迎えることに着目してきた。(〓そうだったかも、じいちゃん、今いくぞーって言ってた)
…岡部医院の相澤出氏(社会学)4割が「お迎え」を体験していた。
▽180 患者さんが自分の死期を予言した場合、男性は外れることが多いが、女性はほとんど当たっている…(せっかちだったから男性的だった)
▽184 「お迎え」現象は精神と肉体がほどよくバランスを取りながら衰えていった時に起こるという。このバランスがうまく取れないと、場合によっては、非常に苦しい最期を迎えることもあるという。
▽190 病院の治療、点滴などが「お迎え」の出現を妨げている…穏やかな最期というのは、故人が「自然死」を迎えられたから。(穏やかだったのかなぁ。フルーツパーティーやと、自分の葬式もアレンジしていた)
▽191 患者さんは食べられなくなり、水分を受け付けなくなり、血圧が下がり、嚥下ができなくなる。これがナチュラル・ダイイング・プロセスである。(知っていればもう少し穏やかに接せられたかも。でも医師は教えようとしていたが、僕がそれを聞こうとしなかった、という面もあった。まだ治るという希望を捨てられなかった)
 …このプロセスをモデルにして、そこへ近づけることが終末期医療のあるべき道筋ではないかと思っている。
 …自然死を受けとめ「食べられなくなったから、死を迎える準備に入った」ということが理解できれば、「食べつづけさせなければいけない」という選択肢は生まれない。「誤嚥性肺炎はなくなっていく過程で必然的に起きる病態の一つ」だとわかれば、喰わないで胃瘻を増設するという発想にはならないはずである。
 …死ぬ直前に、意識の中であの世とつながっていたら、あの世があろうとなかろうと、あの世があることと同じだろう。「お迎え」は、最期の時期を穏やかに過ごすために、神から与えられたギフトなんだと思う。
▽194 人間の体は、どこの臓器が不全になっても、苦痛が除去できるようにつくられている。肺がんが進行すると、血中のCO2濃度が上がって中枢神経や呼吸中枢を抑制する。炭酸ガスには麻酔作用があるから、脳内のβエンドルフィンを活性化させて穏やかになり、夢見がちになって、苦痛なく旅立てるようになっている。
 肝不全になれば、高アンモニア血症といってアンモニア濃度が高くなって夢見がちになる。骨が侵されたら高カルシウム血症で夢見がちになる。
▽200 「お迎え」昔なら、お念仏をとなえるとかいろいろな儀式があったが、今はなくなってしまったから、手だてなくただボーッと見ているしかないのである。死んでいく家族の隣に座って、なにもせずに見ているほどつらいことはない。「見てられない。なんとかしてあげたい」と思った時、あわてて救急車で搬送となるのである。
 …儀式があるというのは、非常に大切なことなのだ。
(念仏は思いつかなかったけど、歌を歌った。唱歌が大事だ。みんなが分かち合える歌はお経の役割も果たせるのではないか〓)
▽213 遊佐(津波で亡くなった看護師) まず個人があり、それが寄り集まって家族をつくり、さらに集まって「街」となり「国家」となり、その先に自然があると位置づけていた。だからがんがわかった時も、私という個人が死ぬことばかり考えていた。ところがこれは逆ではないか。まず「自然」があり、そのなかに「人の群」があり、そして私という「個人」がいる。遊佐が死んだって、私が死んだって、いずれ大きな命の一部として一緒になるんだと。
▽232 「食べられなくなったら、死を迎えるための準備に入ったんだよね」という価値観が共有されていたら、胃瘻をいれるという選択肢にはならない。
▽234〓〓
▽235 水が飲めなくなる、おしっこが出なくなる、やせてくる、のどを通らなくなる、意識がうつろになる死前喘鳴といって喉をごろごろ鳴らす等々は、決して病気ではなく、死に至る過程で避けられない現象。…「お迎え」が出る頃になると患者さんは楽になり、逆に看取る家族側にケアの比重が移るのである。このとき家族の「見ているのがつらい、怖い」といった不安感を支えていくような場づくりがなければ、在宅がよくてもどこかで行き詰まってしまう。昔は…本人や家族の不安感をやわらげるための儀式があった…。(歌うこと)
▽東北大学で、臨床宗教師を育成
▽260 京都大学 カール・ベッカー教授 平安時代以降の「往生伝」を研究しようと来日。「お迎え」現象や日本的死生観を研究。
▽266 暑いのに患者さんが「寒いから毛布をかけろ」と言うじゃない。…患者の意志に従わないとだめだってことが、患者になってよくわかったよ。(暑い暑いと言っていた。そんな馬鹿なと思ったが)
▽274「体重が減って生きる能力も薄れてきたら、やっぱり死に対する恐怖感も薄れてくるんだな。今の俺は、恐怖より早く楽になりたいという感じの方が強いね」(そうだった。でも「普通でいいのに」は?)
▽288 遊佐は逃げることもできたのに、逃げなかった。それは個としての命ではなく、もっと大きな人間の群れとしての命を守ろうとする行動だったんじゃないか。
▽293 お迎えの調査 ベッカー「国際臨死体験研究会」がイギリス、フランス、オランダ、アメリカ、アルゼンチンでも、そういうケースを集めてきました
▽著者あとがき 私が子どもの頃は日常会話のなかで「お迎え」が語られていたのに、いつの間にか「せんもう」になっていた。
▽解説 玄侑宗久
 「在宅での死の看取りから生まれるタナトロジー−(死生学)」
▽医学的には「譫妄」となどと処理されていた。岡部氏はこれを死に近づく過程で起こる自然な生理現象ととらえ、そこにこそ死という暗闇に進むための道しるべがあると考えた。(譫妄は異常ではない。異常と考える方がおかしかった)…死期の迫った人々の変性意識に現れるリアルは、通常の意識の思い描く世界とは明らかに違う。意識の世界で「譫妄」とみなされることが、変性意識状態ではリアルなのである。
▽313 「あの世」は特定の宗教用語ではない。仏教はあくまで浄土である。浄土のように「往く」場所ではなく「帰る」場所ではないだろうか。人は「そこから来た」元の場所へ、最後に帰ろうと欲しているのではないか。

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