■いつでも死ねる<帯津良一>幻冬舎 20170911
「余命2年」と宣告されながら8年間を生き抜いた友人のアンエリは、元気だった過去や、あり得たかもしれない未来を嘆くのではなく「いま・ここ」に集中して生きることの大切さを何度も説いていた。
治療にともなう痛みは、痛みに巻き込まれるのではなく、痛みを感じる自分を観察し表現することで、耐えていこうとしていた。
彼女の精神力に脱帽し、共感を覚えていた。
でも、自分がつらい事態に陥ったとき、「いま・ここ」に集中にはどうしたらよいのか。わかるようでわからなかった。
この本は、東洋医学や代替療法を活用したホリスティック医療を実践する医者が、その死生観をわかりやすくつづっている。
筆者は、多くの患者を見送ってきたが、末期といわれながら、生き残った患者も少なくなかった。
その多くは絶望に流されることなく「絶対に治る」という信念をもつとともに、いつでも死ねるという気持ちの人が多かったという。
どうしたら「いつでも死ねる」と思えるのか。
「過去のことを後悔して心を煩わせるのではなく、今を精いっぱい生きるということです。…今に意識を置いて、今を大切に生きることに全力を尽くす」「今日が最後の1日。そうやって生きると、一瞬一瞬が輝いてくる」
アンエリの言っていたことと同じだ。
医療者は、恐れであれ不安であれ、死をしっかり見つめ、自らの死を実感したうえで患者と接しなければならないという。
では、どうやって「死をしっかり見つめ」るのか。
「今日を最後の日と思って生きればいいのではないか。…わずかな時間しか残されていないことを意識すれば、一瞬一瞬の景色、ひとつひとつの行動が、まったくちがって感じられてくる。それをつづけることで、患者さんたちよりも一歩だけ死に近いところに立てるのではないか」
その通りだなあと思う。
私は転勤が多いから、ひとつのまちを離れる時は無性に寂しく、何もかもが美しく見える。そして、死ぬ直前はこれよりも何倍も何十倍も風景が美しく見えるんだろうなあ、と毎回のように考えてしまう。引っ越しは、死への予行演習だと思ってきた。
毎日「今日が最後」と実感できれば、切ないけど濃密な時間を過ごせるだろう。
最初の一歩はどこから踏み出せるのだろう。
「1日の仕事を終えて疲れ果て、家へ帰ったらばたんと寝てしまうのはとてももったいない」「1日を乗り切ったことを、晩酌でも読書でもいいからほんの5分でも味わう時間があれば、そこからときめきが生まれる」と言う。
1日の終わりには、小さなものでもいいから、ときめきを探して寝る。そういう習慣をつけることが大事だと説く。
「ときめき」こそが、病を治す力にも、死を受け入れる力にもなるのだという。
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▽27 夢や目標に向かって努力していると、挫折という刃が襲いかかってくる。その緊張感とスリルが、人を成長させるし、人生のおもしろみにもつながっていく。
▽64 「いつでも死ねる」覚悟が、生きる力を強くする。「がんという病気を乗り越えるには、絶対に治っていくという信念がないとダメです」「でも、この信念が強すぎると、執着となって良くないのです」「治るんだという気持ちはいくら強くてもいいでしょう。でも、その脇の方でいいですから、いつでも死ねるという気持ちをもっていてほしいのです」
▽70 「いつでも死ねる」という思いというのは、先のことを心配したり、過去のことを後悔して心を煩わせるのではなく、今を精いっぱい生きるということです。…居間に意識を置いて、今を精いっぱい、大切に生きることに全力を尽くす。
…毎朝、病院でひとりで太極拳を舞います。たった1回きりです。全身全霊をこめての太極拳です。昨日のことを思い煩ったり、これからのスケジュールを考えたりすることは一切ありません。今この瞬間に集中します。
何かひとつ「これが最後だ」と思ってとりくむものをもつこと。それが「脇に、いつでも死ねるという気持ちをもつこと」なのではないでしょうか。
▽76 かなしみが人間の本質だとわかれば、とても生きるのが楽になります。だれしも、つらいこと、苦しいことに直面して、落ち込んだり悩んだりします。しかし、かなしみが人間の本質だと知っていれば、多少は落ち込んだとしても、あるところで歯止めがききます。そして、自分に起こるかなしい出来事をきちんと受けとめられるようになれば、人のかなしみにも心を向けることができるようになるのです。(和尚〓。いつも寂しい、かなしいと言っている)
▽87 日が暮れて、1日の仕事を終え、やれやれと思っているときは、もう新しい人が生まれようとしている時間です。いつまでも、古い人をひきずっていては、新しい人も出てきにくいでしょう。ビールを1杯飲んで古い人とはおさらばする。そして、新しい人を迎える準備をする。1日の終わりには、そういうこころの切り替えが大事なのです。
▽89 今日が最後の1日。そうやって生きると、一瞬一瞬が輝いてくる。
▽90 アナトール・プロイヤードという評論家 前身の骨転移がわかったとき「ときめいた」と言っています。「わが人生にも締め切りが設けられた」というわけです。…締め切りまでに何をしようかと、真剣に考えます。今まで躊躇していたことでも、思い切って行動できるでしょう。人生が一気に充実するのです。
▽95 医療者は、恐れであれ不安であれ、死をしっかり見つめることです。自らの死を実感したうえで、患者さんと接することが、医療者には欠かせない態度なのです。
「末期患者には、激励は酷で、善意は悲しい、説法も言葉もいらない。きれいな青空のような瞳をした、すきとおった風のような人が、そばにいるだけでいい」。そんな人になるには……今日を最後の日と思って生きればいいのではないかとひらめきました。…あとわずかな時間しか残されていないことを真剣に意識します。そうすることで、一瞬一瞬の景色、ひとつひとつの行動が、あすがあると考えて生きているときとは、まったくちがって感じられてくるのです。それをつづけることで、患者さんたちよりも、一歩だけ死に近いところに立てるのではないだろうかと、私は思いました。
▽113 死を前にすれば、だれしもうろたえます。不安に思い怖がることは何も恥ずかしいことではありません。強がりを言うのは、死を受け入れていない証拠です。…恐怖があるなら「死ぬのは怖い」と言えばいいのです。
…死は怖いという気持ちをごまかさずに、落ち込むときは落ち込み、本を読んだり、人の話を聞いて、なんとか底から這い上がろうとする。そういう過程のなかで、パッと何かが吹っ切れることがあります。
…自分の気持ちをごまかさずに恐怖や不安としっかり向き合っている人は、あるところまで落ち込めば、気持ちも回復してくるのです。
弱みをさらけ出すと、恐怖や好き嫌いという煩悩から抜け出す扉が開くのではないか…。
▽133 1日の仕事を終えて疲れ果て、家へ帰ったらばたんと寝てしまうのはとてももったいないことです。どんなことがあっても、1日を乗り切ったわけです。これだけでも大仕事です。それを成し遂げたことを、ほんの5分でも味わう時間があれば、そこからときめきが生まれてきます。
…仕事を終えるのを最終目標とするのではなく、ときめきを得ることに目的を置き、仕事をその手段と考える。…1日の終わりには、小さなものでもいいですから、ときめきを探して寝る。そういう習慣をつけると、ときめきの量は、幾何級数的に増えていきます。
▽141 本を書くことで重度のがんが良くなったという興味深い話。ダヴィド・S・シュレベールという精神科医「がんに効く生活」。「夜に残したいことがあるだろ」と言われたのをきっかけに執筆。……病気のことで頭がいっぱいになり、うつむいて生きていたらときめきなど生まれるはずがない。死ぬとか死なないということにとらわれないで、死ぬまでに何をするかに意識が移ったとき、そこにときめきが生じるのです。
▽147 「道中、ご無事で」とお見送りしてきました。…亡くなった患者さんたちの安堵の表情を見て、死後の世界を確信しました。彼らはいのちの故郷である虚空に帰るのです。だから、あんなにも安心しきった顔になるのです。死は決して怖いものではないということを、私は、亡くなっていった患者さんたちから教えられました。
▽160 私にとって必要なものは、ただひとつ「ときめき」だけです。…生命が躍動すると人相が良くなります。
どんなに考えてもわからない先のことにあれこれ心を惑わせることはやめて、今、できること、やるべきこと、やりたいことに集中します。
▽186 遠藤周作 年をとってくるともう一つの大きな世界からのささやきが聞こえてくる……大きな世界というのは死後の世界のこと。そのささやきに耳を傾けるのが老いなんだというわけです。
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