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反哲学史 <木田元>

講談社学術文庫 1080329

プラトンのイデア論とかなんとか、説明されれば意味はわかるけど、なぜそんなまわりくどい思考をするのかわからなかった。当時の社会状況をふまえて、なぜそんな思想が出現するのかをわかりやすく説明してくれる。
「ソフィーの世界」とくらべて、哲学の祖とされるソクラテスやプラトンの位置づけさえも微妙に異なるような気がする。著者はハイデガーなどの専門家だから、その立場が反映されるのだろうか。入門書をいろいろ読むと、さまざまな角度からそれぞれの哲学者の容貌が浮かびあがってくるからおもしろい。
ソクラテスは、それまでのアニミズム的な思考を徹底的に否定した。そうやって徹底して否定しきったあとにプラトンが本当の世界(イデア)と仮の世界(現実の世界)という二分論を論じた。これが哲学のはじまりだという。
自然(現実の世界)こそがすべてであったアニミズムとちがって、プラトン以降の哲学者にとっての自然は、制作のための材料にすぎない。そういう反自然的な考え方を「形而上学」と呼ぶ。
デカルトは何もかもの存在を疑っても、疑っている「私」が存在することだけはまちがいないと言った。「自然(現実)」を疑いぬき、「主体」を徹底的に確立した。プラトンにおけるイデア、アリストテレスにおける純粋形相、キリスト教における神が占める形而上学的原理の座に人間理性が座ることになった。
一方、イギリスの経験主義はデカルト的な理性的認識の存在を否定し、われわれの観念はすべて感覚的経験を通じて入手できるものであり、人間には絶対的真理など理解できないと考えた。
合理主義と経験主義を融合させたのがカントである。人間の理性は「物自体」は見ることはできないが、理性というサングラスを通して見える「現象」の世界を存在せしめ、合理的な構造をあたえることができると主張する。人間理性は自然界の形式的構造の創造者となり、もはや「神」の後見を必要としなくなった。
ヘーゲルの弁証法は、労働を通して対象に働きかけ、精神が成長をとげ、さらに対象との間の矛盾を解消しようとして……最終的に精神がすべてのもののうちに自己自身を見るようになったとき「絶対精神」となり、歴史は完結すると説いた。プラトン以来の形而上学的思考様式の最終的完成と位置づけられるという。
こうした形而上学的な思考様式のもとではじめて、自然を材料と見る物質的自然観が可能になり、その基盤があったから近代自然科学が生まれ、技術文明が生まれた--。
今ではすっかり古くさい黴の生えた学問になってしまった哲学だけど、近代文明のすべての基礎をなしていたことに、あらためて驚かされる。

ここまで本を読みすすむと、次の展開は予想しやすい。世界を2つにわけてしまったものをもう一度一体化させ、ある意味ギリシャ以前にもどり、エコロジー的な思想が生まれることになる……と予想できる。
形而上学的な思考様式にまず異を唱えたのは、マルクスでありニーチェであった。マルクスは、単なる労働の素材におとしめられた自然の権利を回復し、人間との正しい弁証法的関係をとりもどそうとした。ニーチェは、ソクラテス以前のような自然との一体感をもとめ「芸術」の復権をはかった。
……なーんだ。ソクラテスにはじまる近代哲学は、プラトンとアリストテレスの間を行ったり来たりしているし、もっと大きな流れでとらえると、アニミズム>近代哲学>アニミズムと、元の鞘にもどっただけ、ということなのだろうか。
なんだか無力感を感じさせる結果ではある。これを弁証法的な発展と言うべきなのかどうか。そもそも弁証法じたい、近代哲学にふくまれるものだもんなあ。

--------抜粋・メモ--------
▽28 フィロソフィアは「知を愛する者」の意味。知を欲しているということは、知を所有していないということ。それは「無知」ということ。でも、それはバカという意味ではない。ソクラテスによれば哲学とは「無知の知」。無知の自覚の上に立って知を愛し求めること。=ソクラテスのアイロニー
▽41 アイロニー(皮肉) 無意識のうちに内面とは矛盾した外面を装っているような相手を前に、皮肉屋は、自分のほうでも同じような矛盾を意識的に誇張してつくり出してみせる。皮肉が通じたとき、相手は自分の内と外との矛盾に気づかされ、本質に立ち返らされる。皮肉を言う側も言われる側も同時に、内と外の矛盾が否定され、本質への帰還がおこなわれる。アイロニーの教育的効果。
▽45 ソクラテスはあらゆる既成の知識や実在をアイロニカルに否定する。超人のみがなしえる無限否定性。すぐれたアイロニストだった太宰は自殺に追いこまれた。
▽〓 ソクラテス裁判 ペロポンネーソス戦争でアテナイが、少数寡頭政治のスパルタに敗れた責任者がソクラテスの弟子だった。さらに、スパルタからの亡命帰りの指導者もソクラテスの弟子で、民主派を処刑していった。その責任を問おうとした。
▽57 直接民主制は、理想的な政体に思えるが、デマゴーグが現れるとそれに付和雷同し、衆愚政治にだする危険が多く、アテナイも、1つの島の住民を全員虐殺するというような愚行をしばしば犯した。(〓積み重ねるタテマエの大切さ)
ソクラテスの言いたいことは、特定の政治的立場を支持するのではなく、眼前に現れるすべての立場を片っ端から批判しようとしただけ、ということ。
▽69 ソクラテス以前の思想家による「フュシス(ナトゥーラ)=自然」とは、自然科学的研究という意味ではなく、「もののおのずからある姿」という意味。自然とは「万物」と同義。
昼夜の交替、天体の運動、植物の生長、人間社会や国家(ポリス)さえも同じ原理によって支配されているように思われた。
=自然を対象としてとらえるのではなく、暖かく包みこむ母なる自然と見るような自然観。古代日本人の自然観と同じ。(72)
▽77 ソクラテス以前にも自然とノモス(人為)との間の緊張感はあった。ノモス=仮象のうちに生きることを余儀なくされながらも、仮象を打ち破って真実在に還ろうとすることこそが、ソクラテス以前の思索の中心的な課題だった。
が、ソフィストは、そうした緊張を失う。ノモスのなかには真理などありえないのであり、実社会のノモス(儀礼、慣習、制度、法律)などはすべて相対的とされ、法的正義も強者の利益以上のものと考えないことになる。(==これへの反発からイデアが生まれる)
ソクラテスがアイロニーによって一掃しようとしたのは、こうした堕落したかたちで受け継がれていいた自然的存在論だった。
▽94 プラトン
丸山真男の「歴史意識の古層」どの民族にも創世神話があり、「なる」「うむ」「つくる」という3つの型に分類される。古事記の古い層やギリシア早期のフェシスなどは「なる」。「うむ」は動物的生殖がモデルで、陰陽二元にわかれその結合によって万物が生ずるという中国の神話や、中国系神話が混入したと思われるイザナギ・イザナミの神話、万物を生み出されたものと見るローマの神話など。「つくる」は、人間の制作行為をモデルにしたもので、ユダヤ・キリスト教系の世界創造神話。
プラトンのイデア論は「つくる」であり、万物を「なる」ものと見ていたそれまでのギリシア人の考え方とはまったく異質。ユダヤ系の思想の影響の可能性も。
▽97 プラトンによって、「本質存在」と「事実存在」に分岐し、「本質存在」がつねに優位におかれた。ハイデガーなどは「存在」が2つに分岐するのと同時に「哲学」がはじまったと主張する。「制作的存在論」の成立と「物質的自然観」の成立は同時的だった。
▽98 なりゆきまかせで堕落する祖国への批判として、国家は一定の理念をめざしてつくりあげるべきだとプラトンは考えた。そのための基礎付けとしてイデア論がでてきたのではないか。
晩年、彼がイデア論批判を試みたのは、実践的関心から切り離して純粋な理論体系として扱おうとする弟子たちへの警告だったのではないか。後世も彼のこの警告を無視することになった。
プラトンは、シュラクサイで理想国家の実験をした。が、全体主義国家とみられ、後世の悪評を買った。
▽100 数学主義的で理想主義的と見られるプラトン主義 生物主義的で現実主義と見られるアリストテレス主義は交替して覇権を争い、思想界を二分してきた。
▽106 形相と質料というプラトンの存在論では、制作物しか適用できない。アリストテレスは自然的存在者にも適用しようと試みる。プラトンとギリシア伝来の自然(フェシス)存在論との調停をはかる。すべての存在者は潜在している可能性を次々に現実化していく目的論的運動のうちにある、とみる。(材木は机になる可能態、とみなされる)
すべての存在者の目的(終極点)を「純粋形相」「神」と呼ぶ。すべての可能性を現実化し、それ以上動くことのない存在。=プラトンとけっきょく似ている。「存在」は二義的に分岐してしまっており、あの原初の単純性をうしなってしまっている。「本質存在(エッセンティア)」と「事実存在(エクシステンティア)」
▽114 形而上学(形のある自然を超えたそれ以上のものについての学問)的思考様式のもとでは、自然とは制作のための単なる材料・質料にすぎない。自然に背を向け、自然から離脱することをよしとする反自然的な思考。ソクラテス・プラトン・アリストテレスのもとで、いかなる自然民族にも生まれなかった不自然な思考様式「哲学」が史上はじめて形成された。
「形而上学的思考様式」と「物質的自然観」
「事実存在」に対する「本質存在」の優越。
▽118 キリスト教。プラトンの2世界説が「神の国」と「地の国」の区別という形で受け継がれ、制作的存在論が世界創造論を基礎づけ、イデアにかわって人格神が形而上学的原理としてたてられる。
▽120 ゲルマンの大移動でギリシア・ローマ文化は姿を消す。ゲルマンが国家組織をつくるまでは、ローマカトリックの教区網だけが欧州をまとめる唯一の組織だった。世俗支配を正当化するためにアリストテレスが利用される。神の国と地の国は連続的なものととらえられ、教会が政治に手を染めるのも当然ということになる。その後、腐敗。>>中世末期、教会の浄化をはかろうとしたのが、プラトンーアウグスティヌス主義復興運動(もう一度プラトンにもどる)。これがルターにつながる。デカルト哲学も、この運動の一環として登場した。(124)
▽コペルニクスやケプラーの天文学研究によって準備された機械論的自然観。デカルトは「普遍数学」を構想。そこには自然科学だけでなく、倫理学のような学問も包摂することを考えた(135)。
▽138 デカルト 感覚的諸性質は感覚器官に与えられるが、量的諸関係(延長)は精神によって洞察される。感覚器官に与えられる自然は真に実在するものではなく、精神の洞察するものこそが自然の真の姿であり、肉体から区別された精神こそがわれわれの実体をなすのだと論証しようとした。
方法論的懐疑 なにもかもの存在を疑っても、疑っている「私」が存在することだけは絶対である。
▽144 感覚的性質をはぎとったあとに残るのは、物体が占めている空間的拡がりと、その位置変化としての運動だけ。
▽148 プラトンにおいて「イデア」、アリストテレスにおいて「純粋形相」、キリスト教神学で「人格神」が占めていた形而上学的原理の座に、いまや人間理性が座ることになった。この重大な転回によって、彼は近代哲学の創建者とみなされる。依然として世界は形而上学的原理に照らされて形成されるべきものだが、その形成を左右するのは、人間理性ということになった。
▽149 subjectumとは「下に投げ出されてあるもの」の意味。「基体」 すべての存在者の存在を基礎づける特別な存在者をアリストテレスはそう呼んだ。人間理性がその「基体」になったことから転じて、「主観」という意味に転じる。人間理性は認識「主観」というかたちで「基体」の役割をはたす。
▽154 イギリスの経験主義 理性的認識の存在を否定。われわれのもつ観念はすべて感覚的経験を通じて手に入れられる経験的なもの。有限な人間には絶対的真理など理解できず、相対的真理でがまんするしかないと考えた。足し算のような認識も蓋然的真理でしかないことになる。
独断的な理性主義的形而上学を否定したが、同時に、数学や数学的自然科学の確実性をも否認することに。
理性主義vs.経験主義
▽161 カント 神を否定? 人間理性には幾重にも制限がつきまとっていて、その制限のベールをすかしてしか物を見ることはできない(サングラス)。「物自体」ではなく「現象」しか見ることはできない。物自体に由来する材料と、その材料を受け容れ整理するためのわれわれの理性に備わっている形式(サングラス)とからなっている。現象界に限るならば、人間理性がその形式的構造を作り上げていると言えないことはない。現象界にかぎるならば、人間理性は「自然界の立法者」=自然界の形式的構造の創造者。人間理性は世界(現象界)を存在せしめ、それに合理的構造を与える「超越論的」主観であり、神的理性の後見なしにそれでありうることになった。
▽165 数学や自然科学の確実視を基礎づけるとともに、独断論に陥ってしまった古い形而上学を否認する。独断的形而上学は、もともと現象界だけにしか客観的妥当性をもって適用できない空間的・時間的規定を、神とか世界といった現象に現れないものに適用して、勝手な理論構成を試みているにすぎない。こうしたものは認識の対象になりえないのだから、それについて議論してもはじまらない、と言う。
「純粋理性批判」先天的認識が有効に成り立つ範囲と、もはや成り立たなくなる範囲とを限定する、という意味。
▽178 ヘーゲル 弁証法 労働(自己外化)を通じて対象に働きかけ、精神が成長をとげる。成長を遂げた精神はさらに対象とのあいだの矛盾を解消しょうとする。精神がその自覚を深め、より大きな自由を獲得し、真の精神へと生成していく論理。世界史とは、人間精神がこのように絶えず高められていく労働(自己外化)を通じて、外的世界に働きかけ、一歩一歩自由を獲得してきた過程。=弁証法とは歴史の論理。
外界に矛盾するものがなくなり、精神がすべてのもののうちに自己自身を見るようになったとき、精神は絶対の自由を獲得し、「絶対精神」となり、歴史は完結する。
▽182 人間理性は、カントによって、自然の客観的認識と技術的支配の可能性を約束された。超越論的主観としての位置を保証された。ヘーゲルは「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」と言ったが、理性主義、プラトン以来の形而上学的思考様式の最終的完成をしるしづける凱歌と見ることができる。
形而上学的思考様式の完成を意味する。
技術文明は近代自然科学を基盤に成立した。その機械論的自然観は、形而上学的思考様式のもとではじめて可能になった物質的自然観のバリエーションにすぎない。「形而上学が技術として猛威をふるう」
▽191 シェリング 1830年代 反体制運動弾圧。現実は理性的ではなく、非合理な厚い壁。現実の非合理性を説くことが人気を呼んだ。形而上学の本質的契機だった事実存在に対する本質存在の優位をくつがえし、事実存在を本質存在に優先させようとすることで、形而上学の克服をはかった。
キルケゴール シェリングから「実存」という概念をまなぶ。  サルトル「実存が本質に先立つ」
▽209 マルクスの自然主義 単なる制作のマテリアル、労働の素材に貶められた自然の権利を回復し、ふたたび人間との正しい弁証法的関係をとりもどすようにさせようとする試み。古くから、形而上学的思考様式に対する反逆は唯物論というかたちをとってきた。
▽233 ニーチェ 「力への意志」
従来の肉体から浄化された精神を「手引き」とする形而上学的存在論を乗りこえるために、肉体を「手引き」とする新しい存在論を構想すべきだと提唱したのでは。芸術は何より肉体の所業。「芸術ははつらつと花開く肉体性が形象や願望の世界へ溢れだし、流出すること」。肉体の機能の最高の実現である芸術を認識の圧制から解放して復権せしめることこそ、ニヒリズムの克服の決定的方策だった……
▽239 産業革命「形而上学が技術として猛威をふるいはじめる」
▽244 19世紀後半、心理学・歴史学・社会学・言語学といった人間諸科学が形成される。従来これらは哲学の一分科としておこなわれてきたが、この時期に自然科学の方法を模倣することで実証科学として形成された。……社会現象の研究も、従来は社会哲学として展開され、たとえば社会制度を個々の主観的精神の客観化されたものとしてとらえ、客観化にはたらく心理的メカニズムを解明するというやりかただったが、デュルケームらによって社会的事実を「物」として扱う「社会学」が確立される。……自然科学を模倣し、科学として自立する。
19世紀中葉の特質「科学至上主義」と「実証主義」。
それらの自然科学を模倣して組み立てられた方法論が、これらの諸科学を袋小路に追いこみ、反省を余儀なくさせる。心理学のフロイト、歴史学のアナール派「社会史」、社会学ではウェーバーの「理解社会学」、レヴィストロースの「構造人類学」、ソシュールの「構造言語学」……はそうした方法論的改革の企て。=反実証主義

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