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ハンナ・アーレント「戦争の世紀」を生きた政治哲学者 <矢野久美子>

■ハンナ・アーレント「戦争の世紀」を生きた政治哲学者 <矢野久美子>中公新書 201504
ユダヤ人として生まれ、大学時代に妻子もちの師のハイデガーと恋愛をする。
シオニストの活動に参加してナチスに逮捕され、パリへ脱出すると、今度は「ドイツ人」ということで収容所に入れられる。フランスがドイツに降伏した直後の混乱に乗じて脱走する。そのとき脱走しなかった多くのユダヤ女性たちは絶滅収容所に送られた。「ドイツ人」であるがゆえに監禁され、ユダヤ人であるがゆえに解放されなかった。
1941年に難民としてアメリカに到着する。1933年から44年までの間に、2万数千人の知識人が欧州からアメリカに移り、アメリカの学問や文化を豊穣にすることになった。
1943年にアウシュビッツの噂を聞いたとき、アーレントは信じなかった。膨大な費用を使って殺すことだけを目的とする絶滅収容所は、合理的と思えなかったからだ。
アーレントの「全体主義の起源」はナチズムとボルシェビズムという2つの全体主義のを対象にした。だからリベラル左派や左翼から批判を受けた。
「全体主義」は、全国民を「政治化」し、殺戮に巻き込むことによって個人の責任や選択という自覚を失わせる。頂点にいたアイヒマンもその一人だった。
全体主義支配は、「テロル」によって人間関係を破壊して自発的行為を不可能にして人々のあいだにある世界を消滅させる。無限に多様であるべき人びとを交換可能な「塊」にする。自由な行為の空間を喪失した人間たちは原子化する。それをイデオロギーという論理体系で統合した。全体主義は人々が孤立化した砂漠のような社会に生まれる。孤立化した人々は、イデオロギーに頼るからだ。
ただ、日本の戦時中の全体主義は、「孤立化」がもたらしたドイツやソ連の場合とは異なるような気がする。「砂漠」よりも「強力すぎる靱帯」が利用されたのではないか。いやもしかしたら、すでに壊れていた人間関係を、「家」という強力なイデオロギーによって再編成したのかもしれない。どう解釈したらよいのだろう。
社会の「多様さ」を保持するには、距離感のある、意見の異なる人間がいなければならない。論争のない社会には「思考」がない。同胞愛や親交のあたたかさは大切だが、それが政治的領域を支配するとき、論争は避けられ、複数の視点から見るということができなくなる。
本来あるべき多様な文化や意見や生き方を、「高齢化」「過疎」といった言葉でまとめ抽象的な「絆」を求めることは避けなければならない。そうやって人間を「塊」としてとらえることは、あきらめや過剰な同調圧力しか生まない。逆に、細かな文化の差異や生き方のちがいを記録していくことは、全体主義的なあきらめ、ともいうべき状態に抗する意味もあるのだろう。
日本の田舎の選挙では、とくに1人区の選挙では多くが無投票になっている。与党が圧倒的に強い場合、「どうせ何もかえられない」「勝ち馬に乗るしかない」という無力感に覆われる。小選挙区制度は全体主義と親和的なのかもしれない。

戦後、アイヒマン裁判について書いた作品は、ナチ官僚とユダヤ人組織の協力関係に言及し、アイヒマンを怪物的な悪ではなく思考の欠如した凡庸な男として描いた。ユダヤ人社会から総スカンを食い、友人たちから絶縁された。
アーレントは戦後アメリカで発展した「大衆社会」にも危うさを見た。大量生産・大量消費にともない、豊かさを享受する家族は、プライベートのなかに閉じこもり、公的な領域や世界への関心を失っていく。アーレントによると、「私的」(private)であるとは、世界の多様な見え方、世界のリアリティが奪われている(deprived)ことを意味した。
アメリカと同様、大衆社会化によって個々人がバラバラになった今の日本は、国家主義のようなイデオロギーが力をもつ土壌があるのだ。
アーレントは暗い時代における世界とのかかわり方を問いつづけた。絶望的な独裁体制下で体制を支持することを拒めたのは、自己との対話である「思考」を保持しえた人たちだけだったという。思考し、自由を求める意志があり、他者の立場を考えながら「判断」できる人々が生みだす力こそが、世界を支えるとアーレントは考えた。
そしてその力は、集団としてのの人間ではなく、複数の「個人」にかかっている。
私たちは考えることや発言することや行為することによって、一見必然的に進んでいるかのような歴史のプロセスを中断することができる。私たち一人ひとりが自分たちの現実を理解し、事実を語ることを彼女は重視した。そうした行為が世界にもたらす力を過小評価するべきではないとアーレントは考えていた。
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▽62 「搾取者にたいする強制収用」はプロレタリアートではなく、より強い搾取者に有利な結果をもたらす。(ユダヤ人問題も、橋下らによる公務員バッシングも)
▽69 フランス政府から、ドイツ出身者への出頭命令が出て収容所に入れられる。ナチも反ナチもいっしょに混ざっていた。劣悪な環境だったが、女たちは、化粧し眉をひき、髪をカールしていた。環境の醜さに感染しないようにアーレンとも身なりを整えることを主張した。講習会やグループをつくり、勉強し、代表団を組織して抗議行動について議論を重ね、収容所管理者と接触することを拒否した。彼女たちはまず自分たちの小さな環境や身体に注意を向け、管理側の流れに巻き込まれることを拒んだ。そのとき、誰がナチで誰が反ナチで誰がユダヤ人かのリストが作成されていたとしたら、そのリストは最初はフランス警察に、ついで親独ビシー政権に、さらにはナチの手に渡ることになったろう。
▽96 「ひとたびすべてが<政治化>されてしまうと、もはやだれ1人として政治に関心をもたなくなる」 全体的支配に巻き込まれ総力戦をたたかうとき、選択や決断や責任にたいする自覚が失われる。
ナチの人種エリートは、敗戦の色が濃くなるにつれて、自分たちと全ドイツ国民を一体化し、生活が営まれる中立の地帯を破壊し、行政的大量殺戮という犯罪に国民全体を巻き込んでいった。「だれもが罪に関与しているとすれば、結局のところ誰も裁かれえない」
▽99 大学のナチ化が進み、ユダヤ人を妻とするヤスパースはまもなく「国賊」とみなされる。「われわれドイツ人は、突如として監獄のなかにいるのを見いだした」。自殺の準備も調えた。45年4月に妻と共に収容所に送られることが決まっていたが、米軍によるハイデルベルグ占領によって免れた。
▽108 反ユダヤ主義は、ナショナリズムの高揚期ではなく、国民国家システムが衰退し帝国主義となっていく段階で激化した。右派から左派までの政党において、民衆の支持を獲得するための道具として反ユダヤ主義が利用される。アーレントは、政党による反ユダヤ主義を、近代以前の宗教的な反ユダヤ主義から区別した。(アベのやりかた)
▽110 第一次大戦後、国民国家や法的枠組みから排除される大量の難民と無国籍者が生まれた。彼らは、すべての権利の前提である「権利を持つ権利」を奪われている。
▽128
全体主義支配は、無限に多様な人々を交換可能な「塊」にした。全体主義はその首尾一貫性を維持するために多様な人間たちを「余計者」にした。
全体主義の本質を「イデオロギー』と「テロル」に見いだした。
テロルは、多様な人々の人間関係を破壊し、自発的な行為を不可能にして人々のあいだにある世界を消滅させる。自由な行為の空間を喪失した人間たちは孤立し原子化する。そしてイデオロギーが、孤立した人間を必然的な論理体系のなかに組み込む。孤立した人間にとって、すべてをその論理のなかで説明するイデオロギーが魅力を発するのである。「孤立し原子化した人間が大きな論理体系のなかに組み込まれる」
…イデオロギーとテロルの支配下で現実や経験の意味は消え去り、人間が複数であるという事実が破壊される。(そこに「現実」の多様さを記録する意味がある〓)
▽134 アーレントは一貫して、他者には無関心な俗物的な上品さに嫌悪感をもっていた。そんなとき、沖仲仕の哲学者エリック・ホッファーに出会う。
▽137 人々の関係性が成立する、あいだの世界が失われた状況は、本来ならば人々を苦しめる状況であるのだが、近代心理学は「砂漠」が関係の枯渇にではなく人間自身のなかにあると見なし、世界喪失的生活条件に人間を適応させようとした、とアーレントは視る。そこには、苦しいなかで判断しつつ砂漠を人間的なものに変えようとする力が失われる危険性がある。
もうひとつの危険性は「砂漠の生に最も適した政治形態」である全体主義運動が展開すること。人と人の間の行為の空間、共通の世界が失われるなかで、相互に孤立化した人間が全体主義運動へと組織化される。
▽150 「社会」では、その成員がたった一つの意見と利害しかもたないような、単一の巨大家族の成員であるかのように振る舞うよう要求する。統治の最も社会的な形式として「誰でもない者」による支配、「無人支配」である官僚制をあげた。(統治の主体がない、独裁者がいない〓)
社会の勃興により、公的に共有される世界が消滅するという。公的な世界は何よりもさまざまな物の見方によって成立するものだからである。
〓公的な共通世界が消滅したことは、孤独な大衆人を形成するうえで決定的な要素となり、近代のイデオロギー的大衆運動の無世界的メンタリティーを形成するという危険な役割を果たした。
(日本には公的な共通世界がなかった? だけど、孤立化はしていない)
▽154 大衆 階級社会や結社などのさまざまな社会集団の解体、画一化と平準化、マスコミにケーションの発達、大量生産と大量消費といった近代化の進展とともに成立してきた。
▽156 アメリカ社会。大量生産・大量消費、豊かさを享受する家族像、生活の私傾化といった現象のなかに、公的な領域や世界への関心の消失を視ていた。
人々は完全に私的になる。他人を見聞きすることを奪われ、他人から見聞きされることを奪われる。自分の主観的なただひとつの経験のなかに閉じ込められる(「他者」のいない社会)
…アーレントによれば「私的」であるとは奪われているということを意味する。世界の多様な見え方、すなわち世界のリアリティが奪われている。
▽157 ホッファーは、スプートニックショックによって、「科学者や技術者の大量生産が開始された」と書いた。それは「アメリカの社会的風土」を変えるほどのものだった。アーレントによれば、こうした潮流もまた、世界疎外、地球疎外の傾向を推し進めるものだった。
科学的知識は、所与の人間のリアリティ、地上に複数の人々が生きる現実とは疎遠なものであった。
▽161
▽165「全体主義の起源」は、ナチズムとスターリニズムをあわせて考察した。。保守派にはよく読まれたが、リベラル左派や左翼からはかなりの批判を受けた。
▽173 アーレントは生涯にわたって暗い時代における世界とのかかわり方を問いつづけた。…ヨーロッパの知的伝統においては、世界に受け入れられないとき、自己の内面へ退去したり、世界とは関係ない理想郷を打ち立てたり、特定の世界観に固執したり、科学的客観性を掲げたりという姿勢があった。アーレントにとって、こうした姿勢は、全体主義に対抗できるものではなかった。(永井荷風ではだめ)
▽174 思考に動きがなくなり、疑いを入れないひとつの世界観にのっとって自動的に進む思考停止の精神状態を、アーレントは後に「思考の欠如」と呼び、全体主義の特徴とみなした。
「思考の動き」のためには、予期せざる事態や他の人々の思考の存在が不可欠となる。そこで対話や論争を想定できるからこそ思考の自由な運動は可能になる。
▽179 「人間的であること」は、摩擦や敵対を生みだすものであっても、複数の人々が「あいだ」の領域である世界に生きることにほかならなかった。複数の視点が存在する世界に生きるとは、「人間」として抽象的に同じであろうとすることでもなければ、特殊性を強調することでもなかった。
同胞愛や親交のあたたかさのなかでは、論争を避け、可能なかぎり対立を避ける。それが政治的領域を支配してしあうとき、複数の視点から見るという世界の特徴が失われ,奇妙な非現実性が生まれる。
▽196 アイヒマンは第三帝国の「法王」であるお偉方が「最終解決」について決定するならば「判断を下せるような人間」ではない自分には罪がないと感じた。
▽202 絶望的な状況においては「自分の無能力を認めること」が強さと力を残すのだ。独裁体制下で公的参加を拒んだ人びとは、そうした体制を支持することを拒み、不参加・非協力を選んだ。こうした「無能力」を選ぶことができたのは、自己との対話である思考の能力を保持しえた人たちだけだった。
▽208 …歴史的出来事や「事実の真理」が、数学や科学といった「理性の真理」よりもはるかに傷つきやすいと論じた。…「事実の真理」は、それが集団や国家に歓迎されないとき、タブー視されたり、それを口にするものが攻撃されたり、事実が意見へとすりかえられたりという状況に陥る(今も)
▽214 「暗い時代」ブレヒトの詩「暗い時代に そこでも歌は歌われるだろうか 歌われる 暗い時代について」
▽219 アーレントは「思考」「意志」「判断」についての哲学者の取り組みを吟味。「思考」は、自分自身との内的会話で、過去と未来の間に生きる人間が時間のなかに裂け目を入れる「はじまり」。「意志」は未来にかかわり、人間の活動に密接にかかわるが、独我論的な意志である場合、自己や他者に対して暴力的な結果をもたらす。「判断」はつねに他者との関係のなかでおこなわれるものであり、他者の意見や範例を必要とする。
「思考」と「意志」の部分ではハイデガーと対話し、「判断」の講義ノートでは、ヤスパースおよびブリュッヒャーと共鳴していた。判断力が機能するには人間の社交性が条件。判断は、他者の立場から物を考える「拡張された思考様式」を要請する。判断力は、他者の視点から世界がどう見えるかを想像する力を前提としている。
▽224 思考し、自由を求め、判断を行使する人々が生みだす力こそが、世界の存続を支えるとかんがえていた。しかしこの潜在力は、集団としての大文字の人間ではなく、複数の個人、一人ひとりの人間の「はじまり」にかかっている。……私たちは考えることや発言し行為することによって、自動的あるいは必然的に進んでいるかのような歴史のプロセスを中断することができる。そこで新たに「はじめる」ことができる。
▽228(あとがき) アーレントは冷戦終焉後に再発見された思想家。2012年に映画「ハンナ・アーレント」が公開された。…自分たちの現実を理解し、事実を語ることを、彼女は重視した。考え始めた一人ひとりが世界にもたらす力を過小評価するべきではない。

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