■平凡社新書 20131212
「近代」は政治的にはフランス革命以後、経済的には産業革命以後、資本主義成立以後とされたが、資本主義の成立は16世紀だという論が主流になってきた。プランテーション農業が奴隷制と結びつくことで、環大西洋経済が成立する。これが最初の世界経済である資本主義の成立だという。ルネサンスと宗教改革をもって近代の拠点とする精神史のとらえかたとも一致する。
絶対主義国家では、国民と王権の間に様々な中間団体があって、王権はそれを解体することはしなかった。フランス革命の意味は、中間団体を解体し、国家が個人を直接掌握する国民国家を創出したことにある。それはつまり民衆世界の自立性を解体することだった。
フランス革命は「人権・自由・平等」という理念をかかげたが、フランス革命の時代ほど、人権と自由が抑圧された時期はなかった。数百万という単位の虐殺があった。20世紀を特徴づけるジェノサイドのさきがけであり、ナチスや大日本帝国、ソ連などは、ロベスピエール一派の論理を引き継いだともいえるという。
「近代」とは呪われた時代なのだ。近代のたったひとつの恩恵は「衣食住の豊かさ」という。
では日本の近代化はどう変遷したのか?
ヨーロッパの中世人や江戸時代の人々にとっての自由とは、ある社団に属し、その特権を享有することを意味した。
幕末、長州藩を4国艦隊が攻めたとき、民衆は敵であるはずの外国軍の弾運びをしていた。会津攻撃の際、会津領民が「藩が滅びようと滅びまいと、関わりはござんせん」という顔をしているのを見て板垣退助がショックを受けた。
幕末の民衆が、国家的大事について「オラしらねえ」という態度をとれたのは、民衆社会が国家に左右されない自立性を備えていたからだった。
明治の教育によって、国家から独立した民衆世界の自立性が崩壊し、「国のために命を捨てる」兵士が生まれた。
民衆世界の自立性の破壊と同時に、社会改造のために民衆を啓蒙し改造しようとする近代知識人が出現した。
近代以前は、他者とともに生きることが、人生で最も重要なことだった。近代人はそういう関係をつくる能力を失った。その結果「国家に要求する」という行動様式になり、要求するほど国家にからめとられ、実質的な人生のよろこびから遠ざかっていった……
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▽14 教育によって、国のために命を捨てる兵士ができた。教育以前の日本人は・・・四国艦隊が長州藩を攻めたとき、民衆は外国軍の弾運びをした。
会津攻めのさい、会津領民が、会津藩が滅びようと滅びまいと、関わりはござんせんという顔をしているのを見て、板垣退助がショックを受けた。
・・・民衆に国民としての自覚と知識が乏しいという批判は、民権論の立場からもあった。
・・・国民のうち先んじてリーダーとなりエリートとなった者たちは、立場が右であれ左であれ、国家主義であれ民主主義であれ社会主義であれ、民衆が、国家あるいは社会の大事に気づこうとしない能天気野郎のように見えるのです。そういう民衆を、国家の運命に目ざめさせ、・・・改造せねばならぬというのが、彼らの強烈な強迫観念になるのです。
▽23 石牟礼さんの「西南役伝説」 肥後の農漁民は、戦争をまったくの天災のようにやりすごしたことがわかる。
・・・民衆世界が上級権力によって口出しされないでも、ちゃんと自分たちで成り立たせている世界が確固として存在する。・・・民衆世界の自立性。
▽25 民衆世界の国家と関わりない自立性を撃滅したのが近代。18世紀末以降のモダン・プロパー。この成立は実体的にいえば国民国家の創出。
フランス革命の意義は、ブルジョワ支配確立ではなく、国民国家の創出にこそある。フランス革命のキーポイントは民衆世界の自立性を解体するところにあった。
絶対主義国家では、国民と王権の間に様々な中間団体があって、王権はそれを解体することはしなかった。これを解体したのがフランス革命。
▽28 市民的自由とか民主主義といった美名のもとに、大衆が天下国家を論じはじめて以来、かえって民族浄化であるとか、ショーヴィニズムの風潮が高まっている。これは大衆の無知のせいではなく、国民国家が世界経済の中での利己的プレイヤーでなければならぬ現実のもとに、民衆を天下国家にめざめさせることは、結局国民国家によって民衆が掌握される度合いを強化する結果をもたらすから。
世界経済がグローバル化するにつれ、自分が属する国民国家の地位が生活に直結する例は増加するのだから、グローバリズムは国民国家を逆に強化することになる。国民国家の枠組みにとらわれ、国益以外の視点は閉ざされてしまう。
▽33 民衆世界の自立性を滅ぼして、民衆を国民に改造したのが、近代(19世紀以降のモダン・プロパーだが)の本質規定といえるとすれば、それとセットになるのが知識人の出現。知識人の出現が近代の第二の本質規定。
▽35 トマス・モアの「ユートピア」。ここに、社会は計画的に改造できるという思想が生まれた。政治にはじめてヒューマニズムが登場した。安寧・福祉のために社会を改良・改造しようという思想が生まれた。
▽37 近代的知識人とは、明確に社会改造の意図を抱き、その改造を社会工学的合理的設計図によっておこなおうとし、民衆を啓蒙し改造しようという意図を自覚する人々。
アーリイ・モダン段階では、学者や宗教者たちは民衆世界に介入しようとはしていない。彼らは無知であっていっこうにかまわないので、自分たちが王侯に正しい助言をおこなえばよいと考えている。
・・・ところが啓蒙主義者は・・・フランス革命 革命とは、民衆を動員するもので、そのためには教育せねばならない。これが民衆を国民に改造すること。
・・・迷妄なる民衆世界に手をつっこんで、思う形にこねあげようとするのが近代知識人。だからこそ、民衆世界の自立性の破壊と近代知識人層の成立とが表裏一体の現象として現れる。
▽41 ひとりの人間が安全にそれなりに快適に一生を過ごすには、膨大な数の専門家による管理が必要になったのが今日の社会。この管理とは、ケアの供給であり、ケアされる人間はニーズのもちぬしであります。つまり人間は、ケアによってみたされるニーズによって表現される存在となりました。
▽45 経済のグローバリズムで国家の機能が弱まったというのは、とんだやぶにらみです。グローバルな資本移動が起きてパニックが生じると、国家防衛に必死になるのが現状じゃありませんか。結局は国益、国益なのです。世界経済のなかで自分の国が没落するというのは、景気の悪いのがいっさいの元凶だと口をそろえている国民のたえられるところじゃありません。
▽51 幕末の民衆が、国家的大事について、オラしらねえという態度がとれたのは、民衆社会が国家的次元の出来事に左右されない強固な自立性を備えていたから。〓
▽52 他者たちとともに生きる、他者たちとの生活上の関係こそ、人生で最も重要なことがら。そういう関係は本来、自分が仲間たちともに作り出して逝くはずのもの。
・・・近代はそういう人間の能力を失わせてゆく時代。国家に要求するという行動様式に型をはめられてしまう。要求するほど国家にからめとられてゆく。実質的な人生のよろこびから遠ざかっていく。
(〓難民キャンプ 能登の年寄りの自立と正反対)
▽58 サイードの脱中心化の主張など、ポストモダニズムの一端。
近代化とは西洋化。
▽64 西暦元年の1人あたりのGDPは400ドル、これは西暦1000年まで変化しなかった。生産が増えてもすぐに人口増加によって食いつぶされるから。1000年から1820年までのあいだに600ドルに。それが20世紀末には6000ドルを超えた。(アンガス・マディソン=イギリスの経済学者)
▽69 西洋のモデルが、普遍的な近代モデルとなり得たのは、それが人類史上画期的な衣食住の向上をもたらしたから。しかもその「ゆたかさ」が国際社会において強力な国民国家を形成する方向においてしか実現しえなかったために、近代的な国造りが全世界的なスケールで、たち現れた。
▽76
▽83 オサラギジロウ 「パナマ事件」「ドレフェス事件」「パリ燃ゆ」
フランス革命の解釈は1970年代以来、いわゆる修正派によってまったく様変わりした。
フランス革命が、近代的市民社会を実現した典型的なブルジョワ革命とみなす視点は、フランスの史学界で成立し、ロシア革命の経験で強化され神話化した。
修正主義からの批判。革命家には典型的ブルジョワ、つまり資本家なんかいない。
▽88 王政は、貴族の頑強な抵抗を打ち破って伸長した。デモクラシーはまず貴族の王権に対する制限の試みから始まった。
▽92 アンシアン・レジームのフランスは国境すらはっきりしていない。国内の度量衡の統一もない。統一的な税制も存在していない。軍隊も、大隊長、中隊長はカネでその地位を買った貴族将校が占めていて、自分の責任で兵隊を寄せ集める。だから観兵式がすむと半分の兵隊はいなくなる。
▽94 フランスはアメリカ独立戦争を支持してイギリスと戦う。そのために莫大な金を費やした。マリー・アントワネットが贅沢した、というのは戦費に比べればたいした額じゃない。(「サッカー戦争」と同じイメージ先行)
ルイ16世の改革策は、根本的には中央政府に権力を集中し、中間団体を解体もしくは無力化して、フランスを均質的・統一的な行政国家に変えようとするものだった。
しかし王政側からの改革の試みは、貴族の反抗で潰える。パリ高等法院が彼らのとりでで、つねに反王権的だった。
▽96 第3身分のうち、財をなしたブルジョワは、ポストを購入して貴族になった。法服貴族。高等法院こそかれらの牙城。
イタリアやフランスが、産業発展においてオランダ・イギリスの後塵を拝したのは、土地に投資して貴族に成り上がろうとする志向が非常に強かったから。
・・・当時のフランスで先進的な工業を創業した者には、旧来の大貴族が多かった。旧来の貴族と大ブルジョワジーは融合していたから、対立などは生じなかった。
▽99 国王政府は税制改革を提案。従来課税を免れていた聖職者と貴族の特権を否定したから、貴族は猛烈に反抗した。フランス革命はここからはじまった。
貴族が特権を手放すまいとすることからはじまったのに、「三部会」を開き、その進行によって貴族の多くは亡命し教会財産は没収される。
・・・三部会開催以前には、王政を次第に立憲化して漸進的な改革による近代化を選ぶ道も残されていた。近代化のためにはフランス革命のような狂乱は必要なかった。
イギリスとプロシアは、封建的遺制をいっそうすることなく経済成長をなしとげた。
革命によってフランスは200万人の人命をうしなった。第1、第2次大戦のフランスの犠牲者の合計に匹敵する。(ポルポトやナチス、スターリンのよう)
▽102 第3身分がなぜ貴族の反抗に同調したか。・・・アンシアン・レジームの社会は多様な社団によって構成され、それぞれ特権を認められていた。特権は、貴族だけではなく、職人ギルドや村落共同体、つまり民衆にも与えられていた。だから貴族と平民は「自由を守る」という一点で共感した。王権に対して自由を守る、プライドを守るという面が強かった。(江戸を守る、というたたかい)
▽104 三部会召集で保守派貴族が王政に対して勝利したようにみえたが、第3身分が力をつけ、第1、2身分が共同審議をおこなうことを要求し、受け入れられないと知るや、自らを国民議会と宣言した。
伝統ある国王諮問機関たる全国三部会は、大化けに化けて憲法制定国民会議へと変身した。
▽107 中間団体排除という「絶対」王政の悲願を実現したのは実に革命であった。トクヴィルがアンシアン・レジームと革命体制の連続性を主張したのは、このような事実をおさえてのことだった。中間団体が廃止されることで、国民はひとりひとりの市民として直接国家権力と向き合うことになった。法の前の平等とはこのことを意味した。都市の民衆の主要部分たる職人はギルドの保護を失い、農民は共同体という防壁を失うことになった。(江戸)
▽109 フランス革命を動かした根底の動力が、反近代的性格のものであった。・・・革命の遂行者たちは階級的利益など代表していない。彼らを動かしていたのは、歴史上初めて生じた理性による人類改造の理念。〓
修正派が、フランス革命の本質は、近代社会を生み出したことではなく、新しい政治文化を生んだことにあると主張するのはこの点にかかわる。
過去は迷信と悪徳の支配する暗黒であって、革命はその過去を一掃し、理性の光によって人間が光被される新しい社会を創造するのだという信念。(明治維新、江戸をきらうインテリ)
そのもっとも昂進した理念はロベスピエールとサン・ジェストという恐怖政治家に見出される。(ゲバラにまでつながる〓)
▽103 ルソー 人間は古き制度から解放されたら透明な存在になることができるという考え方。ロベスピエールもそれを市民的徳性とした。「利己心を去って透明な存在になれ」という理念は近代社会と正反対。
ロベスピエールの市民理念を実現するんいは、強制手段が必要。それがテロール。ダントンは、革命に熱心に参加しようとしない人々の人権を擁護したために殺された。
利己心のない市民からなる新社会を創造するには、どうしてもそうなろうとしない者たちは抹殺されねばならない。
ロシア共産党やポルポト。
▽117 革命という至上命題のためには自由や人権など二の次だ、というロシア革命、中国革命、キューバ革命の考え方は、マルクスの階級闘争観に由来するというより、むしろロベスピエール一派の論理を引き継ぐ。のみならず、フランス革命は、20世紀を特徴づけるジェノサイド、大量虐殺という点でも先駆的。
▽119 フランス革命の近代的な面は、中央集権的行政国家、言い換えれば近代国民国家を創設したこと。
▽120 過去を一切否定して新しい人間にもとづく新しい社会を作ろうとする理念が、いかに危険な知識人の思い上がりであるか。しかし、そのような夢がなければ、この世にささやかなよきものをもたらす現実的な行動もまた生まれないのではないか。
▽130 中世人にとっての自由とは、ある社団に属していて、その特権を享有していることを意味する。このような自由の観念は、ヨーロッパでは近世まで健在だったし、江戸時代の人々の自由もこのようなものだった。フランス革命は中間団体を絶滅することによって、個人が国家と直接向き合う、国家が個人を直接掌握する事態をつくりだした。
・・・前近代的自由は、ある社団に束縛されると見られるが、ヨーロッパ中世社会は巡礼・旅芸人・偽学生・乞食などが放浪する社会だった。日本の徳川期も、寺社参詣や遊行する宗教者らが往来する社会だった。一時的に共同団体から離脱することで、自由な境涯を味わった。
▽137 人権・自由・平等という理念は民主主義という政治制度の根幹。近代はこれらを理念化したにもかかわらず、近代を開いたとされるフランス革命の時代ほど、人権と自由が抑圧された時期はない。ナチス、日本軍国主義国家、ソ連などの社会主義国家はいずれも近代の産物で、それ以前にはこのような人権と自由を徹底的に抑圧した社会制度は存在しなかった。ところが、近代の恩恵はただひつある。それは衣食住の豊かさ。
▽141 衣食住の豊かさという重要な達成の反面、人類はふたつの呪いを背負い込んだ。(1)インターステイとシステム 世界のなかで日本経済がどのような地位を占めているか、一喜一憂するような心理を強いられている。日本の地位が向上することが即生活がよくなることだから。社会経済がネイション・ステート間の熾烈な競争としていとなまれるありかたをインターステイとシステムと呼ぶ。これにからめとられ、民族国家をますます強化することに。
(2)世界の人工化
▽155 人間にとっての便益とか安全とか清潔とかが極度に追求されると、都市空間は機械にようになってしまう。…
われわれが自然と接触を断たれている一方、自然はホビー化した。…山川草木を含めてあらゆる存在を生命とみなし、その中で生死する自分の運命を納得するということ。昔は、聖人賢人でなくても、あらゆる凡人にできたこと。
昔の人間は宗教的な行など、何か必要がなければ、山なんて登らなかった。…われわれは自然との平常の交感を失ったからこそ、山を登山という行為の対象として発見した。…
人間存在を、コスモス=自然という実在の中に謙虚に位置づける感覚を失わせてしまうことになったのを近代の呪いのひとつと思わずにおれない。世界の人工化とは世界の無意味化でもある。
(民族国家の拘束力がますます強化されるという呪いと、世界の人工化がますます進むという呪い)近代のもたらした寄与が呪いに転化するという一種のアイロニー。
▽170 大佛次郎「パリ燃ゆ」はパリコミューンの物語。第3共和国の議会主義者たちはコミューンを血の海にした虐殺者。3万人の市民を虐殺し、4万人を投獄し、5000人をニューカレドニアに流刑にすることによって成立した、ブルジョワジーの私利私欲の世界が第三共和制。大佛さんは、この事実に直面し、「ドレフェス事件」以来の単純な議会制民主主義の理念、進歩、理性、人類普遍の理念ではけっして割り切ることのできない歴史の深淵におりてゆこうとした。
▽172 パリコミューンの民衆は、抗戦をサボタージュしようとする将軍たちブルジョワ政治家たちに反発し、あくまでドイツと戦えと言って立ち上がった。一面では愛国主義の発作。支配層がパリから逃亡し、民衆は支配者のいない祭りの日々に酔っていた(スペイン内戦時のバルセロナ、革命政権時代のニカラグアなどの解放感〓)
▽178 民衆は反ユダヤ主義などというデマゴギーにも動員されるが、それは左翼のデマゴギーに動員されるのと本質的に何らかわらない。大佛さんが最後に見たのは、そんな民衆の姿ではない。
民衆は仲間との共同的な生活につながれて、そこでみちたりて生き死にする存在なのです。農村だけでなく年の生活区域も、庶民が代々にわたって生きてきた痕跡が街並みの形で出現している。そういう土地に根ざした共同生活が、呼びもされぬのにバリケードの守りについて、ひとりで死んでゆく人びとをつくる。…民衆の愛国心とは実はこういう土地に根ざす共同への忠誠なのです。
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