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作業中)早川式「居住学」の方法

■早川式「居住学」の方法 <早川和男>三五館 20131011

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▽20 家から仕送りのない学生は、2009年現在、統計を取りはじめた1973年から最大で、8.3パーセントというが、私の学生時代は半分はいたのではないか。もっとも、授業料が安かった。
▽23 すいすいと研究者になった者は創造性・構想力に欠けるような気がする。自分の関心ある研究や仕事に取り組もうとしている者には、就職先など簡単に見つからないのが常なのである。
現代社会の課題に応えようとするなら、既存の分野にこだわっていたのでは対応できない。…現実は、学会などで理解されやすいテーマで報告し点数を稼ごうとする若手研究者が多いようだ。
▽25 バブル期になぜ公共住宅投資に目を向けなかったのか。あのとき社会保障政策と結合しながら戦後の粗悪住宅の建て替え、不燃化・耐震化などに力を入れていたら、現在のような「住宅災害」「居住貧困」は緩和され…。
▽28 標準設計の検討に居住者などが参加しておれば、住宅団地のありかたにまでその意見が反映していたかもしれない。公団は、居住者の団地コミュニティへの強い思いなどはわからなかった。
▽30 丹下健三設計の旧東京都庁舎、磯崎新設計の大分県立図書館、黒川紀章設計の奈良駅西側の「コミュニティ住宅」…、原宏司設計の京都駅舎は今世紀の最も品格に欠ける建物の一つ…駅舎内の非ヒューマンスケール、周辺の商店街を廃業に追い込んだ商業機能の集積などなど、市民不在の設計。使いやすさを重視するなら、有名建築家やその追随者への設計依頼は避けることである。彼らはもっぱら「作品」をつくることに関心がある。
▽39 戦争中、建築学会でも、畳部屋の和室は食べたり寝たりと転用できるから住宅は最低限一室まで小さくできる、という住居水準の切り下げを合理化する説が有力者によって主張されていた。
西山先生は、「食寝分離論」を発表され有名に。これは後のDK型の間取りにつながった。
▽41 1974年の厚生省の「健康と住宅に関する調査」によると、…持病を持つ者は下の層では上の層に比べて、神経痛11.1倍、高血圧10倍、リュウマチ9.5倍、頭痛9倍…。
家庭裁判所調停員、保健師など他分野の専門家にインタビュー、ヒヤリング…。こうした視点から日本人の住まい事情を分析したものは、それまでなかった。
▽46 「再開発や災害などの変化があっても、同級生や昔からの隣人がいる場合は一人暮らしになってもがんばっていけるが、来住者で支えのない人は持ち家でもホームに行ってしまいます」。居住地の安定や町並み保全はコミュニティを維持し風景を守り、福祉の基盤となることに気がついた。
▽47 私に呼び寄せられて奈良から東京に移住した母は半年ほどで亡くなった。荷物をまとめて「家に帰る」と言ったのが最期の言葉になった。60歳の若さであった。老いてからの転居の弊害についての知識があれば避けられた。
▽53 私は60年代から「住居は人権」という文章を書いたりしてきた。当時は(そして多くは現在も)違和感をいだく人が少なくなかった。
▽54 欧米では、寝室・リビングルーム・専用のトイレ・浴室・台所・物置がなければ住宅とは認めない。各居室は最低面積が決められている。たとえば西欧諸国の多くは、主寝室の最低基準は12平方メートル以上。居間は14平方メートル以上など。
日本では、共通の入り口、共通のトイレ、共通の台所と一つの居室があれば1戸の「住宅」とみなす。5平方メートル(三畳)でも一室と数える。だから、住宅戸数は世帯数を数百万戸上まわり住宅は余っているという結論になる。
▽57 1961年、ILO第45回総会は「労働者住宅にかんする勧告」を採択し、労働者の拘束的役割を果たす「使用者による住宅供給の禁止」と「社会的責任による住宅供給」を満場一致で採択した。…企業の位置が中心部から遠くにあるというような特殊な環境を除いて、使用者が労働者に直接に住宅を供給することは一般的に望ましくないことを認識すべき。
▽61 いったん社宅に住むと、多くはそこから出られない。社宅の居住権については法律上の保障がない。だから職を失うことは家を失うことを意味する。

▽63 私は外国に出るのが遅かった。1977年9月、46歳のときに科学技術庁の派遣で4ヶ月間、イギリス国立建築研究所の客員研究員となった。
▽68 旧西ドイツの住宅の6割は借家。国際的に見ると、借家の割合が多い国ほど国全体の住居水準は高い、というのが私の印象。居住権を守る運動も活発。
▽70 イギリスでは、LSEの森嶋通夫教授の研究室に半年間席を置いた。「現在の経済学はすべてフロー(貨幣)がベースである。あなたにはストックの経済学をやってほしい」
▽78 フランスの社会保健師は、住宅の衛生状態のチェックも仕事に入っている。赤ん坊が生まれると保健師が不意に訪ねてくる。保健師は病院にも常駐した医院患者の家を事前に点検する。療養が困難と思われる場合は役所に申請して改善費用を補助したり低家賃住宅を斡旋するなどの役割を果たしていた。
…オウエンが1802年に実現したスコットランドのニューラナークの労働者住宅。
▽82 アメリカでは大学卒業後の社会貢献が大学院に入ったり教職に就く際に考慮される。非営利の社会団体ほど評価が高い。
…国際学会で多くの国の学者と知り合い…これも財産。中・長期を除いて、海外調査のほとんどが私費であった。
▽89 司馬遼太郎と。「早川教授の学問は、隣人へのいたわりが基礎になっていると思います。だから接していると、心がなごむのです」
▽103(住宅会議) 五十嵐敬喜
▽109 会議設立の趣旨や会員の要望に添う活動は不十分で、「居住の権利運動」や「政策提言」を、会員の参加でもっとくりひろげるべきであった、提言や住宅憲章に根ざした、住居法の実現をめざすべきであった、という思いが残る。95年に事務局長をバトンタッチ。その後社会的活動は後退した。「居住危機」に立ち向かう研究運動団体として、もうひとふんばりを期待したい。
▽111 個人的努力による「生活習慣病」の克服という風潮に一定の評価を与えながらも、健康と住環境や公衆衛生の視点の薄れていること、子供の発達や高齢・障害者などの福祉の土台としての居住政策の欠落などに強い危機感をもち、それを実証する必要性を感じていた。
1987年、保団連と調査。
尼崎の教職員組合も調査協力。88年に7,8回、10−15人の教員と研究会をもって意見を交換。(〓研究会の大切さ)
宿題を「立ってしている」子。
▽115 住居と健康や福祉との関係を掌握できる職業に、保健師の存在がある。
▽120 「家庭のトイレは二つか三つ必要です。外で遊んでいる子どもたちも困っている。;バス停などにもトイレがほしい」
鳥取県倉吉市は「トイレからの町づくり」 5万2000人の市に公共トイレは25カ所。トイレ入り口に休息所があり食事ができる。
鷹巣町では、商店街の中心にある空き店舗を談話室とトイレのある待合室「げんきワールド」に活用したところ、高齢者障害者、幼児連れの母親などが街にでやすくなり、憩いの場に。
松江市天神町商店街では、空き店舗に「ふれあいプラザ」をもうけ、いつもボランティアがいて、老人の話し相手や茶の接待をしている。
岡山県では303の交番・駐在所のうち、96カ所にバリアフリーのトイレ。
…避難所で被災者が困ったのがトイレだった。鳥取・新潟・能登・宮城・岩手の避難所のトイレと避難者の健康などの関係を調べて回った。車いすでも使えるような立派な洋式トイレがある避難所は、寝泊まりに少々不満があっても健康を損なう人は少なかった。
巣鴨地蔵通り商店街は1日5万人の参詣客に対して、190店のうち100店ほどがトイレを自由に使えるように開放していた。
▽126 阪神の震災。暖房のない真冬の小学校の講堂や大きな体育館で900人以上が肺炎などで亡くなった。一方、老人ホームなどに避難した高齢者などはすべて生命が守られた。だが神戸市の老人ホームは最低水準でしかもほとんどが六甲山中にあり、被災高齢者を救えなかった。公園も新規開発地がほとんどで、街の中には少なく、延焼を食い止められなかった。
▽140 離島における居住福祉の成立条件
▽142 アジアでは、西洋近代化への過度の傾斜によって、東洋固有の居住の知恵が閑却されている。伝統文化が省みられず、地域共同体の解体、資源・エネルギーの浪費、生態系の破壊など、居住福祉環境の悪化を招いている。
▽144 地域固有の生活文化は「居住福祉の土壌」として尊重・育成し、開発による破壊を禁じなければならない。地域における思想、宗教、価値観、生活習慣などの多様性が尊重されなければならない。
▽151 研究方法論としては、毛沢東の「矛盾論」が一番わかりやすく役立った。弁証法的認識論の入門書のように思えた。
▽155 「境界領域こそは、本質的考察が有効性を発揮する分野であり、専門分化の泥沼におちいっていたのでは、ろくろく意味のある成果をあげえないような分野である。…このような分野での研究こそが、規制の学問体系に対しても、しばしば前進のための決定的な突破口をひらくきっかけを、提供するものである」
▽159 「生活空間の使用価値形成論」の一環で、住居のあるべき使用価値を逆説的に見ようとしたのが「住宅貧乏物語」
▽160 フランスでは「社会保健師」が各戸をまわり、乳幼児の発育環境や高齢者の居住環境としての視点から住宅改善を要望し制度化することに貢献してきた。
▽162 審議会委員などをやらないから行政からの委託研究などは全く来ない。学生の勉強、研究はすべて自主性にまかされる。それが、自分で考える人間をつくっていったのかなと思う。
…委託研究のテーマはそれなりに魅力的。論文も書ける。アルバイト料や学会旅費の提供も受ける。だが、それが落とし穴になる。好奇心も自分で考える力も削ぎとられてしまう。
ゼミ生には「科学・技術のストラテジー」〓と「矛盾論」を読ませる。テーマと方法論がいかに大切であるかを説く。
▽164 流行を追っかけたり時流に便乗するような研究をしていると、次々と目移りがして視点が定まらない。今風にいえば、高齢者福祉、貧困問題、格差社会論、防災、中山間地問題などなども大切なテーマに違いないが、一種の流行である。「若い人が最新のテーマに取り組みたいという意欲は新鮮な完成にあふれた証拠でいいんですが、そこで自分が今までやってきたことを見直し、それがどうつながっているのかを緻密に追求しないとたいしたことはできません」
▽167 東舞鶴の「ほのぼのや」というフランス料理店。精神障害者の共同作業所をかねている。
▽169
▽171 学生にどうしても自主的なテーマが浮かばない場合、相談に乗って議論する。一番てっとりばやいのは外国の住宅政策や都市計画や居住権運動などを現地に行って調べてくること。
▽174 日本の社会学者、社会政策学者に住居への関心が徹底的に希薄なのは異常である。英国に住宅政策の学者が多いのは、政府が住宅政策に力を入れ、投入される国家予算が多い。国家政策の一環として研究が必要になり…西欧福祉国家では住宅政策は社会政策の一環とされるから、社会政策の基本理念と関連させながら研究が行われている。
▽185 まじめで研究熱心な人たちが、なぜ弱者を痛めつける行政に追随し提灯持ちをするようになっていくのか。彼らが部品労働者化しているからではないか。御用学者は一種の部品労働者である、といえないこともない。研究者としての主体性がないから、研究の方法論を考える必要もない。
▽188 相互討論・批判
▽192 震災後の市長選挙。生まれてはじめて選挙カーに乗った。だが、候補者の名前よりも政党名を連呼する。ウグイス嬢に注意しても「指示されているから」と改めない。その後も、政党の党利党略、セクト主義、健忘術数に辟易して身を引いた。09年現在、神戸市政はむろん、それを支えた職員組合や政党、学者・文化人にも市民にも、長年の超翼賛体制意識から脱しきれない人たちがいる。
▽195 住宅裁判に関与。
▽198 マスメディアも、ネットカフェ、個室ビデオなどの住居喪失を「現代の貧困」や「貧困ビジネス」などとして報道するが、生存権として、また社会保障政策の一環としての居住保障の必要性、あるいは現在の居住難の本質と背景を政策のあり方として、正面からとらえる姿勢はほとんど見られない。
▽200 「防災学者」への疑問 自主防災組織、防災福祉コミュニティなどが有意義なのは間違いないが、肉親や家屋を失い茫然自失しているときに、どうして自助努力で生活を再建できるのか。基本は公的な支援である。「防災は自助で」とは政府の責務回避の提灯持ちであり、震災拡大の共犯者。「被災者生活再建支援法」による住宅再建の公的援助を求める活動に取り組んだのも、被災者は自分では生活再建できないからである。
▽209 杉良太郎 遠山の金さん 毎朝新聞を読んでネタをさがし、それを本屋に渡し脚本を書かせる。それをずっとつづけている。
▽213 「居住福祉資源」という発想。暮らしの基盤は、地域共同体の長い歴史の中で人々の営みによってつくられてきたもの。住む主体である市民がそれを発見し再評価し発展させることが住みよい町や村や国土づくりに必要という考え。それはまた「空間価値論」と「居住福祉」をつなぐ、私が追求してきたストックによる福祉の一形態であり、研究の一つの結実であった。…まちや村や地域を、もろもろの先入観を捨てて居住福祉の視点から見直し、保全・再生・想像していくことが、いま必要になっている。(〓そういうことか)
…大学退職後、「居住福祉資源発見の旅」と称して全国行脚。震災復興調査だけでも20回以上はでかけた。
▽218 生命の安全、人間の尊厳、福祉、農林漁業の振興と農山漁村の再生による食の安全や地域の繁栄、国土の保全などなどの、いわば日本国憲法が掲げるような国民の生存権の保障、幸福追求の権利などの基本的人権と地球環境維持の価値観にたった国土づくりが必要。(〓能登のジアスと憲法を結びつけられないか)
…「まちを福祉の目でみる」能力の形成・発展は市民主体の地域づくりの核心であり、生活空間使用価値形成の条件である〓(なるほど〓)
▽220 09年の渋川市「たまゆら」の火災事故死は。遠方の劣悪な施設居住。山口県防府市の特養の土石流による死者は都市計画区域外、災害危険未指定区域で規制が緩く地価が安かった。ともに背景に居住政策の貧困がある。
「福祉との連携」とは、バリアフリー化や高齢者賃貸住宅供給といった対処療法的な次元の話ではなく、「生存と生活の基盤となる、社会保障政策の一環としての住宅政策」という意味である。
▽222 岩手県沢内村が、老人医療費の無料化と村全体の住宅改善によって傷病を減らし医療費の減少に貢献した。
▽226 借家人組合や公共住宅団地居住者団体や建設労組の運動などは一定の役割を果たしたが、西欧諸国のような社会を揺り動かし居住権を実現する運動には発展しなかった。労働組合運動も目先の賃上げ中心に終始した。…給与住宅の運動も、解雇と同時に住居を失う。
…単に居住権の保障だけでなく、市民自身による住まいや町作りの構想力が必要。戦後の持ち家政策は、住居の問題を家を持つことに矮小化し、どのような住居が人間を幸せにするのか、という住意識の発展の芽を摘み取ってしまった。
▽228 何のため、だれのための研究家。どんな意義があるのか。何に役立つのか。事物の本質や矛盾の核心をおさえているか。
仮説をたて、体系的に構想し、独自の論理の構築を目指す。境界領域を重視する。
現実・現場から学ぶことは「想像力・創造力」の源泉である。
情報取得は自己の課題に必要な最小限にとどめる!
発表テーマが極度に細分化された学会、行政・業界主導の学会、権威主義・封建制の強い学会などには深入りするな。研究部品労働者化に陥る危険がある。
ひまがあれば、借金をしてでも国内外旅行をする。

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