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原発危機と「東大話法」 <安冨歩>

■原発危機と「東大話法」 安冨歩 明石書店 20130328
 筆者は銀行で、人間を型ににはめ、同じ方向に走らせ、やがて疑問をもてなくなる「魂の植民地化」を実感し、大学院にもどった。「満州国」の歴史を研究したのは、昭和の戦争への暴走ぶりが、バブルに向かう銀行の様子と似ていたからだ。
 「魂の脱植民地化」を考えるなかで「東大話法」という概念にたどりついた。
 たとえば以下のような言い換えだ。
・原子炉の老朽化→高経年化
・原子力危険性審査委員会→原子力安全委員会
・プルトニウム燃焼→プルサーマル
 それによって国民をだましているだけでなく、自分自身をだましている。「みんな正しいと言っているから正しいのだろう」という無責任な判断停止が蔓延する。戦時中の噓に軍の指導部自身が騙されて作戦を誤ったのと同様のことが今も起きているという。
 原子力関係者の書く論文は、必ず「わが国は」「世界は」ではじまる。「自分」があるようでないから、事故があったときに自らの責任を自覚することにならない。
 東大の大橋教授「専門家ほど、格納容器が壊れるなんて思えないんですね」と言い、関村直人教授は原発爆発の映像を前にして「健全性は保たれている」と言い続けた。欺瞞言語を心身に浸透させ、「格納容器なんて壊れるわけないよね」と思いこめることが専門家の条件になっている。

 「東大話法」は次のような特徴があるという。
・自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する
・自分の立場に都合のよいように相手の話を解釈する。
・都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事をする。
 という特徴もある。
・どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す。

 東大話法を振り回された人がそれに恐れ入ってしまうと、今度はその人が東大話法を振り回すようになり、欺瞞的精神そのものが感染する。
 たしかにその通りだ。「わが国は」という文章を見ても、私は、つまらないとは感じてもおかしいとは気づけなかった。さらに感性が鈍磨したら「わが国は」と自分で書き始めていたかもしれない。「主語」を絶えず意識し、欺瞞言語の特徴を意識していないと権力者にだまされるだけでなく、自分自身をだますことになるのだ。

 日本社会は戦争を経て「人間」ではなく「立場」で構成されるようになり、「立場」に立って「義務」を果たすことによってのみ尊重されるようになる。それが、立場に伴う義務を果たすため「無私の献身」をする企業戦士を生みだし、一方で、立場を守るための異常なまでの利己主義も生みだした。
 こうした「立場主義社会」では、自分の果たしている役が全体とどういう関係にあるのかはわかる必要がない。「役」を果たして立場を守っていれば評価される。旧日本軍や東電などの企業に蔓延する無責任体系はこうして生まれた。
 原子力業界の人や学者にとって、「原子力の平和利用」は「国策」で、彼らは「御公儀」の配分する「役」を担うことで自らの立場を守る。論文を書くのも、自分ではなく、自分が担っている「役」だから、その発言は「わが国は」となる。彼らは個人として主体的に原子力を推進しているのではないから、事故が起きても責任を取ろうとはしない。天皇から一兵卒まで責任を取ろうとしなかった戦争と同じ構図だ。鈴木達治・原子力委員会委員長代理は「我々の仕事は原子力の推進であって、安全ではない」と発言したという。東電にも官僚や学者のなかにも、自らの行動に自ら責任を負う「人間」はいなかった。

 「正統的論文」のつまらなさの原因は、「問題が事前に切り取られるから」という指摘もその通りだと思った。問題設定に関係する「意見」だけを集めて全体像を描き、分類する--という方法では、切り取る地平そのものは変化せず、学習も創造も生じない。それゆえ、頭のよい人ほど、つまらない論文を書くことになる。論文だけではない。ジャーナリズムの世界でも同様だ。無駄のない取材でつくりあげられた記事はつまらないものだ。
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▽7 銀行につとめ、人間を型ににはめ、同じ方向に走らせ、やがて神経が麻痺して疑問ももてなくなる・・・「魂の植民地化」。大学院にもどって「満州国」の歴史を研究したのは、昭和の戦争への暴走ぶりが、バブルに向かう銀行の様子とにていると思ったから。
「魂の脱植民地化」 を考えるなかで
「東大話法」という概念を思いついた。
▽35 原子炉の老朽化→高経年化
 原子力危険性審査委員会→原子力安全委員会
 プルトニウム燃焼→プルサーマル・・・といった言い換え。
 それによって国民をだましているだけでなく、自分自身をだましている。「まわりの人がみんな、正しい、と言っているようだから、正しいのだろう」という無責任な判断停止が蔓延し、欺瞞的な公式表現を用いない人を「素人」と見下す。
(戦時中の言い換え、自らつくった嘘にだまされる)
▽37 降伏するのをおそれたのは、「鬼畜米英」という相手にはったレッテルを、自分で信じて「降伏したら全員殺される」と思ってしまったから、という側面があったのでは。
 国力や軍事力について、正確な言葉をもちいなくなったことで、この国は暴走した。言葉がゆがむことで、人々が事実から目を背け・・・・。
 敗戦後の苦境でも日本人が明るい希望を抱いたのは、彼らを取り巻いていた欺瞞言語体系が一挙に崩壊して、名が正されたから。
▽53 高木仁三郎「原発事故はなぜくりかえすのか」
 原子力関係者の書く論文は、必ず「わが国は」ではじまる。自分はこう思う、こうしている、ということから書き起こさない。自分があるようでいてないから、事故があったときに本当に自分の責任を自覚することになっていない。(戦争と同じ)
(〓)
▽62 プルサーマルへの小出の指摘。プルトニウムを混ぜて燃料とするということは、たとえば融点を下げてしまうなどの形で、安全余裕を食ってしまう。そういうことを平気でやる、そういう態度が問題だ。
▽65 東大の大橋教授「みなさんは原子炉で事故が起きたら大変だと思っているかもしれませんけど、専門家になればなるほど、そんな格納容器が壊れるなんて思えないんですね」
・・・原子力の専門家であるための条件は、欺瞞言語を心身に浸透させていって、「格納容器なんて壊れるわけないよね」と思いこめるということが、専門家の条件なのです。
 格納容器が壊れるような事故を「想定不適当事故」と呼ぶ。
 そういう事態を考える人を「素人だ」と馬鹿にする。
▽73 玄海プルサーマル討論会。参加者半数が九電の動員。
▽86 香山りか批判。
▽96 「経済学の船出」 20世紀に隆盛を極めた「関所資本主義」の衰退。
▽自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する。自分の立場に都合のよいように相手の話を解釈する。都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事をする・・・
▽120 関村直人教授 爆発する原子炉の映像を前にして「健全性は保たれている」と言い続けた。
▽122 「わが国は」「世界は」からはじめる欺瞞。(そのおかしさ、指摘されないと気づけないなあ)
▽137 東大原子力が出した「原子力工学を学ぼうとする学生向けメッセージーー福島第一原子力発電所事故後のビジョン」
▽142 正統的論文の書き方のつまらなさ 「客観性」を志向するフリをしつつも、結局のところは事態を「傍観」することになっている。このやり方の本質的問題は「問題が事前に切り取られる」という点にあります。
 事前に設定された地平に沿って「意見」を集め、それを集計して全体像を描き出し、分類して代表的見解を取り出す、という整理の方法をすると、地平そのものが内在的に変化することがなくなる。こうして何らの学習も創造も生じなくなり、読んでつまらないものができあがる。それゆえ、頭のよい人ほど、つまらない論文を書く、ということになる。
(記事も同じ)
▽152 
▽155
どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す
▽170 問題は、生態系の処理できない形で廃棄物や熱を出すこと。放射能は、絶対に処理できません。それゆえ、絶対の悪です。他の分解できない毒物と同様に、絶対に使ってはいけない(槌田)
▽192 東大話法を振り回された人がそれに恐れ入ってしまうと、今度はその人が東大話法を振り回します。欺瞞的精神の作動そのものの感染です。この自己増殖を放置すれば、あっという間に、社会全体が感染します。
 東大話法を使っている人を見たら、「これは東大話法だ」と認識して、笑っていただきたい。
▽210 「立場」という言葉。生き物が生きるための場という言葉が、千年の時を経て、与えられた使命のために空虚なままで死ぬ「立場」というものに、変わってしまた。それは、日本文化の退廃にして堕落であると私は感じます。
▽213 この戦争を経て、日本社会は、人間ではなく「立場」で構成されるようになったと考えています。そうなると、人間はそれ自身として尊重されることはなく、「立場」に立って、「義務」を果たすことによってのみ、尊重されるようになる。「立場」こそが実在であり、人間はその影にすぎない、という日本版プラトニズム。
▽214 該当する英語の概念がない言葉で、「立場」ほど頻繁に使われる学術用語はあるでしょうか。
 戦後日本は「立場」のために身を粉にする人を尊敬する文化を最大限にまで高めた。それが企業戦士を生みだし・・・
 人間ではなく「立場」から構成される「社会」は、一方で、立場に伴う義務を果たすための、異常なまでの無私の献身を人間に要請し、また一方で、立場を守るための、異常なまでの利己主義を要請した。ここから生じるストレスをごまかすための果てしない消費は、弱者に対する搾取と、自然環境の強烈な破壊圧力を生みだした。
 「無私の献身」と「利己主義」とが不気味に共存する、ある面で道徳的でありながら、果てしなく不道徳である戦後日本社会が形成されたのだ、と私は考えます。「立場主義社会」
▽222 立場と役との相互依存関係のネットワーク。その全体が、いったいどこへ向かっているのか、自分の果たしている役が、いったいその全体とどういう関係にあるのかは、もはやサッパリわかりません。「役」を果たして立場を守っていれば、なぜか給料が振り込まれ、一定期間にわたってそれを続けていれば、どういうわけか昇進する。
(会社の無責任体系 戦争責任といっしょ 東電も)

▽223 「役」と「立場」がよく一致していたのが高度成長期。両者の不一致が拡大すると、組織も社会も機能不全におちいる。皆が必死で役を果たして立場を守っているというのに、仕事がぜんぜん進まない、という事態に。・・・この不一致をごまかすために、膨大な国債が毎年発行されて、財政赤字がふくらみつづけているのでは。
 社会の主導権が、なすべき仕事や役割を示す「役」にあるのではなく、「立場」の方にある。立場を守ることが重視されて、そのために無理やりに「役」がねつ造される。
▽225 原子力業界の人や学者の頭の中では、原子力の「平和利用」は「国策」。彼らはこの「御公儀」の配分する「役」を担うことで、自らの立場をまもっている。論文を書くのも、自分ではなく、自分が担っている「役」。だからその「役」の発言は「わが国は」となる。
 彼らは主体的に原子力を推進しているのではなく、立場に付随する「役」を果たしているだけ。だから、福島の事故など、自分の役と何の関係もない。だから無責任。(戦争と同じ〓)
 鈴木達治・原子力委員会委員長代理「我々の仕事は原子力の推進であって、安全ではない」という驚くべき発言。
▽229 原子力発電というのは、電気を作り出すのはついでであって、本当の目的は、この「立場」を作り出すことであるように見える。
▽230 福島の放射能汚染で、仮にがん死率が1パーセントだけ増加したとしても、300万人のうち100万人がそもそもガンで死ぬわけだから、1万人が新たにがん死することになる。しかも若い人に多く生じる。
▽233 学者の言うことを信頼するかどうか判定するには、主張することを吟味するだけでは不十分。その人が立派な人なのかどうか、それが大切であって、くだらない人ならば、たとえ一見立派なことを言っていても、それだけでは信じてはいけない、と考えています。信頼に値する仕事をする人は、それぞれに個性的な顔をしていて、そして皆、笑顔がかわいいのです。 ・・・
▽234 放射能「線形しきい値なし仮説」
▽236 放射能をおそれて福島を離れるのは「非国民」扱い。「役」を捨てて逃げるというのは許されない・・・「役と立場」
▽240 
▽244 原発事故につながった数々の隠蔽工作と、事故処理に見られる悪意と呼んでもよいような不誠実の連鎖という事態は、…あれほどの事故を引き起こしながらも、何もなかったかのように振る舞う原発関係者の行為を政府が許していることは、人々の公的なるものへの信頼を喪失させ、その判断力の基盤を破壊していることに……
▽254 放射性同位体は、生態系を渡り歩いて、生命を傷つけ続けます。……出してはならないものは、薄めても効果はない。濃ければ集中的に被害が起きるのに対し、薄めると広域的に出るばかり。一般には、薄めるとエントロピーが増大してしまうから、余計に具合が悪い。薄めることによる唯一の効果は、悪影響を隠蔽し得る、ということだけ。
▽261 熱力学第2法則に基づいて考えた場合、原子力の生み出す放射性廃棄物は、危険で利用すべきでない物質。……原子力は、熱力学第2法則を無視する無謀な試み

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