朝日新聞 20070714
「単科ディシプリン」という言葉が何回もでてくる。専門家として1つの分野をきわめなければならない、という意味だ。彼にとってそれは数理経済学だった。その立場から、丸山真男や鶴見俊輔らを「ディレッタント」(好事家・素人)と批判する。
徹底的に単科をきわめた彼が、晩年になると、ウェーバーなどの分析枠組みをつかって、総合的な社会科学をめざしはじめる。ひとつの分野をきわめたうえでの「交響楽的経済学」を目指したのだという。マルクスの総合的な社会経済学理論に対抗するような理論体系をつくろうと考えたのだ。
「なぜ日本は「成功」したか」などの作品がその成果だった。
それらの著作の完成度はまだ読んでいないからわからないが。
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▽アメリカはキャンパス大学。日本はそれを真似た。
欧州の主要大学は、町と混じり合っている「大学町」。古い大学は共同社会(ゲマインシャフト)としてつくられたから、学生寮をもっている。日本のような寮をもたない大学は、共同社会性が欠落し、純然たる教育利益社会になってしまった。
▽「役人語」としてラテン語が使われていた。14,5世紀に民族国家が勃興してそれぞれの国語を「役人語」とした。その頃、印刷術の発達により、町に住む人は国語での「役人語」を読めるようになり「知識人」という、違った言葉を使える特権階級が不要になった。プロテスタントの宗教改革運動が起き、ウェーバーの資本主義の勃興が生じた。大部分の人たちの間で、上下左右に考えを伝えることが容易になり、刺激しあうようになった。
▽文化勲章は受ける 年金があったから。受勲の式やパーティーの様子もおもしろおかしく。敬語は使わない。
「なぜ日本は「成功」したか」 西欧との技術格差解消問題を和魂洋才問題に拡大
「なぜ日本は没落するか」
▽国際機関でハーバード閥やシカゴ閥に対抗しうる派閥を形成できる唯一の大学はLSE。
▽俗の仕事を腰掛けと思いながらやっていると、そのうちに自分自身が俗物になってしまうというきわめて危険な仕事である。
▽井上成美海軍中将は「これからの戦争は航空機」と主張した。これを「新軍備論」という。軍備をしないという新憲法の下では「新軍備」さえ許されないから、国際交流や外交活動を国防に活用する新「新軍備」論を私は主張した。中立ではなく、非武装でも、国防のソフトウェアをうまく活用すればいい、と。
▽大使館が基金設立の手柄横取りしようと…… 日本という国は、民が積極的にやった仕事までも横取りして自分たち官の功績にするほどに国家主義的なのだろう。
▽日本の大学は非常に多くの事務員を抱える。LSEは、はるかに少ない。……セクレタリーから文句がでて、コピーをとるような単純な仕事は各先生が自分でなさいということになった。
▽明治革命を、どのような概念装置で分析するか。ウェーバーの方法を適用。
……漱石は「このままでは日本は滅びる」と明言していた。果たして昭和に入って、日本は奈落への道を走り始めた。……明治革命の77年後には日本は木っ端微塵に打ちのめされ、近代化の入口に押し戻された。
やり直しとなった今度は物質的に近代化させるのではなく、精神的な近代化が図られたが……戦後の似て非の近代精神は、戦争前に物質的近代化を成し遂げた精神と余り違っていなかった。アメリカの監視下の発展だから、テロや右傾化が足を引っ張らなかったが。 日本の経済を分析するのに、「資本主義の精神」は不適当。日本はキリスト教ではない。古い中国精神の下では資本主義の芽は遂に現れなかった。非中国的な要素を導入して、それを触媒として働かせない限り、中国精神は動き出さない。古くからある日本のナショナリズムが、触媒の役割をなすと考えた。西欧資本主義の背景に、キリスト教が宗教革命で新教に変質があるとウェーバが見たように。
▽イギリスからイタリアへ。運転は妻の仕事。
(共同体の体質の)イタリーは私にとって日本の代用品だった。イタリーの家を手に入れることで、日本を捨てきることができた。自分の国に帰れなくなった者には「故郷」がどうしても必要なのだ。西欧は個人主義というが、北欧諸国だけである。ユーラシア大陸の南の沿岸に位置する諸国スペインからインド、パキスタン、中国、朝鮮……はいずれも家族意識の強い共同社会を、国の核心として持っている。(★トッド)
▽「思想としての近代経済学」(岩波新書)
理論+学史+交響楽へ。マルクスの多彩で広範な社会経済理論に対抗するために、近代経済学者は方法論的に純潔であることに固執し、そのために布石の広がりを極端に小さくしてしまった。しかし現在では、近代経済学と現代社会学を総合してマルクスに対抗するような理論体系をつくれるまでの態勢になっている。
▽徳川期=上からの経済 が元禄に行き詰まり「下からの経済」へ転換を迫られる
ところが明治維新で「上からの経済」が主導力になる時代にまた戻る。
大正期は「下から」が再び脚光をあびかけたが、右傾化・戦時体制によって「上から」に押し戻された。
戦後も「上から」の再育成だった。「政官財の癒着体制」-日本型経営-と名を馳せたが、経済のグローバリぜーションとバブルで「下から」をまた育成しそこなった。〓
▽「交響楽」のタイプの学者になるには、社会学や政治学や歴史の本を読むだけでなく、文章を書く訓練が必要だった。岩波新書を訓練台がわりに使った。
実業界の人から反響があったのも私の本では「成功」が初めてだった。
▽マルクス経済学の講義ノートを出版。その後「価値・搾取・成長」(1978)。社会主義的搾取〓が過度になったゆえに多くの東欧諸国は崩壊した。
▽私もまた、土台(下部構造)の上に上部構造が建てられると考えるが、何を土台と見るかでマルクスとは異なる。彼は経済を土台と考えた(経済学史観)。それに対抗するのは、住んでいる住民(population:人口と同時に住民そのものも表す)を土台とする考え方(人口史観、社会学史観)。(★トッド) 人間がなければ経済はないが、経済活動(生産・交換)が停止しても人間はある程度は自活しうる。
▽イギリス サービス産業成長に伴う経済の第3次産業化は、資本家対筋肉労働者という社会図式を、資本家、知識(あるいは事務)労働者、筋肉労働者からなる3階級図式に買えてしまった。落ち目であった自由党は、知識・事務労働者のための党として息を吹き返した。労働党から分裂した社民党も知識・事務労働者層を主な支持層とした。
社会が業績本位となると、実力でのしあがるメリトクラシーが大勢生じる。サッチャーもその1人。こういう人が出身階級に愛着をもてば労働党を支持するし、行き着いた階級に誇りをもてば保守党側になる。(労働貴族〓サンディニスタのオルテガ)
▽NHSの病院 国籍で差別せず旅行者も無料で病気治療。戦時中、大勢の負傷者に無料医療サービスを提供した。その経験がNHSが可能だということを国民に確信させた。
▽WHOの国際比較 〓〓貧しい家に生まれた子供も金持ちの家の子供も平均余命でほとんど差はないという公平面ではイギリスは2位。貧しい家に生まれた子は早死にするというアメリカのような生命保健機構の国では、所得の不平等は貧者の短命を運命づけ悲惨だ。
▽ウエーバーは、プロテスタントとカトリックを比較し、前者が合理的な資本主義社会をつくったが後者はできなかったとみる。中国、インド、中東の宗教を考察して、そのなかで最も合理的でプロテスタントに近い儒教すらも近代資本主義が発生しないことを明らかにした。曲がりなりにも近代化した日本という例外に注目しなかった。
イギリスの没落は、プロテスタント仮説ではとけない。
プロテスタントは倫理的に厳格だが、イギリス人は相手に対して寛大である。合理的であろうとなかろうと利潤追求に一生をささげはしない。プロテスタント精神はほどほど。その結果没落し、イギリス資本主義は停滞した。が、他人への寛大さは福祉の先進国にした。
中国と日本の経済を比較。中国の儒教は科挙の制度と一体化した儒教。日本の儒教は武士階級とともに興隆した儒教。一方は文、他方は武が支配的。同じ儒教でも、この国民精神(イーソス)の微妙な違いが経済発展に決定的な影響を与えた。
「なぜ日本は没落するか」 学校教育が大人社会の職業倫理に適合していない場合には、若者は職業倫理を理解せず、社会上層部との意思疎通を欠く。その結果、上も下も隠れて事を処し、役得をあさるから、社会の機構は腐食して機能しなくなる。
このように興隆と没落論をイーソスの立場から説明する。そういう意味で私はウエーバリアン。
▽単なるディレッタントと、1つのディシプリンをもったディレッタントは異なる。1つのディシプリンを身につけ、最後までその発展に貢献しながら、他方で周辺科学の多くの知識を身につけ、それらを合奏して社会の動きを見ようとする立場は、19世紀か20世紀初めの学者の立場だが、その時代が社会科学の全盛期と考えている。
▽大和を巡る論争。嫌がらせ きちんきちんと分類し対応する。
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