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男の子の躾け方<クラウス・シュペネマン>

■男の子の躾け方<クラウス・シュペネマン> 20111111
 筆者は、佐藤優の同志社の師で日本人女性と結婚し3人の子を育てたドイツ人だ。筆者と佐藤はいったいどこで響き合うのか? という視点で読み進んだ。
 学校秀才ではなく、創造性のあるアタマが必要であり、そのためには今の日本の家庭や学校の教育はまずいのではないか、という問題意識で、筆者はドイツと日本の教育を比較する。最初に出版された昭和55年ごろにはおそらく真新しい指摘だったろう。今となっては新味はないが、かといって創造的教育が実現したわけではなく、日本の学校はあいかわらず学校秀才を量産し、大人になるほど表情が死んでいく。むしろ悪化しているかもしれない。
 細胞化、個別化、家族の孤立化がその背景にある。社会で子どもを育てる発想がなくなり、生きる力のない両親が孤独のなかで右往左往し、学校に躾をも要求し、学校も余裕がなくなり、先生も右往左往する……。
 宗教教育の欠如も問題だという。子どもたちは何に心のよりどころを求めたらよいのかを見失い、戦後の道徳教育は、他人とうまくやるための処世術でしかなかった。日本の道徳教育は相対的な道徳観であって、絶対的価値が存在しないから、「誰かがみているからやる」という態度になってしまうという。
 佐藤氏の強さの底には信仰という絶対的価値観がある。だが絶対的価値観は危険でもある。日本ではキリスト教的な価値の押しつけ教育ではなく、百姓的な土に根ざした教育、先祖や自然とのつながりを実感させるような教育が必要なような気がする。
 「今後の人生がどういうふうになるかわからないけれど、自分の能力を他者のために使う、そのことだけは忘れないで社会で生きてほしいと私は希望する」という佐藤氏が卒業する際に筆者が贈った言葉は、あたりまえだけどすばらしいなあと思う。

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▽19 日本に来たドイツの高校生が「日本の若者たちは、人生でいちばん楽しいときであるはずなのに、ふしあわせそうな顔をしている」と……彼らは生気を失うのと並行して、判断力が鈍くなってくる。大学生は、断片的な知識を問われればさりげなく答えるのに、彼らの意見を問われると、黙り込んでしまう。
▽33 小さな贈り物を喜ぶというのは、たくさん物を与えていない証拠でもある……
▽43 大人には大人の世界があり、大人はそれを享受する権利があると早くから教えること……ドイツで生活していたころ、私たちは幼い3児を残して、よく家を出た。まだ長男が4,5歳だった。
▽56 「しらけ」……懐かしい言葉
▽78 日本に来て長男が気づいたことのひとつは、日本の子どもが描く太陽は「すべて赤」で「全部まん丸だ」ということ。
▽85 将来「大学に行くこと」を夢とする子どもたち。与えられたことを、先生や親の期待する枠の中で憶え、反応し、要領よくやってゆく子が勝っている世の中だ。これを幼稚園に入る前からやっていると、20代の前半、大学に入って、個性的な発展が望まれるときに、もう何もできない人間になっている。
▽110 ドイツ 男の子用の傘を売ってない。「男の子というのは、少々雨にぬれたからといって、すぐ風邪をひかないものですよ。すぐぬれて風邪をひくような子は育ちませんよ」……ドイツ女性のなかには日本人以上に女性らしい、中世の産物とも思われる従順タイプの女性を見いだすことがある。
▽121 ドイツは宗教教育をする。日本はこれに類する精神的な教育が欠如した。どこに、何に心のよりどころを求めたらよいのか、その行き場を見失っていた。以前のことを知っている世代は救いようがあった。しかし、新しい時代に生まれ育ったものたちには、何らの救いの手もなかった(宗教教育の必要性〓)。道徳教育でその穴埋めをしようとつとめたが、他の人とうまくやってゆくための処世術的なものであった。日本の道徳教育がドイツの宗教教育に比べて物足りないのは、その相対的な道徳観であって、絶対的価値が存在しないことである。ドイツ人は「他人の目」があるなしにかかわらず、自分のよいと思ったことをやる。日本人は「誰かがみているからやる」という側面が出てきてしまう。〓(絶対的正義の怖さもあるが……)
▽131 ドイツは州によって教育システムがちがう。
▽148 ほかの子を叱れる親に。子どもはどんなに小さくても一個の人格であり、社会の子だということ……
▽152 ドイツでは、就学前教育はよくないとされ、子どもたちが自主的に学びたくなる年齢である6歳ごろまで待つのが妥当とされた。しかしドイツでも最近は、大学の定員制が導入され(以前はだれでも自由に学べた)……
▽166 「人は子どもというものを知らない……子どものうちに大人をもとめ、大人になるまえに子どもがどういうものであるかを考えない」(エミール)当時は、子どもを白紙と理解し、ひたすら外部から与えられる教育作用のみを重視した考え方があった……
▽172
▽186 西洋の子の遊び上手。けじめをつける。日本の子は、遊んでいるときも本気を出せずにいるくせに、静かな席では、ガシャガシャと大人たちをかき回す。新幹線の中をバタバタと走り回ったり……きっと遊びと同様、学びにおいても中途半端になるだろう。
▽202 「たとえ社会の片隅においてでも、おまえたちが生きていることで、周囲の人たちが喜びを得、そして少しでも幸せを見いだすことができるような、そんな生き方をしてほしい。自分だけのために一生あくせくするには、あまりにももったいない生命なのだ」▽221解説 「私はドイツ人だから、日本を理解するために、本を読むだけでなく、手と身体を動かして、こうやって庭をつくることに思想的意味があるのです」(体感する思想〓)
先生の書斎にはムーブラックがあり1万冊以上の書籍が……「こうやってテーマ別に一括して資料を保管しておかないと散逸してしまいます」。ちなみに私は09年、箱根に新しい仕事場をつくり、ムーブラックを据え、1万冊強の神学や思想関係の資料を置いている。
▽227 「佐藤君の今後の人生がどういうふうになるかわからないけれど、自分の能力を他者のために使う、そのことだけは忘れないで社会で生きてほしいと私は希望する」

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