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(作業中)トクビル 現代へのまなざし<富永茂樹>

■トクビル 現代へのまなざし<富永茂樹> 岩波新書 20110827
デモクラシーの反対はアリストクラシー
▽17 フランス革命が帝政へとつながり、デモクラシーから専制が生まれる−−プロセスの考察をトクヴィルは目指した。
そのため、革命によって破壊された社会に戻り、そこに根源を求めようとする。アンシャン・レジーム期の社会とは、絶対君主政のもとで中央集権化と平等化が極度に進行した社会。そういうアンシャン・レジームとフランス革命の連続が、ナポレオン登場をうながすきっかけになった。
革命とアンシャン・レジームのあいだに歴史の切断は存在してないと、トクヴィルはとく。そこに独自性がある。
▽23 デモクラシーによって特権階級が消滅して平等が自覚されるよういなると、野心はどこまでも増殖する。野心が充たされないがゆえに焦りが募る。焦りと挫折のたえまない繰り返しが「奇妙な憂鬱」を発生させる。
デモクラシーに特有の生への嫌悪感。
▽33 デュルケームの「自殺論」
▽41 アメリカのデモクラシー アメリカ人の移動が激しい。空間移動だけでなく、職業の移動も。彼らを移動を突き動かすのは、奇妙な憂鬱の背景にあるのと同質の情念。平等な社会では、幸福を充足する機会はだれにも与えられるが、幸福を手に入ることはめったにない。この挫折が彼らを移動へと駆り立てる。
移動しつづけるところには「紐帯」は存在しない。ひとが原子になってばらばらに生活する状態は、デモクラシー社会に固有のもの。
▽47 デモクラシーとアリストクラシーとは、平等と不平等な社会状態の2つの類型を示す。後者は、身分の上下が垂直な社会関係でなりたち、それは、変化せずに静止した状態であり、運動の否定と排除を前提にする。前者は、不平等を脱して平等に向かう、運動と加速度をともなう。
▽ 自由と平等のどちらかを選ぶとすれば、後者が優先される。「自由のなかに平等を求め、それが得られないと、隷属のなかにそれを求める」。「民主的な専制」
▽50 一定の平等が実現した状態としてのデモクラシー(事実の平等)と、そうした状態をたえず求める運動としてのデモクラシー(権利の平等)。トクヴィルが問題にするのは後者。運動をともなう平等。結果として人間のあいだに差異と不平等をもたらす平等。「権利の平等=平等への愛着」
▽52 平等がたえず平等への愛着を喚起し、それが観念のなかのものにすぎないために裏切られる運命にある。完全な平等は、とらえたと思った瞬間にその手を逃れる。認識しうるほどには手近く、味わうには遠すぎるだけにいっそう貴重なこの幸福の追求に民衆は熱中する。(民主主義、と同じ?)
▽55 運動はいつも未達成間と不満を残してゆく。そのため、「すべてほぼ平準化するとき、最小の不平等に人は傷つく」。アリストクラシーのように「不平等が社会の共通の法であるとき、最大の不平等も人の目に入らない」(専制によって平等が実現されたが故に、不平等が目につくようになった〓)
▽59 特権は衰えたときにこしいっそう強い反発と憎悪の的になる。アンシャン・レジームが末期に近づき、経済的な繁栄が広まるにしたがい、ひとの心はますます焦燥感と不満に充たされるようになった。
▽62 「商業」とはこの時代「交流」とほぼ同義語。モンテスキュー「商業は平等な人々の職業」。商業は穏和な習俗をもたらす、というモンテスキューの命題を引き継ぐ。平等が人間のあいだに拡大すると、他者の不幸が自分の不幸のように見えて来る想像力にもとづいた憐れみの念が生まれて来る。デモクラシーではひとは優しくなりもする。
アメリカ人は、非社交的なイギリス人とちがい「話しぶりは自然で率直」。諸条件の平等とともに習俗の穏和化がすすむ。
▽67 諸条件の平等とともに、隣人への羨望と憎悪と軽蔑が生まれ、どんなわずかな不平等も人を傷つけるとともに、奇妙な憂鬱を生み出す。
▽69 18世紀には金銭と引き換えに官職を得て新貴族となる制度が存在した。中産階級の地位への情熱がフランス革命後のものだと考えるのは大きな間違い。
▽71 平等が支配的な社会は、激しい動きに満ちていると同時に、いたるところでさまざまな停滞した状態を生み出す。
社会は穏やかになるが、「無数の小さな欲望」で満足する者が増える。平等は、野心の数は増幅させるが、それぞれの野心の規模は縮小する。アリストクラシーの垂直型の社会では、野心を抱く人間といだかない人間とは厳然と区別されており、前者はどんな大きな野心をもつことも可能だったが、だれもが野心をもつデモクラシーでは、野心はごくささやかで凡庸なものに変化せざるをえない。
▽73 アメリカ社会、平等の広まった社会では、……人間の行動は画一的な姿をとるにいたる。合衆国ではいかなるものも変化をつづけているように見えるが、この社会は長期的には単調で、それを眺める者を退屈させることになるのではないか、と、トクヴィルは危惧する。「人間が野心に導かれてめまぐるしく動いていながら、その根本ではたいへん固定した原理が作動しているのを目にしたことに驚いた」「人間は絶えず動きまわり、人間精神はほとんど動かぬように見える」(〓価値観の単純化。人類全般のゆくえを指し示す)
▽79 革命がナポレオンによる「専制」を準備した。諸条件が平等になると、固有の意味での民主政か、「たった一人の人物が制約なしに権力を行使する政体」にいきつく。
▽82 フランス社会の平準化をもっとも進めたのは、国王だった。……革命から生まれたのだと信じてきた感情や観念は、18世紀にさかのぼって存在していた。
フランス革命は、アンシャン・レジームと手を切ったというよりも、まさにそこに起源をもつ。フランスの歴史に切断ではなく連続を見る視点。
革命はアンシャン・レジームを覆したのではなく、隠蔽した。
▽88 バスティーユの監獄 襲撃時に囚われていた人間はごく少なく、襲撃の目的であった武器もほとんどない状況だった。ところが、降伏した司令官を殺害し、その首を槍の穂先につけて市中を歩き回るという事態に発展。こうしてバスティーユというイメージと言葉が定着する。……革命以前に存在していたものは、革命の成果によって変形され隠蔽されてゆく。バスティーユのイメージの変形や増幅と同じことがアンシャン・レジームという言葉の定着についても当てはまる。
▽91 フランス革命のはじまった1789年を2つの段階に区分。「平等への愛と自由への愛」がともに心のなかにある時期から、自由よりも平等が支配的になる段階がやってくる。それ以後、革命は平等のみによって導かれ、恐怖政治から総裁政府期、ポナパルとのクーデターにつながる。「平等」の起源をさぐると、17世紀のルイ14世以来の絶対君主制にあった。中世から続いた封建制を破壊し、貴族が保持してきた権力を次々に自らの手中におさめた。
▽92 「アメリカのデモクラシー」 政治的な集権化(国のあらゆる部分に共通にかかわるもの)はデモクラシーの当然の帰結だが、行政の集権化(地方分権の反対)は、公共精神を減退させ、国民を無気力にするという。アメリカでは、「タウンシップ」という自治制度が機能しており、デモクラシーに好影響をおよぼしている。ところが18世紀のフランスは、行政権力の中央への集中が見られた。
▽94
▽96 「アンシャン・レジーム」で語られる国家行政の拡大は、フランス革命から帝政を越えて、今日の世界にまで連続しているともいえる。集権化した国家の後見下におかれ、世話を受けるようになるにつれて、人間は国家への依存を深める。……自由は圧政のもとでも根づき成長するけれども、被後見状態にあっては生まれることも発展することもできない……
アンシャン・レジームによる国家行政の拡大は、あり種の統一と社会の画一化をもたらす。地方が衰退して独自の性格を失い、パリが全能化。
革命の以前から中央集権化とそれに伴う画一化を経験していた。
▽101 統計学という言葉の誕生 統一的な度量衡。メートル法も革命のさなかに採用。啓蒙哲学の基礎となった合理主義は、中央集権化と対になって、社会に全面的な画一化をもたらした。これもアンシャン・レジームから革命、その後の世界に継承された。
▽107 実質を失っているとはいえ身分の障壁は存在するので、平民の貴族階級にたいする憎悪は以前にもまして大きなものになる。不平等な社会ではどんな大きな不平等にも耐えられるが、平等が広がるとわずかな不平等も許しがたいものになる、という力学。
▽108 ブルジュア革命や農民の革命に先だって「貴族の革命」があった。
▽113 アリストクラシーの時代には「身分の違う人々が何を感じているかよく理解できず、自分にひきつけて他者を判断する術がない」私たちの感受性の届く範囲が当時にくらべて広いものになっている。
▽116 アリストクラシーでは、下は農民から上は国王まで、一つの長い鎖に結びつけられていた。平等の拡大とともに、この鎖は崩壊して、ばらばらになる。原子化した個人の感受性は、人類にまで拡大する一方で、その関心は、自分とその周辺にしか向かない。さまざまな部分社会にたいしては、全般的な「アパシー=無関心」が広がる。
▽118 デモクラシーでは、人類としての義務感は認識されるかもしれないけれども、特定の人間に対する義務感は気迫になる。「人間的感情の絆は広がり、かつ緩む」
「中間の領域は空っぽ」
▽122 地域共同体の「自治」が尊重されるかぎり、州政府や国家の行政権力が全国に浸透することは考えられない。アメリカには、政治的な中央集権はあっても、行政のそれは存在しない、というのも、地方自治の精神に関係する。
タウンは「アメリカのデモクラシー」の原点であり、個人を全体につなぐことによって、全体と個人とのあいだの中間領域という重要な役割を果たしている。
▽125 アリストクラシーでは、貴族集団が、社会のさまざまな事業を推進した。平等が拡大した社会でこれにかわるのが「結社」。
▽126
▽128 社会における部分の消失、中間の困難。……国王の認可を受けた同業組合の廃止が1776年の勅令で命じられる。
▽135 同業組合を廃止し、労働者の団結を禁止する革命初期の法令。「もはや国家のなかに同業組合はない。個人的利益と一般的な利益の外にはなにもない。市民に中間的利益を教え込んで、同業組合の精神によって市民を公の事物から分つことは誰にも許されない」(=中間組織を排除したフランス革命)
政治結社「民衆協会」も攻撃する。
▽138 社会のなかに部分はいささかも存在してはならない。これこそがアンシャン・レジームからフランス革命まで伝えられる社会認識だった。部分(中間部分)が消失し、画一化した社会に。
▽146 平等になるにつれて、「個人はますます群集のなかにかき消え……」群集は、人間が埃のような個人に閉じこもってしまうとともに、他者のことを考えるさいには人類という参照枠しかもたない……
▽160 「民主的な専制」個人主義は、社会的に無関心にとどまることで、専制の出現に都合のよい条件を準備。平等の拡大にともない、行政における中央集権化が進行し、全能の国家が成長するにつれて、専制を可能にする「社会構造」が生まれた。
▽164 封建社会では、貴族層が中間的権力として重要な働きをし、都市や同業組合などさまざまな二次的集団が存在していた。集権化した権力は、あらゆる中間的な権力を墓石、平等の到来とともに、「部分」が消滅し、専制の登場を容易にする社会のかたちができあがる。
専制と平等とが、相反するどころか、たがいに親和的で補完しあう関係にあることを示そうとしている。
▽170 囚人は同じ独房にいるかぎりで「平等」であり、隔離され無力である点で、トクヴィルが描く個人主義に閉じこもる人間に似ている。
▽175 るい=ナポレオンによる第2帝政。「穏やかな専制」
▽183 家族意識と、古い社交関係のあり方とはあいいれない。互いに他方を犠牲にすることでしか発展できなかった。
▽186 「デモクラシーは社会の絆は緩めるが、自然の絆をかたくする」「市民の間を隔てる一方、親族を近づける」
▽188 デモクラシーでは、伝統=過去が軽視される傾向がある。平等への愛着にとらわれた人間は、現在よりよい生活を求めるから、その注意と想像力はたえず未来へと向かう。知性の水準におきかえると、「人間の無限の完成可能性の観念」が発達する。
……平等が無限の進歩をもたらすのではけしてなく、そうした奇妙な観念を人間に許すものこそが平等。
▽193 名誉の衰退「貴族的名誉」は、社会規範の基礎になるものの一つだった。……「名誉をつくり出したのは、人間の間の相違と不平等」だったが、諸条件の平等化につれて名誉は後退し、「良心が人間1人1人の心に目覚めさせる人類の普遍的欲求が共通の尺度となるだろう」
▽196 トクヴィルが注目したのは、過去や伝統のたんなる復活ではなく、形式がもちうる可能性だった。
▽197 アメリカで初等教育は広まっているが、高等教育はそれほどではない。「理論的抽象的な部門の研究」が関心をひくことはほとんどない。これは、民主政が支配するどんな国にもあてはまることあろう。
▽198 地域共同体や政治結社、陪審制などに、学校教育よりも確実に社会化(人間が市民になること)を果たしうる可能性を見つめ、あるいは求めている。
▽203
▽205 デモクラシーが究極に達した西部にはタウンシップはもはや存在しない。結社を必要とする社会は、結社の形成を困難にする社会でもあった。困難と不在に直面しているからこそ、ひとが形式をもつことへの関心が生まれてきている。
▽ 私はこの世界にアリストクラシーを新たに築くことはできまいと固く信じている。だが普通の市民が団体をつくって、そこで影響力のある強力な存在、一言で言えば帰属的な人格を構成することはできると思う。
▽216 福沢諭吉 交際が繰り広げられる公共空間=society。そうした場として「明六社」という学術集団を組織。ところが明六社は、讒謗律と新聞条例が出たことを機に2年足らずで公的活動の停止に追い込まれる。「部分」である地方分権も、伝統的な農村の自治組織がその支えのひとつとなるが、自由民権運動も下火になり、中央集権化した国家の影に隠れてゆく。内務省の官僚が各県の知事として赴任することになるのは、アンシャン・レジームからフランス革命に受け継がれたものと類似の状況。
▽228 丸山真男 私化をとおしてであれ原子化をとおしてであれ、日本の近代には結社形成型の個人は充分に成長しなかった。
▽231 トクヴィルや漱石の見た社会にもまして、大きな焦燥や羨望、挫折などを生み出しつづけている。……天皇制にもとづく集権化した国家のもとで、自立した個人となれなかった近代の日本人。われわれの生きる現在を、19世紀前半にすでに発見していたのがトクヴィルだった。

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