太郎次郎社 20070315
これまた10年ぶりの再読。
「被抑圧者の教育学」は抽象的でストイックな印象の本だった。老境にはいって、「被抑圧者」のできた過程と、その後の広まりをふりかえってつづった「希望の教育学」は、フレイレのやさしさが行間からあふれんばかりだ。
たとえば、「今からすぐに会いたいんです」というせっぱつまった電話があればほかの予定をキャンセルしてでも会う、というエピソードだけでも、並の人にはまねできない。
スラム住民、移民労働者、貧農……の生活を「上」から俯瞰するのではなく、彼らのあきらめ、声をあげることを抑圧してしまう恐怖、無力感(宿命論)といった「実存的疲労」をも同じ立場で共感する。共に悩み、共に苦しみ、批判的に思考し、たたかいにむかっていく。ブラジルで識字運動を展開するなかで、貧しい人と共感しきれていない自分の弱さと傲慢さに気づいていったという。
抑圧者たちに対する批判はもちろん、「さだめとしての解放」を主張する左翼の歴史観も、普遍的唯一絶対の真理に足場をおくセクト主義だとして拒絶する。主観の果たす役割を無視しており、主観と客観(世界)との弁証法的な関係が失われているからだ。
「階級対立はない、社会主義は終わった」などと主張する新自由主義に対しては「途上国の何十億人もの人びとを貧困と飢餓にたたきこんでいる資本主義がどうして優位性を主張できるのか」と反論する。一方で、階級対立でなにもかも説明しようとする左翼の論も拒否し、「人間はたんに世界に適応するだけでなく、世界に介入する存在たりつづけてきた。つまり、夢もまた世界を動かす原動力のひとつだった」という。
ここに「夢」をもってくる感性が、ロマンチストとしてのフレイレのやさしさを特徴づけているように思える。
被教育者の「いま」「ここ」から出発するフレイレは、当然のように「民衆知」「民俗知」を肯定的にとらえる。奴隷制時代の遺物である、抑圧者に服従するという民衆の態度にさえ、「卑屈な奴隷根性」という面だけでなく、「服従する」ことじたいが生存をかちとるための闘争であるという積極面があるという。それが抵抗の文化となり、外見的には順応しているようだが、その底に反逆の意志が秘められているとも指摘する。
グアテマラ先住民族の500年間の沈黙の「抵抗」を目の当たりに見てきたから、フレイレの論はなるほど、と思った。
民衆のしたたかさのなかに、生存と反逆の意志を感じとり、そうしたしたたかさを破壊するが故に田中角栄的なものを激烈に批判した宮本常一にも似た感性をかんじる。
ブラジルから追われ、ボリビアをへて、ラテンアメリカ中の左翼関係者があつまっていたチリに亡命し……晩年にいたるまで、アフリカやラテンアメリカ諸国を歩き、グレナダやニカラグアの政権とかかわり、エルサルバドル難民の村づくりと接しつづけた。
たとえばエルサルバドル難民たちの村づくりを賞賛する文章は、ちょっとほめすぎではないか、と思えなくもないが、生涯をつうじて「現場」をなにより大切にしてきたフレイレの、ロマンチックな旅人としての一面をかいまみることができるのも興味深い。
-------抜粋・メモ--------
▽言われたことを言うことは、生きられた経験をもう一度生き直すということであり、言われたことをくりかえして言う時間のなかで、言葉はあらたに生みだされていくのだ。自分が言ったこと、相手が話したことを、もう一度口にだして言うことは、ぼくらが言ったこと、相手がそれにこたえて言ったことを、あらためて、意識的に聞きなおすということだ。(〓表現する、語ることの意味)
▽市街地では体罰がひんぱんだったのに、漁村では、体罰はおろか、罰そのものがほとんどおこなわれていない。漁師たちは、自由を重んじながらも文化的伝統にしたがって、子どもが思いどおりにはならない自然の掟を自然そのものをとおして体得することを期待していたのかも。……
▽体罰と教育をめぐる労働者との会話で、生活のちがいをつきつけられる。「わたしらは朝4時には目をさまし、つらくて悲しい、希望とてない1日を、また今日もくりかえさなければなりません。わたしらが子どもを打ったとしても、わしらが子どもを愛していないからではないのです」・・・人々にものを言おうとするのなら、教育者は、人々が見ている世界をまず人々とともに見ることからはじめなければならないのだ。
▽亡命。望郷がノスタルジアに堕することを、どう阻止するか。亡命生活が何年もつづいているのに、相変わらず故郷のことを基準にものを考え、こっちよりも、あっちのほうがずっとよかたと言いつのる傾向をどうやって克服するか。
▽(ブラジルからボリビアへ、チリへ)
フレイ政権下から、チリで4年半すごす。「軍が既成秩序に逆らって決起するなんてことはありえない」と活動家らは確信していた。その後数年してクーデター。
キリスト教民主党からわかれたMIR革命左翼運動は、共産党や人民連合よりも左側に位置しつづけ、一貫して民衆教育に強い共感を示しつづけた。伝統的左翼政党には見られない特徴である。
共産党や社会党は、教条主義的にある種のスラム住民との共闘を拒絶していた。(ルンペン・プロレタリアートであり)階級意識が希薄だから、という。MIRはスラム地域での組織化に尽力していた。
当時は理解されなかった主張。進歩的な諸力を統一に向けて結集するラディカルで非セクト的政治行動だけが、右派の権力と害悪に有効に対抗し、民主主義を目指してたたかうことができる、という主張。残念ながら、不寛容で差異にたいする否認が支配的だった。対立が激化するなか、たたかう情熱の源泉であるラディカル性を歪めてセクト主義に変えていくことに。
サンチャゴは、ラテンアメリカの知識人、学生運動指導者、労働運動家、左翼政党幹部の吹きだまり、出会いの場になっていた。
▽農民との対話 饒舌と沈黙のあと農民が「申し訳ないことをしました。わたしら、しゃべりすぎました。あなたはものを知ってなさるかただし、わしらは何も知らんのですから」。・・・進歩的教育者がとりうる唯一の道は、被教育者の「いま」「ここ」から出発することであり、現在のありようを受け入れることからしか、ことは始まらない。そうすることで彼等とともにその「未熟さ」を批判的にのりこえていける。
□第2章
▽左翼のセクト主義。「さだめとしての解放」をおしすすめれば、たたかいは不必要になるし、民主主義的社会主義をつくりだしていくための政治参加も放棄されてしまう。普遍的で唯一絶対の真理に足場をおくセクト主義を遠ざけるためにも、ラディカル性がつよく要請される。
▽思想は書くことに先立って、まずは語られるものだ。書く前に、ぼくは自分の思想を語っている。だが書くことは、それをたんに文字に残すだけではなく、再創造し、再形成すること。
▽路傍の一画にうずたかく積まれたゴミの写真。NYのスラムでの会合で見せたら、「やっぱりラテンアメリカの街頭じゃないかな」と。「どうしてNYじゃないのかしら?」「ここは合衆国だよ。こんなもんがあるわけないでしょう」……長い沈黙のあと「認めなくてはいけないのじゃないかしら。これが私たちの街であることを」
(〓ニュータウンでは公営住宅では?
▽教師側にとっても、教えている内容を自らが知り、自分のものにしていくことによって、つまり自分自身がそれを学んでいるかぎりにおいて、教師は真の意味で教えているといえる。教えながら、教師はすでに知っていることを知りなおしているのである。
□第3章
▽階級対立でなにもかもが説明できるという言い分は理解しがたい代物だ。いっぽうで、階級とその対立する利害抜きにして歴史を理解することは不可能だろう。……人間は歴史をつくる主体であると同時に、歴史によって形成され再形成される客体でもある。人間はたんに世界に適応するだけではなく、世界に介入する存在たりつづけてきた。つまり、夢もまた世界を動かす原動力の一つだったのである。〓
▽いわゆる「現実的社会主義」が瓦解したからといって、社会主義の妥当性が失墜したことにはならないし、資本主義の優位性が証明されたことにもならない。途上国の何十億人もの人びとを貧困と飢餓のなかにたたきこんでいるシステムがどうしてその優位性を主張できるというのか……
▽人間はたんに「生存」するだけの存在と考えることはできない。歴史的・文化的・社会的に「実存」する存在なのだ。その道におのれを曝し、引き渡しながらも、同時にその道をつくりかえ、自らをもつくりかえていく存在なのだ。
▽歴史を機械論的・決定論的にとらえた政治的実践は、人間の非人間化の危険を軽減するうえでなんら寄与しない。人間はさまざまな仕方で動物化を強いられてきた。自らを限定され条件づけられた存在として知覚することができたとき、そのぶんだけ、我々は自分を解放する可能性を開発しえた。さらに、被限定性と被拘束性を知覚するだけでは不十分であり、それに加えて、世界を変革する政治的なたたかいが必要だ。
(〓構造主義とのちがい)
▽主観主義と客観主義は、どちらも反弁証法的なものだから、意識と世界との不断の緊張関係を学ぶ素地をもたない。……弁証法的なものの見方は、「鉄の規則に支配された未来」という考え方とは両立しえない。こうした「手なずけられた未来」の観念を、反動家たち(明日は今日の反復)と「革命家たち」(鉄の法則性による進歩)はそれぞれの流儀で共有している。……弁証法的視点にたてば、われわれが夢見る未来は、鉄の必然にもとづくものではない。われわれが未来を創出しなければんらない。
□第4章
▽進歩的教育者たちに、文化の、その否定性と肯定性の対立を内包した運動に、注意を向けてもらいたい。たとえば、過去の奴隷制の痕跡がブラジルに今日も残存している。命令し威圧する領主として、死をまぬがれるため服従する奴隷の卑屈さとして……あるだけではなく、死ををまぬがれるために服従する奴隷は「服従する」というそのことが、かれにおいては闘争であることに気づくのである。それによって奴隷は生存をかちとるからだ。この学びは人から人へと継承されて、抵抗の文化というべきものを根付かせる。外見的には順応しているようだが、その底に反逆への意志が秘められている。
(〓宮本常一的世界)
▽移民労働者 異境の地で獲得した僅かな安堵を失う危険をおかして政治行動に参加するには、あまりに立場が脆弱だ。職を得たいという願望は、外国にでかける希望に向かわせることはあっても、自分たちの社会の構造変革という方向にははたらかない。このように移民労働者の大半は、「実存的疲労」を全身にたたえて異境の地にたどりつく。……被抑圧者の恐怖の感情が、たたかいを圧し阻んでいる。恐怖は具体的なものだから、対策もまた具体的であるほかない。
▽政治教育より技術教育が幅をきかす。政治性の衰退は、人びとの実存的疲労を深め、その宿命論的な性格を確実につよめる。エンジニアでも石工でも漁師でも、自分を歴史的・政治的・社会的・文化的存在として理解することが必須であり、社会がどういう仕組みで動いているかを理解することが重要だ。たんに技術的と僭称する職業訓練ではなしえないことだ。
▽農村部での民俗知の調査。が、ブラジルのエスのサイエンス熱を大いに高めた。民衆知の知見の正しさを大学が検証したことを、農民との討論の話題に載せることは、民衆に自信をあたえる助けとなる。(〓内子 対馬の宮本)
□第6章
▽ゴム採集人と「森の民」の共闘。「私たちは権力者にそそのかされて、インディオはぼくらの敵だと信じていた。インディオたちもまた、権力者に誑かされて、セリンゲイロはインディオの敵だと思いこまされていた。……」
▽左翼が権力を掌握することは困難になっている。チリの道、ニカラグアのやり方、グレナダのケース。どれも権力を守り切れていない。こうしたことを考えると、エルサルバドルの和平は、予想以上の妥協を強いられるものであったとしても、最良の方法、現実に可能なただ一つの方法だといわなければならないだろう。
▽帰還難民の村〓 解放戦線は、教育にありもしない力を求める観念論的な幻想を警戒しながら、同時に、革命のまえにあらゆる価値を犠牲にする機械論的な客観主義に陥ることも避けようとした。こんなにも批判的に、深く、教育実践を信頼し、その確信を表現する民衆グループを、ぼくはあまり見たことがない。
セグンド・モンテスの人びとは食用作物を栽培し、衣料用の動物たちを飼い、共同体をどう組織するかを議論し、自分たちの音楽を歌い、成人の識字と子どもたちの教育にとりくんでいる。