■ポスト戦後社会 <吉見俊哉> 岩波新書 20101103
「戦後」と「ポスト戦後」への転換は、社会主義やアメリカ流の物質的豊かさといった「理想」「夢」の時代から、「虚構」の時代への転換に対応している。前者の象徴が東京タワーであり永山則夫の事件であり、後者の象徴はディズニーランドであり宮崎勤の事件だ。「夢」の時代が内包する自己否定を極限まで推し進めたのが連合赤軍事件であり、「虚構」の時代のリアリティ感覚を極限化したのがオウム真理教事件だった。「重厚長大」から「軽薄短小」への転換でもあった。
「ポスト冷戦」は、1970年代初頭の変動相場制への移行と、それによる金融マネーの越境的な流通によって必然化した。保守・革新ともに前提としていた福祉国家体制が終わり、「公害」問題を問う流れは地球環境問題というグローバルな課題と結びついていった。
▽8 連合赤軍 「自己否定」を極限まで推し進めた。自己を絶えず否定的なものとして乗り越えていくことが実存の本質であるという実存主義的な観念と、自分たちが大学生という特権的な地位にいることを批判するという誠実さが合流していた。
▽19 世界では政治の激動がつづくなか、日本だけは例外的に、池田政権が「脱政治=経済」を演出すると、大衆はこれを歓呼で迎えた。日本の学生運動はこうした世界と日本とのギャップのなかで孤立していく。
▽23 1950年代、都道府県の教員組合は、各地域の青年運動を指導し、生活改善運動を家庭に浸透させ、歌声運動、作文の会、平和教育などの地域活動の中核になっていった。……56年に教委が公選制から任命制に転換すると、勤務評定が強引にすすめられ、教員の活動に深刻な打撃を与えていく。
……60年代の高度成長は、政治と労働運動の結びつきをじょじょに弱体化させた。「町ぐるみ・村ぐるみ」闘争を総評事務局長として強引に牽引してきた高野実が、春闘を中軸に据える岩田章や太田薰に選挙で敗れて退くと、総評もまたより経済重視の路線に向かっていった。(なるほど!こういう流れか〓)
労働者は、「階級」としてよりも「マイホーム」の経営者としてのアイデンティティを身につけていった。
60年代から70年代にかけて、学生だけが「政治の季節」にいた。
▽27 ベ平連 小田や鶴見、開高、井出孫六、小松左京……といった文化人が当初は主だった。それが、若者たちが草の根的に参加する不定形の場へと変容していく。……ある目的について一致できる人間をできる限り幅広く集める。こうした特徴は、環境保護やフェミニズムなど多くの分野の新しいネットワーク型の市民運動に広がっていった。
▽39 60年代から70年代、つまり、戦後からポスト戦後への転換期には、3つの歴史の主体がせめぎあっていた。①労働運動や左翼政党は高度成長のシステムに組みこまれ変革の主体ではありえなくなっていた。②学生運動は、現実の政治的変革への展望を失って、自己閉塞的な過激化への道をたどる。③それらの周縁で、べ平連やウーマンリブのような、個の肯定から出発するネットワークが、新しい社会運動のスタイルとして浮上しつつあった。
▽53 ダイエーなどが薄利多売で成功したのにたいし、60年代末以降の西武百貨店は、「イメージ」を「現実」に先行させた。……西武の文化戦略は、都市空間を非日常化する「パルコ」から、80年代末を境に、「わたし」がそれなりに満足できる仕方で暮らせる材料を提供しようとする「無印良品」に移る。こうした日常指向の戦略の先でやがて「ユニクロ」のグローバル戦略が登場する。
▽61 盛り場や商店街までが、メディアのイメージに従って建設されるようになる。地域の記憶の積層から「街」を離脱させ……空間を劇場化する。70年代にパルコの空間戦略で実験された新しい都市の構成法だった。
▽66 1ドル360円で維持しようとして、円を売りまくり、その余剰資金の流れが土地への投機をうみ、全国的な「狂乱物価」を引き起こす。
▽74 重化学工業ベースからサービスや情報がベースの社会に変化するなかで現場労働者の数が減り労働組合の影響力が低下する。革新も自民も危機に瀕する。福祉国家体制の危機だった。高度成長による利益配分型政治が限界に達した。福祉国家からサービス経済へと移行していく。こうした変化に対応して、新保守主義の潮流が浮上する。
▽86 家族にタイする考え方は80年代末から90年代にかけて劇的に変化する。……「みんなと力を合わせて世の中をよくする」といった未来中心の考え方が弱まり「その日その日を自由に楽しく」といった現在中心の考え方に。「未来」を準拠点にして現在を位置づけることは、近代社会の根幹をなす価値意識だったわけだから、この変化は近代社会の地殻変動が始まっていることを示す。
▽88 この30年間で、地方農村でも社会関係が都市化され、全人格的なつきあいは厭われるようになった。莫大な公共事業費がインフラ建設に投下されるなかで、地域の風景、生活物資の流れや人々の行動範囲が決定的に変化したのである。
▽97 電話は、第三者が家庭のなかに侵入してくる戸口である。物理的にも家庭と社会が接する玄関口に置かれたことは理由があった。共同体としての家族は、外部社会との接点を空間的に限定することで、見知らぬ他者が入るのを制限しようとしていた。……コードレスや携帯電話によって、「幸せなマイホーム」は多数の個室の集合体へと変容していく。
▽108 60年代のムラからの出郷=永山事件、70年代から80年代の近郊の郊外化=宮崎勤、90年代のニュータウン=サカキバラ。……少年Aの事件は、30年前の永山の事件とは逆に、他者のまなざしが地獄なのではなく、他者のまなざしの不在が地獄となっている。
▽110 70,80年代は日本の若者は暴力的でなくなってきた。よく管理され大人しくなり……。これが反転するのは90年代末以降だ。
▽118 農村の崩壊は、物質的な豊かさの裏面。60年代から70年代の若者たちの反乱と数々の反公害運動は、崩れゆく自然の側からの最後の抵抗運動だった。永山の犯罪は、農村的な身体によるおのれ自身への呪詛がこめられていたが、宮崎やサカキバラの犯罪では、そのような回帰するべき自然がすでに失われている。
▽124 公害から環境問題へ。よりスパンの長い議論に発展。
石原慎太郎が環境庁長官になると、環境行政は後退し、座りこんだ水俣病患者を排除する。二酸化窒素基準は緩和される。……石油ショック後の企業の危機意識の反映でもあった。
▽128 70年代の国土計画は基本的に地方分散、格差是正を重視した。やがて公共事業じたいが自己目的化される。80年代半ば以降、地方への産業再配置という色彩は弱まり、中央集権が事実上黙認される傾向が強まっていった。
▽140 夕張 リゾート開発ブームの罠に。北炭倒産でうまれた失業者をつなぎとめようとした。北炭は、それまでの市からの借金を踏み倒し、解雇された従業員や住宅に対しても補償せずに逃げた。市は、会社が負担してきた、住宅や水槽、公衆浴場などを公営化して、炭鉱従業員に提供……谷間に分散する炭鉱住宅街をつなぐ道路を新設し……
リゾート会社は96年に撤退。雇用危機を避けるため、ホテルを市が買いとった……
夕張市破綻の原点は、炭鉱が閉山するなかで、雇用と活力を維持しようと観光都市化の路線を突き進んだことにあった。もがけばもがくほど深みにはまる蟻地獄。
▽146 農業衰退 保母は、高度成長期からの若年層流出によるだけでなく、80年代以降の農業切り捨てともいえる政策転換のなかで生じてきたと指摘。70年代までは、各種補助金が下支えしつつ、補助金漬けにすることで国の政策からの自立を阻んでもきた。
▽148 小樽。
▽153 巻町 従来の反対運動とは縁が薄かった30から40代の女性達と、40から50代の主として自営業者の男性達がいた。とりわけ後者の、支配構造の内側にいた勢力が「中央の役人や町長に任せておけん」と立ち上がった。
▽163 オウムの繰り返す終末イメージは、宇宙戦艦ヤマト、未来少年コナン、ナウシカ……の断片を取り混ぜたもので……お布施をして修行を重ね、イニシエーションを受けるとパワーが増し……という修行システムは、ゲーム的な物語に似ている。……島田裕巳は、若者たちがオウム信者になることはテレビゲームに熱中することと同一の現実感覚のなかで起きていると指摘した。
▽177 国労。75年にスト権スト。組合側が敗北。国鉄は国労・動労を相手取って202億円の損害賠償訴訟を起こす。これ以降、政府内に労組つぶしの動きが強まる。
国鉄の赤字債務に矛盾を押しつけて問題を隠蔽しながら新線建設は継続されてきた。国鉄側も累積赤字解消を放棄し、政権党に依存して過剰な設備投資をつづけ借金をふくれあがらせた。
86年になると国労切り崩し強化。国労分裂。……
▽185 70年代まで「中間層」に属すると考える人は増え続けた。……中流意識の拡大により「保守」「革新」という階級政治は後景化し、生活保守主義の巨大な流れとなっていった。
▽190 非正規雇用人口が増えるきっかけは1986年の労働者派遣法。職業安定法では違法とされていた、労働者派遣を部分的に合法化した。当初は、専門性の高い業務に限定していたが、90年代を通じて指定業務の範囲がなしくずしに緩和され、99年の法改正で、原則自由に派遣できるようになった。
▽204 80年代までは海外進出は、円高損失を減らす防衛的なものだった。今は根こそぎの移転。90年代末以降、東北などでは、誘致企業の海外進出で、零細・中小企業が相次いで閉鎖に追い込まれる。農家は長男すら地元にとどめておけなくなる。限界集落が増える。
▽207 グローバル資本の一部としてのJAPANと、衰退した「国土」がある。
「日本」という歴史的主体がすでに分裂・崩壊しつつあるのではないか(220)。
▽238 「グローバル」という地平に包摂され得ない無数の人々の声や心情が、一体化する世界といかに結びつき、新しい社会のどんな歴史的主体を可能にしていくかに21世紀の歴史は賭けられている。
▽240 「戦後」から「ポスト戦後」への転回は、同じ日本史のなかでの段階移行ではない。そうした歴史の主体の自明性がぐらつき、空洞化しているのである。「日本史」がもはや不可能になる時代を生きてる。
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