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第二芸術<桑原武夫>

■第二芸術<桑原武夫>講談社学術文庫 20100801
 「第二芸術論」は戦後直後に発表された。
 有名な俳人の俳句と素人の俳句をごちゃまぜに15句ならべて「さて、どれがプロの俳人のものでしょうか」と尋ねたら、よっぽどのインテリでも正解できない。「小説などの文学ではそんなことはあり得ない」。水原秋桜子が「俳句のことは自身作句して見なければわからぬ」と言うのに対しては、「小説のことは小説を書いて見なければわからぬ、などとは言わない」。俳句は普遍性のある「芸術」ではなく、同好者だけが特殊世界をつくり、その中で楽しむ芸事「第二芸術」でしかない、と説く。
 俳人は、芭蕉の形式を守りつつ芭蕉に還れ、というのに対しては、「およそ芸術において、天才の精神と形式を同時に学ぼうとすれば、精神そのものも形式化しマンネリズムに陥る」と一刀両断する。
 さらに、俳人が「さび・しをり」などと超俗的な教説をとなえる一方で、強力な勢力が現れると器用にそれになびき、強い風がすぎさるとまた超俗にかえる、と指摘する。その実例として、文学報国会ができたとき俳句部会のみ異常に入会申し込みが多く、戦争に協力した大家の多くが戦後にも第一流の大家として君臨している状況をあげ、「小説などの真の芸術の世界ではあり得ない」と批判する。
 千年の歴史を誇る短歌も「芸術」とは認めない。31文字の抒情詩は、世間を知らぬ青少年の思いを乗せるにはよいが、世界の複雑さを知りそれを表現するにはあまりに形が小さすぎる。作者の生活と作品とが過不足なくミートするには、作者が隠遁者でなければならず、短歌は生活を離れた作りごととならざるを得ない--と言う。

 筆者はなぜこれほど鮮やかに一刀両断できるのだろう。自らの審美眼への絶対的自信と、西洋哲学や芸術、デモクラシーという価値の絶対的基準を持っているためだろう。
 桑原の論を評して近藤芳美は「議論のいさぎよいまでの透明さ……戦後という、すべての澄み切った日本の歴史の短い一時期にだけ書かれ得たものなのだろうか」と書いている。

 西洋のデモクラシーを基盤にはしているが、日本的なものを全否定しているわけではない。
 日本は唯一神(ゴッド)を持たず、やおよろずの神であるが故に、価値観がふわふわと揺れ、でもだからこそ、なんでもしようなんでも食べようという進取の精神(加藤周一の言う雑種文化?)が旺盛で明治以後の躍進を果たす基盤となった。
 西欧におけるような、価値基準としての「伝統」は日本にはいまだ存在しない。伝統という言葉はトラディションの訳語であり、日本語の「伝統」は「カストム」に近い。日本に西欧的な「伝統」が育つとしたら、民衆のなかに無自覚的に受けつがれた知恵が「山びこ学校」のような形で自覚され、そこから地に足のついた生活理論というべきものができてきたときではないか…と期待する。
 生活綴り方運動や鶴見俊輔、さらには日本古来の営みのなかから知恵を抽出しようとした宮本常一らと重なってくる部分だ。

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□第二芸術
 ▽18 俳句を前にして、中学生のころ見た枚方の菊見に行ったことを思い出す。それぞれ苦心はあっただろうが、優劣をつける気も起こらず、ただ退屈したばかりであった。
 ▽20
 ▽26 芭蕉を崇拝しつづけたゆえに堕落した。およそ芸術において、天才の精神と形式を同時に学ぶことは許されない。かくするときは精神は形式に乗ったものとしてうけとられ、精神そのものも形式化する。芭蕉は西行、杜甫に学んだというが、それは別の形式であったために、精神のみを抽出消化せざるを得ず、伝統精神を採り入れつつもマンネリズムに陥ることを避け得たのだろう。芭蕉の形式を守りつつ、芭蕉に還れなどという以上、月並の発生は不可避だった。〓
 ▽27 さび・しをりなどという超俗的な教説をとなえる一方、強力な勢力が現れると器用にそれになびく。強い風がすぎさるとまた超俗にかえる。文学報国会ができたとき、俳句部会のみ異常に入会申し込みが多く、本部がこの部会にかぎって入会を強力に制限した。
 小説家にも便乗や迎合はあったが、そうした作家はすぐれた作品を書けなくなっている。小説という近代的ジャンルがそれを許さぬ……。俳壇においては、銀供出運動にあざやかな宣伝句を供出しえた大家たちが、いまも第一流の大家なのである。〓
 ▽30 俳句は、老人や病人が余技とし、消閑の具とするにふさわしい。小説や近代劇と同じように「芸術」と呼ぶのは言葉の乱用ではなかろうか。
 ▽32 日本ほど素人芸術家の多い国はないであろう。俳句を若干つくることによって創作体験ありと考えるような芸術に対する安易な態度があるかぎり、偉大な近代芸術のごときは正しく理解されぬであろう。
 成年が楽しむのは自由だが、学校教育からは、俳諧的なものをしめだしてもらいたい。
□短歌の運命
 ▽39 千年以上も和歌がつづいたのはなぜか。古来一定の「基本的体制」があるからだ。だが、芸術に一定の基本的体制があるということは、師伝的・模倣的となりやすく、近代芸術であり得ないということだ。
 ▽44 31文字の抒情詩は、社会の複雑な機構などを知らぬ、素朴な心が思いつめて歌い出るときに美しいが、世界を知ってくると、幅のあり、ひだのある、感動を歌うにはあまりに形が小さすぎ、何かを切り捨てて歌わざるを得ない。……作者の生活と作品とが過不足なくミートしうるには、作者が素朴な生活をもっているか、それとも隠遁者であるかが条件となる……短歌は生活を離れた作りごととならざるを得ぬのであり、社会的なことを盛り込もうとすれば、歌は乱れざるを得ぬ、というところまで来ているのではないか。(自らの感性や審美眼への自信〓)
 ▽49 
□良寛について
 ▽52 良寛は、どんな時代がきても純粋観賞にたえるだろう。……良寛は社会的なものとはならなかったけれども、彼の生活にはやはり古いものを破り、人々のあこがれのごときものに答えたところがあったのではなかったか。……良寛がいま生きていれば、カサブランカを見たろうし、ラジオで手まり歌を放送して子どもたちを喜ばせたにちがいない。この詩人の精神には新しいものをよせつけまいとする狭さのなかったことだけは確実だ。良寛をかついで今日のインテリをたしなめようとするのは、もっとも非良寛的なことである。

□ものいいについて
 ▽55 芭蕉の「ものいへば唇さむし秋の風」という句を私は好まない。ここには後悔と自嘲がある。反省はよいが、後悔は停滞していることである。自嘲は真の自己否定ではなく、あくまで自己に閉じこもりつつひがむことである。真の自己否定は新しい転機となりうるものだが、これには勇気がいる。ところが自嘲、ひがみは卑屈な生命の否定で、そこからは何も生まれない。(〓生き方と感性への自信。すっぱりと切る)
 ▽57 私は沈黙の偉人などというものを信用しない。不言実行という言葉もあるが、それが不言不実行にすりかえられていることが多いのであり、私は不言実行などという人より一言半行、いったことのせめて半分は必ず実行する人の方を重んじる。不言実行などというのは社会的な責任をとるまいとすることであって、政治的には封建制とつながる。われわれは今後、大いにものをいうようにしなければならない。
 ▽60 日本人の話し方にはユーモアがなさすぎる。ユーモアのある話のできる人は人生の宝である。お互いに話し方をもっと研究したい。……真によき社会を作ろうと思うならば、ものいいという一見些細なしかし本当は大切なことを、考え直す必要がある。もののいえぬ、ものをいうことの嫌いな人間の多いところでは、デモクラシーは健全な発達のしようがない。

□漢文必修などと
 ▽76
□みんなの日本語
 ▽84 チャーチルは、イギリス語がドイツ語にくらべて、習得に時間をくい、ひいては国力を弱めることをよく知っている。だからバーナード・ショウらの新綴字運動にも深い関心をよせ、英語簡易化について講演している。
 社会は能率のみで律するべきではないが、能率と合理化のないところに近代社会はない。

□伝統
 ▽95 伝統という語は、英語やフランス語のトラディションの訳語としておそらく明治年間に新しく造られたものだ。
 ▽104 日本での伝統という言葉は、西洋のトラディションと同じではなく、その領域のうちでカストムに近い部分のみをさし、理念に近い方の部分はわずかしか含まぬ。日本では近代化が中途半端で、伝統は、近代観念として、、個人の創意への対立物として出てくることができなかった。ただ明治のナショナリズムの波にのり、西洋ではトラディションというものがあるから、日本にもあってしかるべしというようなところから出てきた。
 農業中心の日本社会では、伝承尊重の念が根強くあり、そのまま肯定的に受け止めたものが伝統となっているから、西洋におけるように現実の反惜定としての理想主義という面をもった伝統主義は日本には存在しにくい。西洋ではトラディションとはカストムであると同時に、現実から離れた、何か高いものという含みがある。日本の伝統は無反省的伝承的なもので現実に密着していて、それは力強くはないが、はらいのけることのむつかしいものとしてある。
 ▽108 竹内好氏は、日本の革新の弱さは伝統の弱さだといった。その弱さとは日本のインテリにおける伝統の弱さであって、日本の民衆といった層には何か一種の頑固なものがないだろうか。それは一つの根強い、むしろ無反省的な生活力のようなものであって、それがもし生活の改善にともなって自覚され、もし地についた生活的理論ともいうべきものになりえたとしたら、そこにはじめて日本の伝統の基礎が生まれる、と考えるのは甘すぎるだろうか。「山びこ学校」のような子どもたちが、力強く成長してゆく以外に、日本に伝統の名に値する伝統はできないように思われる。(地に足ついた生活力を自覚し、理論化するなかで、本来の伝統ができる、という認識 生活綴り方や宮本の発想〓)

□日本文化の考え方
 ▽110 
 ▽120 日本では、なんでもしよう、なんでも食べようという精神が旺盛だが、それはある意味で子供っぽい精神です。進取的で生活力があるということでもある。兆民が指摘した日本人のこういう性質は、明治以後の躍進に深い関係があると思うが、この性質は、日本にはゴッドがいないところからくるのではないか。日本ではやおよろずの神様がたくさんいらして、その各々の神様の発言力はそう強くない。捨てる神あれば拾う神ありで、こだわらなくてもよい。
 ▽123 修学旅行 国民のすべてが、貧富に関係なく、いっしょに自分の国のあちこちを見て歩く。国民が自分の国の首府を見ている率をとったら、おそらく日本が世界最高です。〓。フランスやアメリカで、パリやワシントンを知っているかと聞けば、知らない人間がいかに多いか。
 日本文化の特色の一つとしての喫茶店。日本のようにこんなに安くて、コーヒーがうまくて、ゆっくりだべれ、こんなにも至るところにあるというのは、日本文化です。
 大衆向けの週刊誌も日本の発明。
 ▽125 軽佻浮薄性は、現実への適応性であり、頑固性がないということであり、みさおが乏しいということになる。

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