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真昼の暗黒<アーサー・ケストラー>

■真昼の暗黒<アーサー・ケストラー> 岩波文庫 20100813

 スターリンによって処刑されたプハーリンの裁判をモデルに書かれたとされ、オーウェルが「1984年」を執筆する際に参考にした小説だ。
 人々を幸せにするはずの社会主義がなぜすさまじいばかりの粛清を生んだのか。どんな理屈でスターリンの官僚は「粛清」を実行したのか……。
 英米人はソ連の民主主義のなさを批判する。それに対してスターリン(小説ではナンバーワン)の官僚は、民主主義などと言っていては国自体が滅んでしまう、国が生き残るレベルに達するまでは過渡的に独裁体制はしかたない……と反論する。
 まさにその理屈によって、ソ連はトロツキーなどの世界革命論を退け、全体主義国家であるドイツなどと一時的に手を握ってでも国の存続をはかろうとした。国内的には「鉄の規律」による独裁体制を敷き、トップの方針に疑問を差し挟む者は粛清された。
 プハーリン(小説ではルバチョフ)ら革命第一世代の多くはそうやって消された。そうした粛清を実行部隊として担ったのは革命第二世代の官僚たちである。
 第二世代の官僚たちは、ナンバーワンの言うことを盲信し疑おうともしない。疑いをもつ老リーダーたちを殺すことを正義だと信じた。

 ここまで考えると、程度の差こそあれ、日本の戦前に似ていることに気づく。
 明治の元老たちは天皇の権威を「利用」することで、日本の近代化をはかろうとした。天皇はあくまでも道具・手段だった。だが革命第二世代以降は天皇を神と信じた。第二世代は天皇を神として全面的に崇め、天皇の直接のシモベである陸海軍を軽視する、元老とそれにつながる保守主義者やリベラリストを敵視する。元老ら現実主義者の力と第二世代以降の天皇教徒の力が逆転したとき、日本は一気に軍国主義に走ることになった。

 ソ連を評価する多くの人は、レーニンはよかったがスターリンがダメだったと主張する。明治の日本はよかったが昭和のリーダーがダメにした、という論と似ている。
 そうではない。ソ連型の社会主義体制という中央集権型システムじたいに(明治につくられた天皇制国家じたいに)問題の根本があるのだ、という視点から切り込んでいる小説だと言える。

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