■菜園家族宣言 〈小貫雅男 伊藤恵子〉
家族はいわば細胞である。外から血液で栄養が運ばれ、細胞質内では生産活動も繰り広げられる。
ところが今、家庭のなかから生産の要素が消え、消費だけになってしまった。細胞質がひからびて細胞壁と核しかなくなってしまったようなものだ。これを復興するには、家庭のなかに生産・創造の要素を再生しなければならない。それが週休5日制の「菜園家族」である。週のうち2日間は賃金労働をして消費のための資金を稼ぎ、5日間は田畑などの労働を家族と共にいそしむ。
それを可能にするため、炭素税などで財源を確保し、それによって土地バンクをつくり、農業の研修などをほどこす。そういった菜園家族が増えればエネルギー消費も減り、温暖化防止にも寄与する--。
なるほどなあと思う。
過疎と高齢化に悩む田舎でも、まれに元気な地域がある。多品種少量生産で野菜や果物をつくり、自給するとともに直売所などで外に売り、現金収入を得る。それだけでは現金が十分とはいえないが、かつて役場や会社につとめていて厚生年金などを受給していれば十分食べていける。年金受給の兼業農家、とくに女性は実は元気なのだ。1人あたり月10万円の現金収入と、1,2反の畑があればそれなりに豊かに暮らせることをこれらの事例が示している。
でも圧倒的多数の農山村の集落は、そんな「元気」はない。その差はどこから出てくるのか。「あきらめない」文化や、土とともに働く喜びを感じる文化の有無がその差であるような気がする。
あきらめない地域の典型的な例がたとえば雲南市木次町の日登地区にある。
戦後直後、加藤歓一郎という熱血教師が「生活綴り方」と「生産教育」を根付かせた。働くことに喜びを感じる子を育てる。単なる農作業だったら家でさんざんやらされている。そこには「慣れ」はあっても創造はない。加藤が教えるのは、いかに工夫して創造力を働かせてよりよいものをつくるか、という技術と態度である。生活のありのままを描き、問題点を抽出し、それを課題として改善に取り組むという「生活綴り方」も、そのためのツールだった。
「生活綴り方」によって問題点を掘り起こすだけに終わった無着成恭と異なり、発掘した問題点を解決するための「生産教育」に結びつけ、学校卒業後の青年を対象にした「社会教育」にも力を入れ、「全村教育」の体制を加藤はつくっていった。
加藤の目指した豊かな農村の夢は、高度経済成長によって一度は破れたが、教え子たちが定年を迎えはじめたここ10年ほどでまた見直されてきた。「土と働く喜び」「たえず前向きに改良する楽しさ」を植えつけられた世代の人々が今、農産物直売所や地元野菜を使った学校給食などを通して独特の明るさをつくりあげている。
「あきらめ」「さだめ」に沈まない地域をつくる基盤には「土と働く喜び」、生活のなかで何かを創造する喜びがある。それを実感できる人間は強い。
高齢者がもつ技術や伝承や文化をじっくり聴き取り、再評価し、学ぶなかで、地域の高齢者が「お荷物」ではない生産者・創造者としての誇りを取り戻し、それを次世代に伝える……そんなサイクルをつくりだす必要がある。
「生産教育」以外に「あきらめ」を克服する文化はないかなあと考えていたら、四国遍路の文化が頭に浮かんだ。遍路道の沿道は過疎地ばかりだけど、ほかの地域に比べてなぜか人が開放的で明るいような気がする。
ずっとずっと昔からお遍路さんという「他者」を受け入れてきた土壌がその明るさの背景にあるのではないか、と、ふと思った。閉鎖的で外との交流のない農村は、たとえば近親結婚が増えて衰退する。そこまでいかなくても新しい技術を取り入れる機会がなければ貧しいまま先細りするしかない。豊かな地域は絶えず外に向かって開かれていて、他者がもってくる思想や技術に対してオープンだったはずだ。遍路道は近代以前は「情報ハイウェー」だった。細胞を生き生きと生かすには外から巡ってくる新鮮な血液が必要なのと同様、あきらめない地域を持続するには「外」との交流が不可欠なのだろう。
「あきらめ」という名のガン細胞によって破滅するのか、それとも今もわずかに土中に残る「根っこ」を再生し豊かな農山村を再興できるのか、日本の山村は、ぎりぎりの競り合い状態になっているように思えてならない。
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