■日本の行く道 <橋本治> 集英社新書 20100630
▽今の日本はおかしい、と、老人だけでなく、一線の人が考えるようになった。「疎外感」それは格差の表れ。
▽43 昔のいじめっ子と今のいじめ。昔のいじめっ子は、孤立した存在で、家庭環境などの事情を抱えているが故に問題行動を起こした。だから昔のいじめっ子には子分はいても友だちはいない。
今「友だちの外」に置かれるのはいじめっ子ではなくて、いじめられっ子です。「いじめっ子」は、国境を越えて侵略して来る敵ですが、「加害者になった友達」は、国境の内部にいる「敵にあらざる敵」。
▽75 「学校なんて、どうでもいい」という前近代的な親は、高度成長で団塊の世代が受験戦争を繰り広げるようになって消滅し、「学校は、上級学校に進学するためのステップ」という理解が親たちに訪れる。「進学」を「親の責任」と理解する。
▽85 いじめっ子は近代に取り込まれた前近代。学校という近代になじめない子は、自分達の前近代社会を作って、そこで「いじめっ子」になる。そういう形で自分達の時間をすごし、時が来ると、「大人の社会」に入っていく。それが「不良」と呼ばれる人達のあり方だった。だからいじめっ子は、小学生の年頃であるのがフツウだった。
▽87 「不良」が消える。「学校の外で過ごす成長の時間が消えてしまった」ということ。「不良」は学校に属しつつ、その活動の場所を「学校の外」に求めた。「学校の外」で生きていたからこそ、彼らは「社会人になる」ということを可能にした。
▽98 1985年、首相が「国民1人当たり100ドル相当の外国製品購入を」、つまり、「年間2万円の無駄遣いをしよう」と言った。長い歴史のなかで、「余分な金をつかいましょう」などという指示が下ったのは最初で最後。「教育の外にあって教育を動かす要請となるような社会の変化」
▽101 受験勉強の強制への反発が、70年代末から80年代までの暴力性。昔の子が「勉強しろ」に耐えたのは、勉強しなければと感じさせる「貧乏」が生活を取り巻いていたから。70年代に入って貧乏がなくなり「なんで勉強しなきゃいけないの」という疑問が浮かぶ。子どもは暴力的になり、豊かになり、「そんなにうるさいことを言わなくてもいい」となり、子どもは自由に暴力的になれる。……80年代のツッパリの時代が暴力的でありながら不思議に明るい騒々しさに包まれていたのはこの「自由」ゆえでしょう。
▽105 自殺
▽117 「自立=自己責任=こっちは知らない」という形で流布させてしまったのが、「自立という言葉に関する悲しい現実」。「自立しなさい」で子どもが育てられてしまえば、子どもは「なんにも分からないまま」でも、「大人」になってしまう。世の中が、その程度の「促成栽培の大人」でもかまわないということになっていたから、これで通った。
▽140 「産業革命前にもどせ」 1960年代前半にもどったら? 日本で「ビートルズ風の長髪」や「ミニスカート」が大流行するにはまだ間がある。……日本に「若者文化」が定着しちゃうと、若者が大人にならなくなる。そうなったら手遅れだから、その前で時間を止めた方がいい。
▽145 日本から超高層ビルをなくしたら…… なくすことで、1960年代前半の外観を得られる。……オフィスを地方に移す……人口を地方に拡散。
▽151 多くの企業が地方に移転する。……
▽155 中国は農薬を洗い流さないと野菜も食べられない。1960年代の日本も、「食器や、野菜果物洗いに」と中性洗剤の利用を呼びかけていた。
▽169 日本が産業革命を達成したのは「近代化」を選択したから。開国を選択し……
▽173 薩長は、欧米との戦争に敗れる。負けたから近代化をして、幕府より強くなった。
▽178 1980年代、経済戦争に勝った「世界の勝者」だった。だが日本人はそれが「戦争」と思わなかったから、勝者になった、という実感はなかった。本来戦争に勝った場合、勝利宣言をして戦争を停止し、敗者になった戦争相手の処遇を考えるべきだった。「この先の世界はどうあってしかるべきか」という提言があってしかるべきだった。だが日本は何もせず、なんでも買いあさる成金となった。
バブルがはじけ、敗者に転落する。80年代に敗者へ転落したアメリカは、コンピューターと「資本」を武器として新たな経済戦争の勝者となるべく攻め寄せてくる。
▽187 天皇に総理大臣を推薦する元勲というシステム。「我々が、いやだ、と言ったらダメ」というシステムが議会開設の前に出来上がった。薩長の権力者による総理大臣の私物化。
▽191 官僚は元勲に忠実。戦後も、元勲は重臣会議を経由して「密室での総理決定」に受け継がれ、それを支える官僚のあり方は変わらなかった。
▽212 江戸時代の日本は工場制手工業の段階になっていた。その経営者に産業革命を実現しなければならない必然性はあったのか? なかったから、明治政府は自分達で金を出して官製工場をつくった。
▽215 世界に冠たる町工場。地場産業の基本は江戸時代につくられた。各藩の殖産興業として。この地場産業は工場制手工業。だから各地の製造業者は、その後も若干の近代化と機械化を導入して、「昔ながらの」を売り文句にする形で生き残って行けた。日本の産業の「近代化」はその程度で十分だった。「世界に冠たる町工場」と言われる零細企業の規模を、江戸時代の以来のマニュファクチャーの規模と考えればよい。
▽218 「優秀な職人が多くいれば産業革命の機械化をする必要なんかない」という発想もあるが、こうした条件こそが、経済戦争の勝者たらしめる原動力になった。大量生産が可能になっても、それを「よりよい」レベルに引き上げるのは、機械では不可能。人の力や意欲が「レベルの引き上げ」を実現する。日本の原動力は、「物を作り、さらに良い物を作ろうとする職人・職工のレベルの高さ」。だからこそ「江戸時代に確立された工場制手工業という基盤」を重要視する。
▽227 「職人レベルの高さ」が、産業革命の達成を必要とする国家のあり方と結びついて、「経済戦争に勝つ」ことになった。そして空しく消えた。が、空しくなったのは、「国家」の方で、「そこまでしなくていいんじゃないの」と思っていた「民間」の方は行きづまってはいない「必要なものを必要なだけ作る」方向は行きづまっていない。
▽232 家族崩壊 システムの大切さ
▽235 「家族が家から出て行く」が許されると「家」は崩壊する。終身雇用も、好景気のときに、社員の転職が自由に怒るようになったから、というのがきっかけで崩れてきた。だから親=会社の方が「もう終身雇用の時代じゃない」と追認した。
▽237 終身雇用は、最近できたきた形。「順調な会社経営の末に、社員の終身雇用=社員の長期的な安定は可能になった」という「幸福の形」を作った。「終身雇用」と「家族的」は、結果として結びついたのであって、「終身雇用」と「家族的」が、その初めから結びついていたわけではない。
▽250 日本の社会が豊かな時に「転職の自由」は起こって、終身雇用制は崩れる。でもそうなる前に「外の豊かさ」が希薄になり、「あまり豊かでないから、もう終身雇用は成り立たない」になってしまう。「豊かさ」がそれを可能にしたのに、いつの間にか「貧しさがそれを強いた」に変わる。その点において、日本の農業のあり方は、企業社会のあり方の先を行っている。
▽260 「機械化」が可能にした生産は、どんどん人件費が安い国に向かう。「物を作っていた人間」は消費にまわり、エネルギーを別の形でどんどん消費して、「地球の危機を加速させる」ことをしながら、生産の拠点は地球を1周して「かつて先進国だった所」に戻ってくるかも。その時には、「人から機械の扱い方を教えてもらえないとなにも出来ない人間達の国」になっていて、人件費だって安くなっているのでしょう。人件費が安くなっていなかったら、「なにも出来ないくせに、こんなのつまんねー、と仕事を辞めてしまう人間揃いの国」になっている、どこかの国のように。
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