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米原万里を語る <井上ユリ、小森陽一、井上ひさし、吉岡忍、金平茂紀>

■米原万里を語る <井上ユリ、小森陽一、井上ひさし、吉岡忍、金平茂紀> かもがわ出版 20100412

 妹の井上ユリは井上ひさしの奥さんで、小森陽一はチェコのソビエト学校以来の弟分で、吉岡忍は兄貴分で、金平茂紀は弟分。義理も他人も含めた兄弟妹が、米原万里を語っている。
 父は戦中から共産党で地下活動をして戦後はいち早く代々木に駆けつけて議員もつとめる。1949年の選挙では、鳥取の名家だったから共産党なのにトップ当選した。共産党の活動家というイメージと異なり、「面白い昔話」をたくさん子どもに話して聞かせていたという。小森陽一は「日本の近代に失われつつあった口承伝承の文化的系譜が、米原家ではきちっと受け継がれていた」と書く。
 ソビエトの小学校は、1年生の教科書でも本格的な論文やエッセーがのっている。最も優れた文章を小さいときから読ませ、暗記させる。それによって、小学校のうちから最高水準のロシア語が頭に入ってくる。だから帰国後の日本の学校の授業はつまらなくてしかたなかった。でも、日本にもかつては漢文の素読という教育法があった。わけがわからなくても、最高のものにふれさせる大切さを、日本の教育は忘れいている。
 たぐいまれな家族と、ソ連型の創造力をのばす教育が米原万里をはぐくんだ。
 そんな彼女は、好き嫌いが明確で、何か思い詰めるとすべてを忘れて集中し、怒りも喜びもストレートに表現した。
 イラク戦争時、アメリカでは同国人が人質になると所属企業や組織が解放のためのあらゆる努力をしていた。ところが日本人の人質は「非国民」扱いされ、「救出するのに税金を使うなんてもってのほか!」と政治家も発言し、あげくの果てに飛行機代金を払わせた。金平はその恥ずかしさを米原さんと共感し、2人の対談をメディアに載せたという。
 ソ連の全体主義体制を徹底的に批判しながら、その教育やバレエなどの芸術のよさを評価する。かといって中庸にとどまるのではなく、自らの良心に従って行動する。
 「災害や災難に翻弄されながら、しかし、必死に、ひたむきに生きよう、生き延びようとする人間のなかにある小さな輝き、それを描くことが、結局、人が人として生きていく希望につながっていく。米原万里さんが書かれた小説はそういうものでした」という吉岡忍の言葉は米原の小説「オリガ・モリソヴナ……」の価値を最も的確に表現しているような気がした。
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▽87 吉岡 世界各地の被災地の表現者と話していて共通だったのは、災害から立ち上がり、生き直していくとき、そこには必ず何らかの作品があり表現がある。歌だったり絵だったり短歌や俳句だったりしますが、そういうものなしには人は無力な存在であるところから立ち上がることができない。そういう表現によって、再び人間は人間であることに目覚め、回復していく。どんな国のどんな災害であっても、そのことに変わりがない……(ハイチの絵画は?〓)外からではなく、内側からその表現を出していくことこそが、力になる。
▽107 金平 観念的な言葉を若い人は信用しなくなってきていて、「平和」「自由」「改革」という言葉に拒否反応を示す。……それにとって代わってきているのが、自分の半径1メートルくらいでしか通用しないような「うざい」「むかつく」「めちゃかわいい」など、感覚語になってしまっている。そうするとロジカルに物事を考えたり、理非を考えたりすることが出来なくなってしまう。

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