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無所属の時間で生きる<城山三郎>

■無所属の時間で生きる<城山三郎>新潮文庫 20100411

 そろそろ無所属の時間を考えなければいけない。定年になる前に「無所属」になりたい。できたら1,2年うちに。そう思いながら現実的に考えると不安も大きい。所属がないことに不安を覚えるようになったのはいつからだろう。すっかり会社員根性に汚染されたなあ……。この本は、そんな気持を解きほぐすきっかけになるだろうか。
 筆者は大学教員を30代半ばでやめてフリーになった。これほどの作家でも不安が募ると「なぜ退職したのか」との悔いが顔を出したという。
 広田弘毅の話を執筆しているときは「宙をつかむような頼り無い感じ。仕事の積み上げによって打破する他はない」「椅子にいかにじっと坐って居られるかが勝負である」と自ら言い聞かせた。これほどの大作家でも方向性が見えないときは不安になる。そんなときは「積み上げる」しかないというのも、ぺーぺーだろうと大作家だろうと同じなのだ。
 無所属になり、枠からはみ出して自由に生きられるのはよいが、はみ出したままとめどがなくなり、本体がなくなってしまう心配がある。だからどこかで「枠」をつくらなければいけない。筆者は家の近くのマンションに仕事場を設け、9時から13時まで原稿書きに集中。食後は30分ほど休み、それ以降は資料調べや下書きづくり、エッセイなどを書く。夕食後、ベッドでは仕事とは無関係の本を読むという。
 「外れが当たりになる」経験を城山は何度も書く。。最大のマイナスだった軍隊経験が、組織に入らず軍隊経験と後遺症を時代の証言として書き残すことにつながった。どん尻つづきの騎手は「素晴らしいことでした。私にはレースの全貌が見えたのです」ととらえ、いつかトップに躍り出る。不遇続きのなかでもくじけることなく、何か心がけてさえいれば、いつか一直線に駆け抜ける日が来る--という事例をいくつもあげる。「何か心がけてさえいれば」というのが大事なのだ。
 「この日、この空、この私」と何度も記す。がん宣告を受け、死を覚悟したとき、「病室の窓から見下ろす街ゆく人々が、どの人も幸福に輝いて見えた。生きているそのことだけで十分に幸福なのに、なぜ俺だけがと、無性に口惜しく、情けなく、腹立たしかった」。それ以降、なんでもない1日こそかけがえのない人生の1日であり、その1日以外に人生はないと強く思うようになった。明日のことなど考えず、今日1日生きている私を大切にしよう、と。ただ、「しっかり生きた」と毎日思えるほどしっかり生きるのは難しい。 
 --1日ひとつでも、爽快だ、愉快だと思えることがあれば、それで「この日、この私は、生きた」と、自ら慰めることができるのではないか。「一日一快」でよし、としなければ。……どう見てもよいことがないというなら、晩餐後に寝そべって好きな本を読むことである--
 城山三郎の人生に対する深い洞察とやさしさがにじみでている。

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 ▽日本で一番いそがしい財界人が幾日か出張するとき、空白の1日を日程に組みこんでいた。肩書きをふるいおとし、どこにも関係のない、どこにも属さない1人の人間として過ごした。

 ▽花王の中興の祖といわれる丸田芳郎氏は……2つのことを訴えた。会社の仕事とは別に、何か研究なり勉強を生涯持ちつづけるようにすること。電話で済まさず、必ず手紙を書くようにすること。電話はうわのそらでも掛けられるが、手紙は相手の人のことを思い浮かべないと書けない……

 ▽永井龍男さんは、旅先の地方紙などで興味をひく事件や人の記事が目に付くと、次の日早速、その現場を訪れてみる、ということだった。とにかく骨惜しみせず、歩き出して考える。歩いて行って考える大切さ。(〓内子のブルーベリーの話、いいなあ、と思いながら行けない、という繰り返し……ではダメだ)

 ▽経済誌の編集長をやめた親友は、肩書きのない身になっては、昼間、企業を訪問することができず、夜の酒食を伴う取材が多くなった。……伊藤肇。彼が信頼できる若い書き手として佐高信の名を私に告げた。
「もう、きみには頼まない」
池澤夏樹「むくどり通信」
松下竜一「潮風の町」(講談社文庫)

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