角川 20091120
人間は困難な状況に直面したとき、自分の世界を狭めるもの--という指摘はドキリとさせられた。しんどくなって人間関係を狭めてしまうのは病んでいる証拠なのだ。
健全な人は、自分の世界が広がっていく人であるという。でも、しんどいときに世界を広げようとはなかなか思えない。どうしたらいいのか?
まわりの人が自分に何を期待しているか、どんなふうに必要としているか、という仕方で自己をとらえるのだという。「自分が何をしたいか」ではなく、「自分は他人のために何ができるのか」と考えること--。それによって、「自分」の枠を乗り越えて一歩ひいて俯瞰し、他者とつながることができるのかもしれない。近代的「自我」ではなく構造主義的な人間観と言えばよいだろうか。
自分が世界に受け入れられたという確信を持てた特権的瞬間が人生のどこかにあれば、そのときの身体感覚を絶えず参照して生きているから、社会的評価みたいなものにあまり囚われない--という指摘もよくわかる。
20歳前後のとき「これこそ自分の生き甲斐だ」と、この社会で自分が果たすべき役割を悟ったような気になったことがあった。世の中が急に見えたような気がした。それは幻想にすぎなかったが、よくよく考えればあのときの「悟った」感覚があるから、他人の評価をそれほど気にしないですむのかもしれない。
ペンディングする能力、精神的な中腰の姿勢に耐えられる余裕が大切だというのも、なるほど、と思う。結論がでず保留のまま待ちつづける生殺し状態はつらい。取材しても取材しても書く方向性が見えないときも同様だ。そんな状態で待つ能力、保留しておける能力は、周囲の人々にも安定した気分を与えてくれるという。
===========抜粋・メモ===========
▽31 人間は困難な状況に直面したとき、自分の世界を狭めるもの。健康なときなら全世界を相手に生きられるが……一番小さなところまでキューッと絞る「とりあえず病気のことを考えよう」とわかりやすい解決法に飛びつく
▽52 健全な人というのは、自分の世界が広がっていく人。まわりの人が自分をどんなふうなものとして受容しているか、何を期待しているか、どんなふうに必要としているか、という仕方で自己をとらえるというのが一番たしかな自己把持。……自分がこれがしたい、ということは一生懸命言うんだけど、「自分は他人のために何ができるのか」という問い方は思いつかない。でもそういう問いを自分に向ける習慣のない人間は、社会的にはほんとうは何の役にも立たない。
▽66 春日の本「幸福論」〓。精神的に健康でいられる条件のひとつは秘密を持てること。逆に秘密をもてなくなった状態が、たとえば統合失調症。自分の中身のすべてが筒抜けになっていくという恐怖が妄想というかたちで出ている。
▽72 人が人と話をするのって、自分が何を言うかわからないからでしょ?
▽87 教務部長になって雑用が増えた。だから発想を変えた。「ぼくはサラリーマンだ」と考えれば、重役出勤でいいし、会議も1日に2,3つだし、残りは教室で授業したり好きな論文を書ける……と思える。
▽99 変人というのは最初からマジョリティの端っこにいる。群れの中にはいるけど、いつでも逃げられるように端にいる。組織の甘い汁は吸わせていただいて、組織がばらけそうになったら三十六計……
▽106 ランナーズハイのような多幸的体験。(ベランダでトルストイ、台風の後の河川敷……、)
▽171 明治人は早口。
▽199 どんなサラリーマンだって、原理的には自分が仕事をして稼いでいるカネよりも少ない給料しかもらっていない。
過小評価されて苦しむ人は、「正味の自分」というものを把握できていない。自分が世界に受け入れられて、世界の一部をなしているという確信を持てた特権的瞬間が人生のどこかにあれば、そのときの身体感覚を絶えず参照して生きているから、社会的評価みたいなものにあまり囚われない(〓学生の悟り)
▽225 人間が精神的に健康である条件 ・自分を客観的に眺められる能力 ・物事を保留しておける能力 ・秘密を持てる能力 ・ものごとには別解があり得ると考える柔軟性。
ペンディングする能力とは精神的な中腰の姿勢に耐えられる余裕。保留して待ちつづけるとき、生殺し状態にされる。未来は不透明で曖昧となる。不条理感が立ち上がる。待つ能力、保留しておける能力は、本人のみならず、周囲の人々にも安定した気分を与えてくれる。
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