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日本 根拠地からの問い<カンサンジュン、中島岳志>

毎日新聞社 1091031

 神風連の乱や西南戦争は、不平士族の反乱と言われるが、「国家」による支配に対するパトリの反乱という側面があるという。この反乱で失敗したことで、武力闘争の道は閉ざされ、自由民権運動が生まれる。
 さらに一見、左翼的運動に見える自由民権運動から、伝統的右翼が生まれる。これは「パトリ」の文脈であるから、どろどろした情念のようなものがある
 一方、二二六事件などを起こす革新的右翼は、「国家」を重視する。ナショナルな視点から改良運動であり、実は左翼の思想と同型である。だから北一輝は戦後も左翼の一部に支持された。さらに、国家社会主義的な右翼が戦後の社会党の一部をつくっている。
 戦後の良質な保守の源流は、都会の「すれっからし」である。国家を変革するなど不可能だと考え、よりよくやっていけばよいと考える。夏目漱石も大正デモクラシーの吉野源三郎も吉田栄作、石橋湛山などはこの流れだ。彼らには思想の「体系」がないプラグマティストだから書いていることはおもしろくない。が、筆者2人はこの流れを支持する。
 パトリへの愛着が、ナショナルなものに収奪されることで、ファシズムが生まれた。ナショナルに収奪されないパトリのあり方を考えないといけない。
 コミュニティが破壊され、個々人がバラバラになってきた今の時代こそ、ナショナルではなくパトリを再生する必要がある。それはおそらく国や地域の多様性を保証するものであり、ナショナルの枠をこえ、東アジア共同体的なものにつながっていく可能性ももつ。
 青年団運動の「愛郷心」が実は町おこしの種になっている。愛国心と同一視すると一見危険に見えるが、そうした愛郷心こそが、絆を再生し、ナショナルに対抗できる拠点になりうるのではないか……。そんなことを思わせられる。
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 ▽28 かつては民衆の側に立つ勢力だった右翼も、親米保守みたいな方向で倒錯している。「アジア主義を思い出せ。痛めつけられているイラクの同じアジアの民と連帯せよ」!一水会あたりはそういう思想があるけど。それこそ、真の弱者連合・連帯としてのアジア主義があるはず。農本主義(反都会、反資本主義)でもいいが。
 ▽39 熊本 神風連 横井小楠から徳富蘇峰への実学党の近代的ナショナリズム 池辺三山のような学校党は大正デモクラシーにつながる保守リベラルを用意した。官僚やエリートを育てた5高。前者3つには、「熊本的」とでもいうべきドロッとしたエートスが通底する。熊本ってそういうエートスが簡単には国家に回収されないでいる。(〓出雲に似ている〓隠岐独立の感覚)独特のパトリオティズムがある。
 ▽42 東京が栄えれば熊本も栄える、という、国家の隆盛と地域の隆盛がハーモニーを描いているような錯覚(秋山兄弟)。それが、九〇年代になって「フィクションではないか」という声がでてくる。07年の参院選はいわばそうしたグラスルーツの「保守」の反乱だった。
 つまりもう1回、パトリの時代が来たんじゃないかと。国家って何だという疑問、あるいは「東京がなんだ」みたいな気概がまた出てくる可能性がある気がする。〓(ただし、過疎で人がいなくなってしまっている……〓)
 ▽57 熊本の歴史はまさに反ネオリベラリズム的。「金儲けしている奴は偉い」だなんて、思っていない。この反ネオリベラリズム的思念があふれだしてアジアと連帯していこうとする。そういうエートス、基盤がある。玄洋社的なるものから谷川雁のサークル村〓までつなぐもの。
 熊本の歴史は、そういう反逆がひとつずつつぶされて、官の側に「お国」に表向きはつながっていく。でも通奏低音としてはずっと流れている。
 ▽67 たとえ戦前であっても、もし9条があったら天皇は軍服を着て、軍人のシンボルになったりはできなかったんじゃないか。つまり9条を平和・戦争だけでとらえず、第一条との関係で議論する必要がある。
 左翼は天皇制廃止論を唱える人がいるけど、「天皇なき国家主義」に行っちゃう可能性がある(安部が大統領になったら……)。立憲君主制がなくなると、野放図な国家主義が膨張する可能性がある。
 ▽78 今の右派には「国を愛するためには郷土を愛すれば」という暴論がある。それを討たなければならない。むしろ今は連続するどころか、場合によっては鋭利に対立しなければならないことが見えてきた。そんなときに「美しい国へ」が出たことは、非常に逆説的。ああいうものに対抗するには、パトリの論理と心情の井戸を徹底して掘ってみるしかない歴史的に掘り下げるしかない。今の熊本は、グローバル化のなかでやせ細る1地方都市にすぎないが、井戸を掘ることで、国家主義やグローバル化の国家を討つ重要な拠点になるのではないか。戦後、これほど国と地方が肉離れを起こしている時代はない。
 ▽85 ナショナリズム論 アンダーソン「ナショナリズムは古来から続く原初性に基づいているように見えても、実は近代産業社会によって構成された新しい現象。出版資本主義の発達によって構成された新しいもの」
 アンソニー・スミスは連続性を強調するが、エトニー(神話や記憶、価値などの複合)がない場合はそれが偽装される、と書いている。上からのナショナリズムが、血とか土とかパトリとか、本当に身体的な、原初的なアイデンティティと関わるものを偽装する。ネーションがパトリを偽装する。
 ▽101 地方の右翼的エートスは西南戦争の敗戦で挫折。武力では藩閥政治に対抗できないとなり、この流れが自由民権運動に引き継がれる。九州で民権運動を担ったグループのひとつが玄洋社。武力では国家にかなわん、言論で人民のエートスを掬い上げようと、頭山満らは板垣退助らとつながっていく。
 パトリからステートを批判するという流れが、日本の右翼の源流。これは自由民権運動から生まれた。頭山らが抱いた弱者・人民の連帯という発想は、朝鮮半島に目を向け、そこで苦しんでいる人と連帯しようと考えた。だから、金玉均や孫文を助けた。
 アジア連帯とアジア侵略が紙一重。「右翼が出てきて侵略をした」というほど単純なものではない。
 ▽112 頭山満には国家構想や政治体制へのビジョンはない。国家中心にいくのは恥ずかしいことであり、政治体制をつくるなんておこがましいという発想がある。大川らの段階で、主知主義的なものがあらわれ、それがレーニン主義にひかれ、国家改造右翼、昭和維新にいたる。近代主義的右翼。人間が主知的に歴史を設計できると発想し、バルタイ(党)を通じて実現するという社会主義も近代主義の極端な変種。
 それに対抗しえたのが、長谷川如是閑ら保守リベラル〓。彼らは究極のよい社会を人間理性で作るなんてことを疑っていた。哲学体系はないし、理想もない。だから思想としてはおもしろくない。「ああいう戦争をやったのは、社会主義かぶれの国家主義エリートじゃないか」という感覚。彼らは「俺たちは転向していない」という感覚。
 ▽148 06年8月に小泉が靖国参拝する前までは7割が反対だった。参拝直後は7割賛成になった。ここで動いた4割はものすごくグロテスクな層。保守とは、他者との価値の葛藤に耐えながら合意形成のプロセスを重視するから、熱狂を嫌う。だが、いま保守的なものを支持している層は、熱狂した大衆。
 ▽150 東京市電が値上げするだけで、暴動を起こすほど利害に敏感だった人たちが、自分たちの国が破滅するかもしれない「大東亜戦争」を歓喜の声で迎えるようになった。「~からの自由」を推し進めた結果、アトム化した個人が生まれ、孤独になり不安になる。究極的権威を求めてファシズムにすがる。自由を求めようとして逆説的に自由から逃走し、権威主義体制にはまる。〓
 ▽166 保守リベラルの発想は徹底してプラグマティック、すれっからし。漱石も。一方、ロマンティッシュに悩める青年は反転して国家主義につながる。
 戦後保守思想もほとんど文学とその周辺が担ってきた。理性を疑い、人間の悪を直視する。
 ▽169 亀井勝一郎は転向組。三木清も最後は親鸞。マルキストは宗教的なにおいのあるところへと最後は戻りがち。場合によっては天皇にいく。私小説批判の小林秀雄らは、ぶれずに最後までいった。
 日本では保守思想を社会科学が担ってこなかった。社会科学や哲学などから厳密な学として出てくるはずのものを文学が担っていた。
 ▽171 ウルトラナショナリズムや観念的な左翼革命論がでてきたりするとき、保守の定点、しっかりした足場が必要なのでは。漱石も最後はそこに足場をつくった。
 ▽179 岸は北一輝にほれこむ。社会主義、国家主義論者。岸は、国家という管制装置をどうやって秩序の拠点におくかと考えた。バルタイの問題が大きいという点でも左翼臭さがある。

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