MENU

クライマーズ・ハイ

 横山秀夫 文春文庫 20060805

 文句なしにおもしろい。元上毛新聞記者だけあって、新聞社と記者の生態を余すところなく描いている。
 主人公は群馬の「北関東新聞」の40歳の記者である。
1985年8月、地元出身の中曽根首相が靖国公式参拝をするか否かが焦点となり、農大二高が甲子園で快進撃するなか、日航機事故が起き、日航機事故の「全権デスク」に任じられる。


 事故を報じる新聞社の現場と、17年後の谷川岳での風景が交互につづられる。
主人公の子ども時代の不遇な過去と、その尾をひきずっているかのような息子との確執もちりばめられる。
複数の時間軸が織物を織るかのように同時に進行していく。
 事故が報じられたとき、だれもが「墜落場所は県外であってくれ」と念じる。
群馬に墜ちたことがわかったとき、「もらい事故だ」「他人事だ」と反応する。
そんなときの細かな描写も新聞社にいた人間にしかできまい。
 40代50代の部長や局長は、大久保清の事件と連合赤軍事件を経験したことを最大の誇りにして「もうこんな大事件は群馬ではおこらない」と後輩に自慢してきた。
日航機事故という世界最大の航空機事故が起きたとき、彼らの「誇り」は一気に失墜することになった。
だから、若手記者が事故現場でものにした迫真のルポを切り刻み握りつぶす。
 こういう醜い事態は、あちこちのマスコミでもみられる。たとえば大阪では、「グリモリ」と「イトマン」がそんな存在だったと誰かが書いていた。
その報道に従事した人間は、後輩がものにした情報について「グリモリに比べれば」と軽視し、ときにスポイルすることもあったという。
 主人公も当初は「もらい事故」に対してエネルギーがわかなかった。
部下が書いたルポを上司にボロボロにされ、上司と部下との間で板挟みになる。
部下の信頼を失い、家では息子に嫌われ……、心がささくれだっていく。
 だが、遺族と接したのをきっかけに、「書くべきもの」を見つけ、地方新聞の使命を自覚する。
「新聞紙ではなくて新聞を作りたいんだ」と上司と何度もぶつかり、つかみあい、その結果、「社をやめるか、それとも山のなかの職場で一生すごすか」と選択を迫られる。
 出世の道は断たれるが、部下の信頼を回復する。
 くも膜下出血で倒れた同僚の子どもとの交流によって、息子との絆も少しずつ回復していく。
 そして最後、谷川岳の最大の難関という岸壁を、亡くなった同僚の息子とのぼり……
 精緻な描写と構成に舌をまくが、同時に抑えた筆致の下から筆者のあたたかさがにじみでてくる。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次