みずのわ出版 060803
宮本常一が残した膨大な写真をもとに、その写真の舞台を再訪し、その写真に載っていた人や、ゆかりの人々の話を記者が聴いてまわった記録だ。
新聞の文章だけあって舌足らずな表現や、体言止め、情景描写が定型的すぎるところなどは気になった。林業衰退や水産業衰退など、型どおりの分析や感想で終わってしまっている部分もないではない。でも、1枚の写真をもとに、「ニュース」もない場所の名もない人たちを訪ね歩く記録は興味深かった。
なにより、「ニュース」に追い回されてものごとの表層しか取材しないことが多い新聞社が、地道に庶民の生活の場まで記者が足を運んでいるのが好感をもてた。
こういう記録がたぶん30年50年たつと重要なものになるのだろう。
でも実は、本文以上に役立つのが巻末の索引だろう。
▽対馬市上県町佐須奈 舟グロー 昭和30年代に一度姿を消したが、平成3年に上県町が復活させた。だが04年、合併による対馬市の事務見直しで廃止された。〓
▽対馬の小値賀 道路の中央部だけコンクリート。雨のなかを歩いて登下校する子どものために、柳郷と笛吹郷の住民たちが力をあわせて工事した。
▽山口県柳井市 アーケードの銀天街「柳井銀座」と呼ばれた。宮本は「地方に行くほど銀座が多い。涙ぐましいほど中央追随の姿である。……地方都市の自主性を失っていくようである」 アーケードは今は完全にすたれてしまった。一方、この時期に閑古鳥の鳴いていた一角を宮本は激賞した。白壁の町並だった。宮本たちの情熱によって、地域の人たちに町並保存への意識を芽生えさせた。
▽種子島の西之表 宮本「島の生産を高めるには、サトウキビを島内で加工すべきである」種子島の製糖産業は成功と評価していた。
▽唐津市相知町 温州ミカンの行く末に関する限り、宮本の予想は悪い方に外れた。04年、旧相知町には17ヘクタールしかミカン園は残っていなかった。