朝日新聞出版 20090320
村上春樹が「ノルウェイの森」を書き、大江が村上の非政治性・社会に対する受動的姿勢を批判してから「大江か村上か」という構図が世間で明確になった。
筆者はしかし、大江と村上の類似性に焦点を当てる。
筆者によると、大江の小説ももとは「受動的姿勢」だったが、長男が障害をもって生まれたのをきっかけに、「能動的姿勢」に転換した。広島を訪問したのは長男誕生の2カ月後だった。一方の村上は1995年の震災とオウムを境として社会に能動的にかかわることになる。
大江は、いま思われているよりもはるかに「受動的」「退嬰的」である地点から始まっており、村上は、いま思われているよりもはるかに社会的関心に裏打ちされた形で、彼の非・能動的姿勢を構築していると、筆者は論じる。たとえば村上の「ニューヨーク炭鉱の悲劇」は、いっさい能動的な姿勢をとらぬという立場から、「内ゲバ」という孤立した地下の坑内に「生き埋めになった人々」への関心を描いているという。
日本の文学は、主人公の明確な小説から、単一の主人公がいない小説へと転換している、という指摘もおもしろい。
かつては親と子の対立と和解が小説の主要な主題だった。親の「心配」や「期待」への反発が底流にある。1960年代前後に「頭に来る」という新語が生まれたころまでは、従来の「和解」の構図から地続きだった。
ところがその後、親の価値観に染まりそれと同一化することで、親の価値観を排除しようという意欲すらも失ってしまう。「頭に来る」対象だった親や教師の「期待」が、排除できない「負担・負い目」に変化する。「むかつく」になり、さらに「うざい」という言葉に変化する。「うざい」という言葉は、こうした「負い目」を言い当てる言葉だという。
1940年前後、「滅私奉公」から「活私奉公」へとモットーが変わった。「滅私」によって欲望を抑えるだけでは足りない。自分の私的資産をすべて公のために差し出せというのが「活私」である。ここでは「公」と「私」の二分法が消え、内部はすべて「外部」の侵入をうけている。まさにファシズムの時代が到来しているのである。
そういう時代には、外=親と対峙する「私=主人公」は存在しにくい。だから、3人5人の登場人物によって「1人」を描くような、主人公不在の小説が生まれたという。
=================抜粋・メモ=================
▽92 丸谷才一「日本文学史早わかり」
▽103
▽122
▽132 ガルシア=マルケス「わが悲しき娼婦たちの思い出」
▽140 142
▽164
▽177 小田実「中流の復興」 「ズバっと何かやったらできるというものじゃないと思うんですよ、世界各国が。ましてわれわれ小さな人間にできるはずがない。すべてそれはほどほどにしかできない」日本が戦後の世界に実現した価値を適正規模の「中どころ」の暮らしのモデル確立であったと述べている。
□
▽209 「大江か村上か」 から 「大江と村上」へ。 分水嶺は1987年。
「ノルウェイの森」が上梓され、大江の「懐かしい年への手紙」が出た。前者は大ベストセラーになったが、文学の世界では酷評された。後者はあまり売れなかったが、文学の権威筋に評価された。
お互いが意識し、「大江か村上か」という構図がはっきり現れた。
▽215 大江と村上の似ている部分に関心を向けたい。
226 大江や柄谷の村上批判
「富める消費生活の都市環境」にどっぷりつかった「スマート」な若者の「いくばくかの澄んだ悲哀の感情」がもつ、非政治性という外見のもとでの政治性への糾弾という軸を遠く外れるものではない。
大江が村上批判を展開し、「戦後文学」の正統の名において、そこから外れる敵対者として批判したとき「大江か村上か」という評価地図の基軸ともいうべきものが生まれた。
▽236 大江の小説の基軸が「受動的姿勢」から「能動的姿勢」へ移る契機は、彼の長子が障害をもって生まれたこと。長男誕生の2カ月後に広島を訪問……「ヒロシマ・ノート」
この大江の態度の変更は、1995年の村上の態度の変更を連想させる。震災とオウム。
大江は、いま思われているよりもはるかに「受動的」「退嬰的」である場所から文学的閲歴をはじめている。村上は、いま思われているよりもはるかに社会的関心に裏打ちされた形で、彼の非・能動的姿勢を構築している。
▽252 「ニューヨーク炭鉱の悲劇」いっさい能動的な姿勢をとらぬという覚悟で、「内ゲバ」という孤立した地下の坑内に「生き埋めになった人々」への関心を--描く。生き埋めになっている「他者」を気遣う作品。
▽271 「プー」する小説 単一の主人公としての生を奪われている。
275 高橋源一郎「日本文学盛衰史」〓
▽289 関係の原的負荷 「親殺し」の文学
沢木耕太郎と村上「海辺のかふか」
▽323 1960年代前後に「頭に来る」という新語が生まれる。このあたりまでは「和解」から地続き。その後、親や教師の「心配」「期待」が、自分のはねのけられないものにかわる。親の価値観とぶつかる場合ならよいが、親の価値観に染まり、それと同じになってしまうと、これを排除できない。……親や教師の「心配」「期待」が頭に来るばかげたものから、「負担」、負い目に変わる。排除できないまま、負担となってやってくる。「うざい」「うざったい」は、こうした「負い目」となったものを言い当てる言葉。
「頭に来る」から「むかつく」になり、「うざい」へ。
▽325 1940年前後、「滅私奉公」から「活私奉公」へとモットーが変わる。「滅私」では足りない。欲望を抑えるだけでは足りない。自分の私的な資産をすべて公のために差し出せというのが、「活私」である。ここに「公」と「私」の二分法が消えている。内部は、すべて「外部」の侵入をうけ、いわば外部化している。昭和史で言えば、ファシズムの時代が到来しているのである。
▽333 最近の小説における「主人公の単一性」の希薄化、「単一の主人公性」の希薄化は何を物語っているか。近代小説(主人公ありの小説)を原基としてささえてきた近代的な親子関係の類的存在性の「存在の連鎖」が弱化し、とぎれるようになった。その結果、「子」の親への「反抗」という近代小説の主題の席が、「親殺し」とも言うべき主題に取って代わられるようになった。
▽344 寄生獣
▽356「殺すべき自分がなくなり」「エネルギーが枯渇する」とは? 親に勉強しなさい、と言われる段階は、親子関係における「滅私奉公」の段階。さらに進むと「活私奉公」になる。「自分の欲望を殺して」(滅私)ではなく「自分の欲望まで『いい子』たろうとすることに動員して」(活私)へといつのまにか変わる。自分の内部の「私的資源」を使って親の期待に応えようとする以上、やがて「殺すべき自分がなくなってしまい、『いい子』を生きるエネルギーが枯渇」するという事態が起こる。
枯渇すると、親の「見限り」が来る。それが、子供としての「存在論的な死」
▽361 類的存在としての(本能としての)親と子の存在の連鎖がとぎれたことが、「子殺し」「親殺し」に先行している。存在の連鎖のとぎれから生じた「関係の原的な負荷」の露頭である。
▽365 「海辺のカフカ」は、97年の神戸の連続児童殺傷事件を念頭においている。……関係の原的負荷とは、親子かんけいにおいて、子の親への負債が「抑圧」され「固着」した場合の、その「負い目」のこと。それは抑圧されているから、子供自身にも気づかれない。これが生まれた原因は、人間の類的存在性=存在の連鎖がとぎれたためと考えている。……沢木の「血の味」も村上の「海辺のカフカ」でも、「親殺し」が、「関係の原的な負荷」の「露頭」の契機となっている。
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