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センス・オブ・ワンダー<レイチェル・カーソン、上遠恵子訳>

■新潮文庫 2209
 海洋学者のレイチェルは、人間を超越する自然の不思議を実感している。
「地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。たとえ生活のなかで苦しみや心配ごとにであったとしても、かならずや、内面的な満足感と、生きていることへの新たなよろこびへ通ずる小道を見つけだすことができると信じます」
「心に強く残ったのは、まるで見えない力に引き寄せられるように、西へ向かって一羽、また一羽とゆくっくり飛んでいくオオカバマダラの姿でした。……蝶たちにとって、それは生命の終わりへの旅立ちでした。……歳月が自然の経過をたどったとき,生命の終わりは迎えるのはごくあたりまえで、けっして悲しいことではありません。きらきら輝きながら飛んでいった小さな生命が、そう教えてくれました。私はそのことに深い幸福を感じました」
 そうつづっていたカーソンはその時、末期のがんだった。死をみすえながら、そこに幸福をかんじていた。

 子どもの世界は、生き生きとして、おどろきにみちあふれているが、大人になるとその感性をうしなってしまう。
 この本を読むと、毎日おどろきの連続だったころをおもいだす。
 土手でつんだノビルや春のツクシが食卓にならぶと興奮した。別荘地を散歩して、「森の奥になにがあるの? いってみようよ」ともとめた。大人にとっては「行き止まり」だけど、別世界の入口だとかんじていた。すごい速さでながれる台風の雲や増水で湖と化した河川敷にわくわくした。

 こういう豊かな想像力をうしなってしまった。そんな感性をとりもどすことはできるのだろうか?
「もしこれが、いままでに一度も見たことがなかったものだとしたら? もしこれを、二度とふたたび見ることができないとしたら?」と問いかけるのがよいという。
 二度とふたたび見ることができないかもしれない花見、と念じてみた桜はおどろおどろしいほどのうつくしさだった。
 うしなうことの多い老年に到達すると、もしかしたら子どものころの感性をとりもどすのだろうか。それは、死を救いとかんじる感性につながるのかもしれない。

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▽11 1歳8カ月のロジャーを毛布にくるんで……海岸におりていきました。嵐の夜……わたしたちは、心の底から湧きあがるよころこびに満たされて、いっしょに笑い声をあげていました。
 幼いロジャーにとっては、それがオケアノス(大洋の神)の感情のほとばしりにふれる最初の機会でしたが……
▽31 子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄み切った洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。
「センス・オブ・ワンダー=神秘や不思議さに目を見はる感性」
 ……この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです
(のびるめっけ、ツクシ、殿様カエル、蓼科の別荘地の夜の森「もっと奥に行こう!」、洪水の荒川)
▽41 子どもといっしょに自然を探検するということは、まわりにあるすべてのものに対するあなた自身の感受性にみがきをかけるということです。……あなたの目、耳、鼻、指先の使い方をもう一度学び直すことなのです。
(上記の感覚、つぎつぎ思いだす。なぜあんなに毎日が冒険のように不安でわくわくしていたのか)
▽43 見過ごしていた美しさに目をひらくひとつの方法は、自分自身に問いかけて見ることです。
「もしこれが、いままでに一度も見たことがなかったものだとしたら? もし、これを二度とふたたび見ることができないとしたら?」と。
(後者の問いの重みはよくわかる。最後の花見)
▽47 子どもたちは、きっと自分自身が小さくて地面に近いところにいるからでしょうか、小さなもの、目立たないものをさがしだしてよろこびます。
(この高さをおぼえておこう、と、1年か2年生のころに思った。抱き上げられた高さがこわかったから、かな。そういう事前の反省、19歳のときもしていたな〓)
▽50 虫眼鏡で拡大すると、おもいがけない美しさや複雑なつくりを発見できます。それを見ていると、いつしかわたしたちは、人間サイズの尺度の枠から解き放たれていくのです。
(顕微鏡をもらったから、ふけや耳くその山脈のような表面を見られた。天体望遠鏡も見ていてよかった〓 泣きながらねだったら、めずらしく許してくれた)
▽54 雷のとどろき、風の声、波のくずれる音や小川のせせらぎなど、地球が奏でる音にじっくり耳をかたむけ、それらの音がなにを語っているのか話しあってみましょう。
(すごい速度でながれる台風の雲。湖になった荒川河川敷……いろいろな風景を思いだす)
▽68 〓〓 地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。たとえ生活のなかで苦しみや心配ごとにであったとしても、かならずや、内面的な満足感と、生きていることへの新たなよろこびへ通ずる小道を見つけだすことができると信じます。
 地球の美しさについて深く思いをめぐらせる人は、生命の終わりの瞬間まで、生き生きとした精神力をたもちつづけることができるでしょう。

▽72 不思議さに驚嘆する感性ーー「センス・オブ・ワンダー」

□訳者あとがき
▽78 「沈黙の春」執筆中にがんにおかされ……1962年、完成させた。
 最後の仕事として「センス・オブ・ワンダー」に手を加えはじめた。この作品は1956年に雑誌に掲載された。それをふくらませて単行本に……しかし、1964年、56歳の生涯を閉じた。
▽80 ロジャーは、レイチェルの姪っ子の息子。5歳のとき母親を病気で失い、レイチェルに引き取られた。
□福岡伸一
▽87 神秘さや不思議さに目をみはる感性
▽89 子どもの五感には驚くべきものがある……ところが不思議なことに、大人になるとそんな強烈なリアリティがすべて感覚から失われていることに気づかされる。
▽90 (他の動物にくらべて、子ども時代が長い)大人にくらべて子どもに許されているのは遊び。性的なものから自由でいられるから、闘争よりもゲーム、攻撃よりも友好、防御よりも探検、警戒よりも好奇心、それが子どもの特権。生産性よりも常に遊びが優先されていよい特権的な期間が子ども時代だ。
▽94  生命現象を理解する上で重要なのは、個々の部品=遺伝子をリストアップすることではなく、部品と部品の関係性が大事なのだ。……部品と部品の関係は、線形のアルゴリズムではなく、もっと多様なネットワークのなかにある。しかもそのネットワークはたえず、積極的に破壊されながら、作りかえられているきわめて動的なものだ。この動的なバランスのなかに、時間の流れに抵抗し、エントロピー増大の法則にあらがおうとする生命本来の努力がある。
私は理工学部の研究室を閉め、自らは文系学部の所属に変えてもらった(文転)。(〓動的に死んで生まれかわることに希望を感じていたR)
▽90 とりわけ心に強く残ったのは、まるで見えない力に引き寄せられるように、西へ向かって一羽、また一羽とゆくっくり飛んでいく、オオカバマダラの姿でした。……蝶たちにとって、それは生命の終わりへの旅立ちでした。……歳月が自然の経過をたどったとき,生命の終わりは迎えるのはごくあたりまえで、けっして悲しいことではありません。
 きらきら輝きながら飛んでいった小さな生命が、そう教えてくれました。私はそのことに深い幸福を感じました」
 カーソンは、死出に旅立つモナーク蝶に自分を重ねていた。
□若松英輔
▽105 2001年ごろ……不安と焦燥、得体のしれないものへの恐怖に押しつぶされ、私は「いのち」とのつながりを見失っていた。自分と近しい人の身体的生命を守ることに懸命で、生命をいかしている「いのち」を感じられなくなっていた。
 センス・オブ・ワンダーの言葉は、見えないものに閉ざされていた私を、ふたたび世界に引き戻してくれた。
▽110 この本は、ロジャーという愛する子どもと21世紀に生きる私たちへのレイチェルからの手紙。
▽112 知性の花は感性と霊性を土壌にしたとき、より豊かに美しく開花する。だが、どんなに多くの知識を身につけても、感性や霊性は羽後可愛。そればかりか、知性や理性すら花ひらくことはない。
……科学者は、自然の神秘を否定しているのではなく、詩人や哲学者とことなる方法でそれを探究していることがわかってきた。
▽114 「人間の知識ではいまだに説明できない」何かを感じつづけること、それが人間を真の意味で人間に近づける。(梅棹忠夫)
□大隅典子
▽123 スマホ依存 ……スポンジのようになんでもしみこんでいく子どもの脳にとって、スマホ経由の情報は自然界よりも刺激が強い。広い三次元の世界での多様な体験の前に、二次元の小さな画面からの密度の濃い刺激に脳が適応してしまうのは、避けたほうがよい。
▽127 宮沢賢治は、さまざまな音をききわけオノマトペに変換できるセンスをもっていた。レイチェルは、雷のとどろき、波の音や小川のせせらぎなど「地球が奏でる音」に耳を澄ませるだけでなく、夜明け前の鳥たちのコーラスからも「生命の鼓動」をかんじることができるといざなう。
<歩くこと、遍路の意味〓>
▽129
□角野栄子
▽135 おまじないのような、効率や合理性とはほど遠いものが、創造につながるのです。だから子どもたちには本を読んでほしいと思う。
▽138 はやくに母を失ってしまったったことがマイナスだけだとは思わないのです。人が死んだらどこへ行くんだろうかとか、どういう人だったのだろうと、いろいろ考えるわけです。私はそこから、贈りものをうけとったと思う。悲しみにも贈りものがあるのです。……
▽139 お盆の時期になると、……私たち姉弟にとっては母が帰ってくるのです。煙にのって母が帰ってくるのがありありと映像として浮かびました。私たちのすぐそばには、見えない世界があったのです。見えない世界に支えられて、贈りものをうけとって、私たちは生きているという実感がありました。(童話作家)

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