尾崎が死んで今年で30年と気づいて大丸梅田店に足をはこんだ。
没後10年の展示会をおもいだした。尾崎ファンらしく、ちょっとギラついた、あるいは繊細な雰囲気の同年代が多かった。
あれから20年、客の中心は、どこにでもいるおっさんおばさんだ。でもちらほらいる若者は、20年前の繊細な同年代と似ている。みんな紳士的で、ゆずりあって、仲間との同窓会のような雰囲気になっている。
会場には「十五の夜」「十七歳の地図」「卒業」といった歌がながれ、40代から50代のわれわれが、ビデオを真剣にみつめている。彼の歌の力はいま聴いて圧倒される。
手書きの楽譜や詩のメモには独特の雰囲気がある。手書きでしかつたわってこない、コンピューター時代にうしなわれた力だ。
1965年に生まれ、1984年に19歳でデビューした。
ぼくは大学にはいって聴きはじめ、新聞記者になってカラオケでうたうようになった。その直後の92年に尾崎は27歳で死んだ。
小説家の太宰治や坂口安吾、詩人のランボーと似た破滅的なエネルギーをかんじた。自殺に近い彼の死を知ってますますのその感を強くしていた。斉藤由貴との不倫、創価学会との確執など、いろいろ騒がれた。そもそも破滅的な人間だったのだ、とぼくは解釈していた。
でも今回彼の音楽をききかえすと、破滅的というよりむしろ、生きようとする前向きなエネルギーをかんじる。すくなくとも「無期限活動休止」後にアメリカに行く1986年までの作品には破滅的なものがかんじられない。
事務所の経営難や死の数カ月前の母の死など、短期的におこった現実的な問題が彼の死の原因だったのではないか……という気がした。たんなる想像だけど。
会場をでると、ビルの谷間にのぞく青い空に輪郭がくっきりした秋の雲うかんでいる。あの展示を見た人は、この空に尾崎の歌をみるんだろうな。
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