■新評社20211208
戦前から戦後にかけての生活綴り方運動の指導者の思想と生き方を知りたくて購入した。生き方や哲学と、それを伝えるための具体的な「教え方」が記されている。私にとっての尊敬できる恩師は「そういう人」だった。
「死ね、死ね」と教えてきた教育を「生きよ、よく生きよ」と呼びかける教育にするには、子どもの命を気づかう必要がある。そのためには朝のあいさつで「みんな、かげんはどう?」とたずねる。
「爪切りは大事」と言うだけでなく、それをさせるには「組織」をつくる。週1回はまわってくる「掃除当番」という組織と結びつけ、「掃除が終わったら、爪を切ること」と決めておく。
批判精神の大切さを伝えるには、先生が1時間だけ「大馬鹿者」になる。ほらやうそを語り、それに対して大いに反対させる。自分の意見を主張する場をつくる。
綴り方教育では、「表現」を重視する。たとえば「私の文集」にまとめさせることで「自分で本はつくれる」と実感させる。世界地図や年表もつくらせる。校舎の片隅や教室の後ろに「子ども博物館」「子ども美術館」をつくり、教室を、詩や芸術がある場にしていく。
子どもたちの現状と変化を知るには、ひとりひとりの見開き2ページのノートをつくる。1日1行ずつでも記録して一覧することで、子どもたちを時間軸でとらえることができる。家庭訪問の会話にも役立つ。
子どもたちをとりまく環境を知るためには、どんな花が咲き、何の実がなっているかを手帳に書きとめる。国語や算数で「実例」を出すとき、沖縄で「雪の結晶」を題材にしてもだれも興味をもたない。子どもをとりまく環境にある「柿」とか「タンポポ」とかを使うべきだ。
子どもに対して、「自分の言葉で自由に意見を言い、自分の頭で考え、自分の判断にもとづいて行動せよ」と言うなら、教師自身もそうでなくてはならない。だからこそ、教員組合の運動は大切だった。
戦前、おえらいさんの「視学さん」の背中を流すことを求められた筆者はそれに抗ったが、「日本精神に反する国語教育研究は、以後一切やらないと書け」という「視学さん」の圧力に屈してしまった。そうやって戦前の生活綴り方教育は息の根を止められた。
「ひとの子の師であるものは、真理に根ざしてたじろがない、一市民の自由をもつべきです。ひとりの人間としてかけがえのない価値を、あくまでまもりぬくべきでしょう」というのは、すべての「大人」が心得るべき覚悟なのだ。
===============
■君ひとの子の師であれば 復刻版<国分一太郎>新評社20211208
戦前から戦後にかけての生活綴り方運動の指導者の思想と生き方を知りたくて購入した。生き方や哲学と、それを伝えるための具体的な「教え方」が記されている。私にとっての尊敬できる恩師は「そういう人」だった。
「死ね、死ね」と教えてきた教育を「生きよ、よく生きよ」と呼びかける教育にするには、子どもの命を気づかう必要がある。そのためには朝のあいさつで「みんな、かげんはどう?」とたずねる。
「爪切りは大事」と言うだけでなく、それをさせるには「組織」をつくる。週1回はまわってくる「掃除当番」という組織と結びつけ、「掃除が終わったら、爪を切ること」と決めておく。
批判精神の大切さを伝えるには、先生が1時間だけ「大馬鹿者」になる。ほらやうそを語り、それに対して大いに反対させる。自分の意見を主張する場をつくる。
綴り方教育では、「表現」を重視する。たとえば「私の文集」にまとめさせることで「自分で本はつくれる」と実感させる。世界地図や年表もつくらせる。校舎の片隅や教室の後ろに「子ども博物館」「子ども美術館」をつくり、教室を、詩や芸術がある場にしていく。
子どもたちの現状と変化を知るには、ひとりひとりの見開き2ページのノートをつくる。1日1行ずつでも記録して一覧することで、子どもたちを時間軸でとらえることができる。家庭訪問の会話にも役立つ。
子どもたちをとりまく環境を知るためには、どんな花が咲き、何の実がなっているかを手帳に書きとめる。国語や算数で「実例」を出すとき、沖縄で「雪の結晶」を題材にしてもだれも興味をもたない。子どもをとりまく環境にある「柿」とか「タンポポ」とかを使うべきだ。
子どもに対して、「自分の言葉で自由に意見を言い、自分の頭で考え、自分の判断にもとづいて行動せよ」と言うなら、教師自身もそうでなくてはならない。だからこそ、教員組合の運動は大切だった。
戦前、おえらいさんの「視学さん」の背中を流すことを求められた筆者はそれに抗ったが、「日本精神に反する国語教育研究は、以後一切やらないと書け」という「視学さん」の圧力に屈してしまった。そうやって戦前の生活綴り方教育は息の根を止められた。
「ひとの子の師であるものは、真理に根ざしてたじろがない、一市民の自由をもつべきです。ひとりの人間としてかけがえのない価値を、あくまでまもりぬくべきでしょう」というのは、すべての「大人」が心得るべき覚悟なのだ。
===============
▽国分が創設して、乙部武志が継承した「綴方理論研究会」、これを母体として全国組織とした「国分一太郎「教育」と「文学」研究会」(田中定幸会長)や「国分一太郎・こぶしの会」(大江権八会長)→住所
2011年7月には、国分一太郎の赴任校だった長瀞小学校〔現在の長瀞公民館〕に記念碑が建立。
▽7 朝のあいさつのあとには、「みんな、かげんはどう?」とたずねるような習慣をつけましょう…その日その日の子どもたちの健康状態、それを知って、教室生活を進めていくこと…
「死ね、死ね」と教えてきたような、いままでの教育を「生きよ、よく生きよ」とさけびかける教育にあらためるには、子どもの命、健康をいつもきづかうことが必要です。
▽29 爪切りがあっても、それを役立たせるには実行する組織をつくる。…掃除当番は、週1回はまわってくるように組織を作りましょう。「掃除が終わったら、爪を切ること」と決めておけば、それはそれでひとつの組織です。
▽34 1時間だけ先生が大馬鹿者になる。大いに反対させておしゃべりをつづける。じぶんの立場をもって、どしどし反対する態度を、ユーモアのうちに教えていく。
▽40 絵巻物づくり 絵暦づくり
▽43 手帳を使う習慣を。
▽53 児童中心主義、生活経験の尊重を考えた人々は、「表現活動」をおもく見てきた。…子どもにも、本はつくれるものだということを確信させればよいのです。「私の文集」にまとめさせる。
▽87 子ども博物館をつくる。…あなたの教室を、詩のあるところ、芸術のあるところにしたい…
▽98 子どもひとりひとりの見開き2ページのノートをつくる。一覧で見ることで、クラスの子どもの現段階のさまざまなありさまがつかめる。一覧できることの大切さ。家庭訪問の会話にも役立つ。……子ども観察の記録づくり。
▽116 小さなノートをふところにして、どんな花が咲き、何の実がうれているかを書きとめる。……子どもたちが、どんな自然にとりかこまれているか、その自然からどんなことをつかみとってきているか、……を知りたい。
「何の花が咲き、何の実がなる」ような変化の多い環境から、わたくしたちの子供らが、学校に出てきていることを、まず知らなければならない(久保先生)。これすら知らないようでは国語や算数でも「実例」を出してやることもできない。
▽165 子どもをひくつにしてはいけないし、自分もひくつになってはいけない。子どもを、自分の目で見、自分の言葉で自由に意見を言い、自分の頭で考え、自分の判断にもとづいて行動する人間に育てるなら、教師自身もそうでなくてはいけない。
▽戦前 「視学さんのせなかを流してあげただろうね」と校長……「日本精神に反する国語教育研究は、以後一切やらないと」と一札書け……と視学は言う。この人は「子どもの解放」ではなく「子どもへの統制」「小異を捨てて大同につく」ということを、しきりに演説して歩く人でした。
「何ラヤマシキ事ナケレド……」と書いたら、「ダメだ!」視学はその紙をビリッと破り捨てました。しかたなく……なんという勇気に乏しかったことでしょう。ひとりの人間・一市民として、わたくしはもっと、もっと、この視学と、国語教育についての自由な討論をしなければいけなかった。
……ひとの子の師であるものは、心理に根ざしてたじろがない、一市民の自由をもつべきです。ひとりの人間としてかけがえのない価値を、あくまでまもりぬくべきでしょう。
▽173 幸福追求の新しい方法ーー生産手段をすべてのものの共有にして、すべての者が、その能力に応じて、みずからすすんで働き、そのわけまえが、働きさえすればだれにでも、たしかにかえってくるという経済的なしくみが実験され、めざましい成果をあげて降ります。ここからは、貧乏というものが、だんだんと消え失せていくでしょう。(そんな夢を見られた時代)
コメント