■中公新書ラクレ20211119
森村誠一の本は昔から読んでいた。ベストセラー作家が、老人性うつ病と認知症に苦しみ、克服した。新聞の書評に紹介されていた。
生きる意味が見えなくなり、なにをやっても心が晴れない状態に認知症が加わったとき、いったいどう対処すればよいのか?
ある日突然、鬱になり、風景の色がなくなる。「自分ひとりが社会から置き去りにされている」と感じる。さらに物忘れで言葉を失っていく。思いついた言葉を壁中にはって、記憶にとどめようと試みる。
主治医に苦しさを訴える手紙が痛々しい。これほどの人でもそうなってしまうのだ。
旅に病んで 夢は枯野をかけ廻る
この句は芭蕉は命の灯が尽きる直前まで夢を追いつづけたことを示しているという。「何かの途上であること」が大切なのだ。夢枕獏の「神々の山嶺」もそういう作品だった。
過去に目を向ければ、いまの自分がいちばん老いているが、未来に目を向ければ、今の自分がいちばん若い……という言葉も心にしみる。
伴侶が余命宣告されたとき、「お前がいなくなったら生きている意味がない」などと悲劇の主人公を気取っている場合ではない! という一文も納得できる。悲劇におぼれて自分が心身を壊したら、それこそ病の伴侶を支えることができなくなる。
悲劇の主人公になることを受け入れようとする自分をかろうじてとどめたのは「いま・ここ」を大切にしよう、という思いだった。
「写真俳句」の提案や、シニアラブのあり方への助言も興味深かった。
ただ、老いたときの「心構え集」という内容で、具体性が薄いのが物足りなかった。
筆者の苦しみの日々の細部と、そこから抜け出たときの細部を知りたかった。
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▽54 過去に目を向ければ、いまの自分がいちばん年老いているが、未来に目を向ければ、今の自分が「いちばん若い」
▽92 妻が余命宣告されたような場合、その現実にしっかりと向かいあわなければならない。「お前がいなくなったら生きている意味がない……」などと言って、悲劇の主人公を気取っている場合ではないのである。まずは残された時間をどのように過ごしていくかが大切になる。その一方、「ひとりで生きていくことになる事実」を直視しておく必要がある。(悲劇の主人公になってはいけない。「いま・ここ」を大切に)
▽94 哀しみをいつまでも引きずる男に対して、女性はそれが少ない。……「主人がいなくなってから自由になった」と生き生きしていることさえある。
▽137 老いていくというのは、孤独になっていくことである。悲しくはあっても、自然の摂理として受け入れなければならない。
▽200 「写真俳句」は楽しい。アクセス数がいきなり上がった。
▽215 異性に対してドキリとすることは何歳になってもあっていいのではないか。……でも……シニアラブは基本的にプラトニックであるのが望ましい。
ある程度の年齢になっていると、若い時ほどセックスが重大事ではなくなっている。
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