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眠れないほどおもしろい平家物語<板野博行>

■三笠書房王様文庫 20210819
 平家物語の見どころを抜粋して、とくに人物に焦点を当て、原作にはないエピソードもふんだんに加えて登場人物の魅力を浮き彫りにしている。
 平家=悪、源氏=善、という一般の印象を覆し、むしろ平家の人々の人間らしさとおろかさと哀しさを浮き彫りにすることで、「今」を生き切る大切を伝えているのが物語の魅力だという。

 平清盛は、朝鮮や中国との貿易を促した国際感覚をもち、幼かった頼朝や義経らの命を助ける情の深さをもっていた。逆に頼朝は、いとこの義仲や弟の範頼と義経を次々に殺す冷酷非情な人間だった。
 清盛没後に跡目を継いだ宗盛とその子の清宗は壇ノ浦で入水したはずが泳いでしまい、源氏に捕まり、引き回されて獄門にかけられた。「大変な恥であった」と「平家物語」でも痛烈に評された。
 平維盛は紀伊半島の那智沖で入水自殺する悲劇の若者だ。彼は「イケメンでいくさ下手」。屋島から逃亡して高野山に向かい、滝口入道の導きで自殺した。
 田舎者と描かれた木曽義仲にも魅力的な一面があり、芥川龍之介や松尾芭蕉は義仲に惚れ、芭蕉は大津市の義仲寺に葬られた。
 弱くて欠点がある人ほど平家物語では魅力的に描かれている。
 脇役もおもしろい。
 俊寛は、清盛に目をかけられていたが、女性にそそのかされて「鹿ヶ谷の陰謀」に加わった女好き。
 祇王(女)は清盛に捨てられて嵯峨野に隠棲した。彼女らが隠棲した祇王寺は、高岡智照(1896ー1994)によって復興された。瀬戸内寂聴の「女徳」のモデルで、12歳でに父に売られ、大阪で人気芸妓になり、東京にうつって絶世の美女として絵はがきのモデルになった。数度の自殺未遂と何人もの男との別れをへて39歳で出家した。
 「柴漬け」の命名者は、寂光院に隠棲していた建礼門院徳子だとか、祇園精舎の鐘の声、は、ゴーンではなくリーンリーンだった、なんてトリビアも興味深かった。

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▽49
▽65  清盛は、朝鮮や中国との貿易を通じて利益を得て、外に開かれた日本をつくろうとしていた。優れた国際感覚の持ち主だった。……平家はおしゃれ。
……頼朝は、義仲や範頼、義経など従姉妹や兄弟を次々に殺して権力の座を確固たるものにしていくんだから、冷酷非情、もはや残忍。
……義朝の遺児たちを殺さなかった清盛の甘さ。都人としての情の深さ。
▽79 清盛は白河院のご落胤?
▽89 平維盛 イケメンで戦ベタ 屋島から逃亡 高野山に向かい、滝口入道の導きで那智沖で入水。
▽103 壇ノ浦 宗盛と清宗は入水のはずが泳いでしまい、源氏に捕まる。三位以上の公卿が引き回されて獄門にかけられたのは日本ではじめてのことだった。
「生きての恥、どちらも劣らぬ大変な恥であった」と「平家物語」は辛辣に結んでいる。
▽123 時子が身につけていた三種の神器のうち、神璽は源氏が確保したが、宝剣は見つからなかった。仕方がないので、伊勢神宮から献上されたものを正式に宝剣としたそうな。
▽124 安徳天皇の御霊を鎮めるために阿弥陀寺が建立。廃仏毀釈で廃されて赤間神宮になった。〓竜宮城を模した。
▽133「柴漬け」の命名者は、寂光院に隠棲していた建礼門院徳子
▽152 芥川龍之介や松尾芭蕉は義仲に惹かれた。芭蕉は大津市の義仲寺に葬られた。
▽181 梶原景時の讒言で、義経は頼朝に敵とみなされてしまう。範頼も、謀反の疑いで伊豆に流す。平家の一族郎党、子孫にいたるまで殺す。
▽200 俊寛 清盛に目をかけられていたが、助成にそそのかされて「鹿ヶ谷の陰謀」に加わった。女好き。
▽207 怪僧文覚 60歳すぎてからも謀反を企て、捕まり、隠岐に流された。
▽221 敦盛愛用の「青葉の笛」。須磨寺の寺宝。
▽235 祇王寺 祇王、祇女、刀自の墓。なぜか祇王を捨てた清盛の供養塔も。……仏御前は21歳でなくなり、小松市原町に墓はあるという。(尼御前は彼女?)
 祇王寺は高岡智照(1896ー1994)によって復興された。瀬戸内寂聴の「女徳」のモデル。12歳にして父に売られ、大阪で人気芸妓に。東京・新橋にうつり、絶世の美女として絵はがきのモデルに。数度の自殺未遂と何人もの男との別れをへて、39歳で出家した。
▽266 生きている間に命を完全燃焼させることがどれほど大切なのかを痛感させられる。これが「平家物語」の神髄であり……「無常」は、滅びゆく者に対する哀惜や詠嘆ではなく、精いっぱい生きた人間としての証です。

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